新聞について聞きました!著名人インタビュー

生きるためのヒントが満載 2014年4月

小岩孝子・仙台市東四郎丸児童館長

 3年前の3月12日夜。自宅に戻ると、新聞があった。届いているなんて思いもしなかった。「宮城震度7 大津波」の大見出し、津波に流されながら燃えている家屋の大きな写真……。

 東日本大震災発生直後から、250人を超える地域住民が東四郎丸児童館に避難してきた。家族を探す人の出入りが一晩中続いた。対応に追われながら聞いた「仙台・荒浜に300から400の遺体」というラジオの音声を信じきれずにいた。新聞を読んではじめて全体像が分かった。想像を絶する被害だった。

 あんな大きな揺れと大津波なのに、記者やカメラマンはどうやって現場に行ったの? どうやって印刷したの? どうやって配ったの? 新聞発行に関わる人や家族も被災しているはずなのに。「伝えなくちゃいけない」という強い思いを受け取った。

 購読している新聞の3月14日付朝刊の1面見出しは「犠牲『万単位に』」だった。死亡や死者ではなく犠牲とした点に、不意に命を奪われてしまった方々への配慮があった。

 新聞は「伝える」という大きな役割を担う。記者だけではない。新聞を届ける販売所も同じだ。地域の新聞販売所長、鴇田真一さん(53)は、震災発生直後から1か月間「伝言板」というミニコミ紙を発行した。

 私が理事長を務めるNPO法人は、情報を伝える、情報を届けるという手段がない。伝言板に、炊き出しのお知らせを載せてもらった。鴇田さんは、地域の飲食店の状況、病院や交通機関の再開など地域住民が必要としている情報を自転車で回って取材し、ミニコミ紙を新聞本紙に折り込んだ。ライフラインが途絶すると、地域内での助け合いがとても重要になってくる。この新聞販売所のような地域をつなぐ「応援隊」の存在は大きい。

 私は今、仙台市の「市民協働による地域防災推進実行委員会」代表として、防災・減災教育に力を入れている。

 新聞には生きていくために必要なヒントがたくさん載っている。見つける気持ちを子供たちに持たせたい。活字離れが進み、バーチャルなゲームの中で英雄になることばかり考えている子供が多い。そういった子に、新聞記事を切り抜いて命を考えさせるワークショップも開いている。風化が進んでいると言われるが、子供たちはきちんと受け止めてくれている。震災を忘れてはいない。新聞を読む意義を伝えていきたい。

小岩孝子(こいわ・たかこ)
1952年宮城県村田町生まれ。明治大文学部卒。太陽神戸銀行勤務、学習塾経営を経て、95年特定非営利活動法人(NPO)「FOR YOUにこにこの家」(仙台市)設立。2005年、仙台市の委託を受け東四郎丸児童館長就任。