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復興と防災報道で討議 新聞大会前日に記念シンポ 新潟

 新潟日報社は10月14日、第67回新聞大会の記念シンポジウム「復興と防災への道―大震災の現場から」を新潟県長岡市のアオーレ長岡で開いた。地方紙記者6人が、中越地震や東日本大震災、阪神・淡路大震災を振り返り、防災・減災や被災地復興のための報道の在り方について議論した。

 長岡市、新聞協会が共催。冒頭、新潟の小田敏三代表取締役社長が「同じような災害が起きても同じ悲劇を繰り返さないために、被災地の人々が残してくれた教訓や知見を、地方紙同士で伝え合いたい」とあいさつした。

 続いて、森民夫長岡市長が「被災地からの報告と提言」と題して講演した。森氏は中越地震の際、災害対策本部の会議を地元ケーブルテレビで生中継したことを紹介。「会見で、ほかの地域から応援部隊で入ってきた記者が同じような質問を繰り返し、山積している業務が進まなかった。公開することでスムーズな会見ができるようになった」と振り返った。

 行政の支援でインフラや制度を整えるだけでは本当の復興とは言えないとも主張。「最後は人の力だ。新聞記事には人の気持ちを前向きにする力がある。復興に向けて協力していきたい」と話した。

地方紙連携で風化防止を

 パネル討議には、岩手日報の榊悟報道部次長、河北の松田佐世子報道部主任、福島民報の五十嵐稔いわき支社報道部長、福島民友の小泉篤史報道部主任、神戸の長沼隆之報道部次長が登壇。新潟の中村茂報道部第二部長がコーディネーターを務めた。

 榊氏は東日本大震災で全壊した大船渡支局の支局長を務めた経験がある。「支局まで津波が来るなんて思っていなかった。想定外の事態が起こり得るという意識を持つ必要がある」と指摘。松田氏も「天災は人知を超える。過去の経験にとらわれない臨機応変な対応が必要だ」と話した。

 阪神・淡路大震災が起きるまで、関西は地震が少ないと思っていたという長沼氏。しかし実は、神戸は1974年に直下型大地震の可能性を1面で報じていたという。「その後、それを生かせなかったという後悔を持ちながら阪神・淡路大震災の取材、報道に取り組んできた」と振り返った。

 現在福島で大きな問題になっている関連死に初めて光が当たったのは、阪神・淡路大震災においてだ。長沼氏は「ほかの被災地で繰り返してほしくないと思って報道してきた。20年間伝え続けてきたものがどこまで役に立っているのか、深く思うところがある」と述べた。

 中村氏も関連死をめぐり、「中越地震の際、阪神・淡路大震災についてなぜもっと勉強しなかったのかと悔やんだ。教訓を風化させずに、どう未来につなぐかが課題だ」と話した。パネリストからは「東日本大震災以降、地方紙間の連携が強まったと感じる。つながりを大切にし、風化、風評の防止につなげたい」(五十嵐氏)、「東日本大震災当時、阪神・淡路を経験した人たちが東北を支援してくれたように、地域を越えた動きが広がっている。丁寧に報道し、防災や減災に役立てたい」(松田氏)などの意見が出された。

 問題が長期化する中で、「県民の間で利害の対立が生まれている。自主避難者を取り上げたら、古里に残っている人より避難者を大切にするのかと取材で言われたこともある」と、取材の難しさを語ったのは小泉氏。それでも、「地方紙は地域に密着して課題を報じ続けられる唯一のメディアだ」として、現状を丁寧に伝え続けることの必要性を強調した。

 続いて、中国の山城滋取締役編集局長が8月に広島市で起きた土砂災害、信濃毎日の畑谷広治取締役編集局長が先月発生した御嶽山噴火について、報道における課題などを報告した。

 中国は災害発生直後8日間にわたり紙面に避難者名簿を掲載したところ、読者から多くの反響が寄せられたという。山城氏は「避難所で食い入るように読む被災者の姿に若手記者は感動したようだ。その気持ちが記者の原点になる」と話した。畑谷氏は「観光に役立てる目的で安全登山についてこれまで何度も報道してきたが、噴火という視点は抜けていた」と説明。捜索活動が全て終わった後も、噴火予知のメカニズムや被害にあった人の心のケアなど、責任ある報道を続けたいと述べた。

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