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新聞は災害時の必需品 一力氏(河北)、河村氏(熊本日日 )ニュースパーク新装記念シンポ

常に発行継続の備えを

 新聞は災害時の必需品。いざという時に読者、被災者の期待に応えるには、発行継続のための備えを絶えず見直さなければならない―。ニュースパーク(新聞博物館)の新装開館記念シンポジウムで、河北の一力雅彦(写真右)、熊本日日の河村邦比児(同左)の両社長が対談した。被災地の地元紙デスクらによるパネル討議では報道量に地域格差が生まれたことや、風化を防ぐ取り組みが報告された。

 テーマは「大災害に備えて―災害時に新聞発行を継続するために」。10月28日、協会加盟社とニュースパーク特別会員向けに開かれ、83人が参加した。対談はマス・コミュニケーション学会の大石裕会長(慶大教授)が司会を務めた。

 河北は高い確率で起きるとされた宮城県沖地震に備え、印刷工場の免震化などを進めていた。東日本大震災では本社の組み版サーバーが倒れ、新潟日報の支援を受け紙面を制作した。輸送網は寸断され、13の販売所が全壊した。

 一力氏は「何としても被災地に新聞を届ける決意で対応に当たった。しかし地震への備えが不十分な点もあった。大災害では『何とかなる』との希望的観測は捨てなければならない」と語った。事業継続計画は絶えず更新していく必要があると指摘した。

 東日本大震災の教訓から、熊本日日は災害援助協定締結や輪転機の耐震化、組み版サーバーの免震対応などを進めた。熊本地震では4月16日に起きた震度7の揺れで稼働中の輪転機が一時停止。西日本に代行印刷を要請したが、その後復旧し自社製作を続けた。

 震災発生後、学校の体育館で一時避難生活を送った河村氏は、避難所の入り口に積まれた新聞を奪い合うように読む被災者を目の当たりにし「新聞は頼りにされている。もっと新聞の力を信じていい」と語った。

 一力氏は災害時の必需品に水、食料、正確な情報の三つを挙げ「水や食料は蓄えられるが、正確な情報は備蓄できない。被災地に正しい情報を届ける新聞の役割は大きい」と強調した。

 震災は販売や広告にも大きな影響を与えた。熊本日日の発行部数は震災前の30万部から1万3~4千部減った。折り込み広告もほとんど入らない状態が続く。河村氏は「熊本は中小企業が多く、営業活動全体が停滞している」と語った。

 47万部を発行していた河北は東日本大震災の影響で3万5千部減少した。「復興が進み人々が日常生活を取り戻す中で、徐々に戻りつつある」(一力氏)という。

 発行継続には資材の確保も欠かせない。日本製紙の前田高弘執行役員新聞営業本部長がフロアから、災害の備えについて発言した。

 熊本地震では同社の八代工場が10日間停止した。八代は新聞用紙を1日700トン生産する主力工場。稼働再開まで、北海道や宮城県の工場に加え、他メーカーから手配した製品を新聞社に供給した。前田氏は「東日本大震災の教訓から、業界を挙げて対応に当たった」と話した。製紙連合会は11月をめどにメーカー間の災害時協定を見直すという。

報道格差・風化が課題に 地元紙デスクら、震災・防災で意見交換

 被災地では過熱取材が問題となる一方、報道が少ないために「忘れられた被災地」が生まれた。河北の武田真一防災・教育室長は「報道の格差が生まれ、義援金の額にも差が出た」ことを反省点に挙げた。

 河北は2012年、亘理町に支局を開設した。きっかけは「亘理町のことをなぜ伝えてくれないのか」との読者の声だった。熊本日日社会部の奥村国彦次長も「益城町には多くの報道陣が入ったが、隣の御船町は後手に回った」と述べた。

 14年に広島市で起きた土砂災害を取材した中国報道部の久保田剛記者は「臨時支局を設けて取材に当たったが、局所災害は風化が早い」と話す。防災意識を低下させない方策を行政と共に考えたいと述べた。

 武田氏は「防災・減災特集を定期的に組んでいたにも関わらず、多くの命を救えなかった」との思いから、読者参加型の防災ワークショップ「むすび塾」を始めたことを紹介。14年からは他の地方紙とも連携し、東北以外の地域でも開催している。「報道で呼び掛けるだけでは限界がある。教訓を共有し、読者に直接働き掛ける場をつくることも新聞社の使命だ」と指摘した。

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