9月30日付 自己決定権の在り方たどる

琉球「道標(しるべ)求めて 琉米条約160年 主権を問う」 

 1854年3月、日米和親条約が締結された。同年7月、琉球王国は米国と琉米修好条約に調印する。条約締結160年を節目に、沖縄が主権国家として外交力を発揮していた歴史をたどり、今日の沖縄の「主権」と「自己決定権」の在り方を考える長期連載が、5月から始まった。

 条約締結前に起きたペリー部隊の水兵による女性暴行事件からはじまる第1部は、開国を迫る米国に対する幕府、薩摩、琉球の対応を追う。米、英、仏、露、蘭の船がたびたび来琉する中、独立を守るため琉球は数々の知恵を絞った。その一つが臨時官職の配置だ。列強との交渉の際、その臨時官員が時間稼ぎをする間に首脳は最善の対応策を見いだしていたという。

 第2部は、併合の起源、米仏蘭と結んだ条約の没収、台湾事件などを振り返り、1870年代の「琉球処分」に至るまでの実相を問い直した。第3部は、武力行使による「処分」、救国運動などの実情をつづった。「処分」の理由は、中国との外交禁止と裁判権移管に従わないことだった。これらは国権の根幹だったため、琉球は従わず、権限を行使し続けた。しかし、明治政府は天皇による"抜き打ち冊封"の君臣関係を根拠に権限放棄を命じ、琉球が従わなかったため武力で威嚇した、と連載で指摘した。

 「併合される局面を詳しく知ることで、沖縄が独自の存在だと分かった」「現在の沖縄が置かれた状況と重なって見える」など多くの反響があるという。

 取材・執筆を担当する新垣毅編集委員は、「オスプレイ配備や辺野古移転など、沖縄の民意が無視される閉塞(へいそく)状況に陥っている。自らの権利を主張していくことが今必要だ」と話す。連載は今後、共和国として独立したパラオなど諸外国への取材を重ね、沖縄自治制といった将来像を探る。(福)

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