2月 2日付 被災者の記憶を丹念に再現

高知「いのぐ」

  父が庭の井戸をのぞき込んで言った。「水が引きゆう。大ごとや…」―。1946年12月21日に発生した昭和南海地震は高知県内で死者670人、行方不明者9人の犠牲を出した。元日付から12回にわたる連載第1部は、震災を体験した人々の当時の記憶を、会話や光景などの細部にこだわり丹念に再現した。

 南海トラフ巨大地震発生の可能性が指摘される中、70年前の地震当時のことを知る人が少なくなり、県内で地震への危機意識が薄れているとの懸念があったという。西村博文報道部副部長は「読者を引き込む書き方を心掛けることで、防災意識を高めてほしいと考えた」と語る。

 初回から数回登場した土佐市宇佐町の男性は当時13歳だった。地震発生の午前4時19分、漁のため父親と兄とともに海の上にいた。異変に気付いた3人はすぐに浜に引き返す。いかりを下ろそうとすると舟は放っておけと父が怒鳴る。「津波がくるぞ」と町に響く大声。水の引いた井戸。集落の裏手にある山に急いだ。

 宇佐町は津波で甚大な被害を受けたにもかかわらず、死者、行方不明者各1人にとどまった。過去の震災の記憶が継承され、速やかに避難できたことが要因の一つとして挙げられる。報道部の海路佳孝記者は「過去のことではなく、現在の問題として震災の記憶を引き継いでほしい」と話す。

 体験を次の世代に役立ててほしいと取材に応じてくれる人が多かった一方、記憶違いや覚えていない部分もあった。「証言に加え、市史や地元の企業史などさまざまな資料に当たり、事実を積み上げた」と報道部の村上和陽記者は振り返る。

 「いのぐ」は古い土佐弁で「しのぐ」「生き延びる」を意味する。今年、紙面展開だけでなく啓発事業などを通じて防災を考える同名プロジェクトを展開していく。(梛)

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