8月 8日付 激戦の記憶 公開と保存探る

沖タイ「戦争遺跡 戦後72年の今」

 太平洋戦争末期の1945年、米軍が上陸し激戦が繰り広げられた沖縄県内には、各地に日本軍施設やガマ(洞窟)などの戦争遺跡が残る。平和学習における存在意義は高く、今後も活用が望まれる。しかし、劣化が進み調査すらままならない遺跡も多い。6月18日付から全5回の連載で、県南部を中心に各地の戦争遺跡の公開や保存の問題を探った。

 戦争遺跡は沖縄の至るところに存在する。その数は数千とも言われる。しかし終戦から72年がたち、身近にある遺跡を知らない人も多い。連載を担当した南部報道部の又吉健次記者は「沖縄戦が遠い存在になり、教科書で学ぶものになりつつある。地域の記憶をどう継承するか。この課題は避けて通れない」と話す。

 沖縄本島南部の南風原(はえばる)町に残る沖縄陸軍病院南風原(ごう)群20号は狭くて暗い。その迫力は見学前に冗談を言っていた小学生を真剣な顔つきに変えてしまう。ガイドの女性は「実物があるから一瞬で追体験できる。戦争遺跡という本物が持つ力は大きい」と記者に語った。

 しかし、積極的に公開を進めたことで車が道にあふれ、苦情が殺到したガマもある。戦争遺跡の公開には地域住民の理解も欠かせない。

 見学者の安全が確保できず、公開のめどが立たない遺跡もある。県内有数の観光地首里城の地下にある日本軍の司令部跡は、激戦の象徴の一つ。しかし劣化が進み調査もままならない。

 戦争を体験し、当時のことを伝えられる世代の大半は既に80歳を超える。証言できる人がいなくなった時「見る人の心に訴える遺跡の存在がますます重要になる」。又吉記者は数十年後を見据え指摘する。「保存と公開には地域、行政の支援に加え、メディアが伝えていくことも欠かせない」(路)

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