8月29日付 記憶たどり孤児の行方追う

西日本「シゲちゃん 長崎原爆72年」

 「もう一度会いたい」。一瞬で多くの人々の命を奪った長崎原爆の投下から72年。長崎県長与町の男性(78)は、命の恩人「シゲちゃん」を捜し続けていた。1945年8月9日午前11時ごろ、2人は長崎医大付属病院の屋上で遊んでいた。シゲちゃんが「下に降りよう」と言い、屋内に戻った。間もなく原爆が長崎を襲う。男性はしばらくしてシゲちゃんが原爆孤児になったことを知った。

 男性から72年間の思いを託された長崎総局の布谷真基記者は、7月31日付から全4回の連載でシゲちゃんの行方を追った。その過程で、さまざまな事情で故郷を離れ、遠くの地に移り住むことを余儀なくされた原爆孤児の実態も垣間見る。「被爆地だけの問題ではない。各地にいる被害者の苦しみは、72年たった今も続いている」と布谷氏。

 手掛かりは「シゲちゃん」という愛称のみ。長崎市がまとめた「長崎原爆戦災誌」を頼りに、当時の救護隊の一員だった福岡県久留米市の女性(99)を尋ねた。また、シゲちゃんが働いていたとされる久留米市の食堂関係者に話を聞いた。養護施設を経て後に養子縁組されていた可能性も浮上したが、その間のいきさつには不明な点が多い。そして取材の結果、シゲちゃんとおぼしき人が亡くなっていたことが分かる。そのことを伝えられた男性は「覚悟はしてたけどな......」とつぶやいた。

 久留米の飲食店関係者には「歌いながら働いていた人ね」とシゲちゃんを覚えている人が多かった。布谷氏は「シゲちゃんの記録は少なかったが、記憶に残る人だったのではないか」と言う。

 原爆孤児について、長崎では人数すら把握できていない。原爆被害をまとめた戦災誌にも「はっきりしたことは分かっていない」とある。「このままでいいのか」(布谷氏)との思いは募る。(工)

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