9月 1日付 平和国家として歩む

首相談話、評価さまざま

 安倍内閣は8月14日、戦後70年の首相談話(安倍談話)を閣議決定した。焦点だった、戦後50年の村山談話、60年の小泉談話にあった「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「心からのおわび」といった文言は間接的な表現ながら盛り込まれた。また、「あの戦争には何ら関わりのない私たちの子や孫、その先の世代の子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と主張した。多くの社が戦後70年の「8月15日」に社説などで論じた。

「日本の針路示した」

 「先の大戦への反省を踏まえつつ、新たな日本の針路を明確に示したと前向きに評価できよう」と読売は冒頭の一文で書いた。「侵略」については「明確に認めたのは重要である」とした。「おわび」については、「首相の真剣な気持ちが十分に伝わる」と評した。「歴史認識を巡る様々な考えは、今回の談話で国内的にはかなり整理、集約できたと言えよう」とも指摘した。

 日経は「おおむね常識的な内容に落ち着いたことを評価したい」とまとめた。その上で「どうすれば未来志向の外交関係を築けるかに傾注してもらいたい」と注文した。西日本も「評価」の表現を使い、「国際社会に受け入れられる歴史認識を示したことは評価したい」と論じた。「負の歴史を率直に認める首相談話を閣議決定した意味は大きい」とも指摘した。

 「評価」の言葉は、「国内外の評価に耐えるもの」(佐賀)▽「率直に評価」(静岡)▽「前向きに評価したい」(福島民友)と、各紙にも見られた。北國は「村山談話などと比べて格段に長く、格調があり、よく練られている」と評した。

 産経は「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と言及した点を「過去の歴史を忘れてはならないとしても、謝罪を強いられ続けるべきではないとの考えを示したのは妥当」と論じた。この点について中国は「首相が本心からそう考えるなら加害側である日本が中国や韓国などとの良好な関係づくりのためにどう行動していくのか、もっと具体的に示すべきではなかったか」と指摘した。

首相自身の言葉なく 

 「反省」「おわび」といったキーワードを、首相自身の言葉として語らなかったことについて言及した社は多かった。

 「自らを主語とはしない間接的な表現で、首相自身の思いが明確には伝わってこない内容となっている」(秋田魁)▽「首相は、自らの言葉で反省やおわびを率直に表明するべきだった」(徳島)▽「反省や謝罪も過去の取り組みとして紹介する形で、安倍首相自身の言葉にはなっていない。歴代内閣の立場を継承すると言いながら、ぼかした感が否めない」(信濃毎日)▽「侵略やおわびの主体の不透明さも否めず、姑息(こそく)と受け取られかねない。(略)自身の認識を回避した格好で、歴史修正主義者との疑念を払拭(ふっしょく)できまい」(河北)▽「歴代内閣の姿勢を説明することによって間接的に安倍内閣の立場を示したもので、安倍首相自身の言葉による直接的なおわびではないのである」(沖タイ)

 この談話はだれに向けて出されたのか、そもそも必要だったのか、という視点もあった。

 毎日は「全体に村山談話の骨格をオブラートに包んだような表現になっているのは、首相が自らの支持基盤である右派勢力に配慮しつつ、米国や中国などの批判を招かないよう修辞に工夫を凝らしたためであろう」と分析。「その結果として、安倍談話は、誰に向けて、何を目指して出されたのか、その性格が不明確になった」と論じた。

 南日本は「問われたのは、首相がどこまで主体的に過去の加害を直視できるか、ではなかったか。避けたような印象を与えたのでは、談話を出した意味が問われる」と指摘した。

 愛媛は「近隣諸国が首相の歴史認識に対して抱いている不安を取り除くには遠く、失望を禁じ得ない」と表明し、「一体、何のために談話を出したのか。(略)出さない選択も可能だった」と指摘した。

 朝日はさらに踏み込み、「いったい何のための、誰のための談話なのか」「この談話は出す必要がなかった。いや、出すべきではなかった」と書いた。

外交や政策で具現化を

 この談話を受け、今後をどう展望するのか。「談話にどう魂を入れていくか、首相が問われるのはこれからだ」と高知は指摘した。

 神奈川は「談話で語った歴史に対する真摯(しんし)な姿勢を具体的な外交姿勢や政策で具現化してもらいたい」と注文した。

 中日・東京は次のように結んだ。「負の歴史とも謙虚に向き合い、平和国家としての歩みを止めないのは、私たち自身の決意である。戦後七十年の節目に、あらためて誓いたい」(審査室)

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