5月17日付 離島で津波から命守るには

八重山毎日「大震災の教訓から」

沖縄県石垣市を中心とした八重山地区は江戸時代の1771年、明和大津波が襲来し、人口の3割9313人が亡くなった。津波は30メートル級の大惨事とはいえ、住民には遠い昔の出来事だったが、テレビで東日本大震災の巨大津波の破壊力を目の当たりにし恐怖を実感した。あんな津波が来たら逃げる所がない!

八重山地区の防災の現状と課題を、4月に1面で9回連載。同市立八島小(幼稚園併設)は目の前が海。防波堤から10メートルだから、児童290人、園児59人は津波が来ても2階に上がるしかない。2階も海に面していてさえぎるものがなく、4月1日に赴任した国吉長秀校長は「津波のことで頭がいっぱいだ」。離島が多い竹富町も海抜はせいぜい10メートル。黒島では唯一の避難場所の小中学校も海抜9メートル、2階の廊下が一番安全というのだから小山雅広校長も「対処しようがない」。

お年寄りの介護施設、「いしがき太陽の里」は4階建て。入所者100人のうち3割は寝たきり、自分で歩けるのは1割。海岸から100メートルで3階の海抜11メートルだが、津波が来たら3、4階へ避難するしかない。全職員60人、夜間は6人。うまく誘導するにはどうすればいいか、職員の話し合いが続く。通所や訪問介護の人はどうすればいいのか、難問だらけだ。石垣市が指定した避難ビル9棟のうち7棟は地盤が弱い埋め立て地。

同市の栄地区(39世帯81人)では、阪神淡路大震災で肉親を亡くした小村義信さん(50)が音頭をとって防災会が昨年3月結成された。小村さんは言う。「阪神大震災の時はみんなが無知だった。知識や経験、心の準備があれば助かる命はある」。

担当は編集局の比嘉盛友記者が中心で、上地矢寸志記者も加わった。比嘉記者は「津波が来たら、助け合って逃げるしかないが、ではどこへ、難しい」。(審査室)

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