各社の紙面

10月28日付 森と山を守る「地域力」の今
信濃毎日「シカの乱 食害―中南信からの報告」


 「シカ」といえば、どんなイメージが浮かぶだろうか。信州からはこんな声も聞こえてくる。「かわいい。けど、憎らしくもなる」。連載(七―九月)は広域面に四部構成で計二十四回。長野の中信・南信で深刻なニホンジカによる食害を追い、浮かび上がる課題を探った。

 農林業の被害は今、南信で特に深刻だ。過疎化が進む下伊那地方。根羽村は特産のシイタケが狙われ、地域活性化への意欲まで奪われつつある。村内一万ヘクタールの60%をヒノキやスギの人工林が占める天龍村の愛知県境では、樹皮を食べられて立ち枯れた木が無残な姿をさらす。大鹿村の国有林では林道沿いの下草を食べられ、表土流出の懸念が募る。シカの生息域が広がるに伴い、飯田市の茶畑にはヤマビルが現れるようになり、食害に吸血被害が加わった。

 南アルプス一帯だけで三万頭と推計されるシカ。撃ったり、わなに誘い込んだり、さまざまな捕獲作戦を展開しているが、さほど効果は上がっていない。連載は常に問いかけてくる。シカの乱から「何をくみ取らなければならないか」と。そして一つの方向を示唆する。森と山を守る大切さだ。エネルギー革命、中山間地域の過疎化、ハンターの高齢化……。山での人間の活動力が衰える一方、「山奥に閉じ込められていたシカの縄張りがどんどん広がっていった」。

 シカが増え、食害が広がった、その要因は人間が作ってきたのではないか。丸山貢一・編集局次長兼松本本社報道部長は「地域力をどう再生していくのか」という問題に帰着するという。そして、「信州の土壌に根差し、全国を見据えて森と山の現状をこれからも追い続けていきたい」と語る。松本本社報道部の中川かおり記者を中心に、写真部、伊那・飯田・諏訪支社の六人が取材班を編成して担当した。 (審査室)


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10月21日付 空母配備めぐる「共存」の実像
神奈川「『共存』の座標軸 原子力空母ヨコスカへ」


 米の原子力空母「ジョージ・ワシントン(GW)」が横須賀に配備された。米原子力艦の日本配備は初めてだ。連載は九月九日からGWが米海軍横須賀基地に入港した二十五日まで社会面で計十五回。日米安保体制のもと、空母配備が象徴する「共存」の実像を追った。

 一九七三年から続く横須賀への空母配備。四代目が原子力空母となったが、安全性に問題はないのか。誰もが抱く疑問に対して、連載は今年五月にGWで起きた火災事故や八月に明らかになった米原潜ヒューストンの横須賀基地などでの放射能漏れ事故、さらには二〇〇六年に起きた米原潜停泊直後の横須賀港内での放射性物質検出問題などを取り上げ、日米双方の対応を検証。米からの情報提供に依存し安全対策で消極姿勢が目立つ国や横須賀市と、地元との信頼関係を強調しながら軍事優先の本音ものぞかせる米側の姿を伝えた。

 不安は周辺自治体も変わらない。葉山町長は「心配していないといったらうそになる」と明かすが、空母にかかわる情報は機密のベールに覆われ、手が届かないのが実状だ。

 「基地の街」横須賀では米兵による犯罪が繰り返されてきた。市が実施した市民アンケートでは約六割が「犯罪のないまち」づくりを最優先課題に挙げ、その理由として「米軍基地の存在に不安を感じる」と答えた人が多い。一方で横須賀市は従来の基地・調整交付金のほか、今回の原子力空母配備で〇七年度からの十年間に七十億円を超す特例交付金を受け取る。

 「原子力空母配備で、米の世界戦略の最前線を担う横須賀の基地機能がさらに強化された。大きな節目を考える手掛かりになれば」と渋谷文彦・報道部デスク。武田博音(報道部)、松崎敏朗、成田洋樹、高野学、田中大樹(以上、横須賀支社)の五記者が担当。(審査室)


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10月14日付 豊かな山の全容を多彩に描く
荘内日報「恵みの山 鳥海山」


 山形・秋田県境に、日本海からなだらかな稜線を描いてそびえる鳥海山(標高二二三六メートル)。東北第二の高山だが、一位の燧(ひうち)ヶ岳(福島県)は関東にもまたがる山であり、庄内の人々は「鳥海山こそ東北一の山『出羽富士』」と呼ぶ。四月からの一面連載(週一回)は「その姿は、たまらなく美しく、気品がある」と書き出し、恵み豊かな山の全容を歴史や信仰も交えながら多彩につづる。

 鳥海山は山全体が御神体の神体山だ。山頂には五穀豊穣の神を祭る「大物忌神社」御本社がある。ふもとでは毎春の祈年祭で田畑の実りを願い、集落の代表者が山頂に登拝する。夏の火合わせ神事では豊作や豊漁を祈る。「神宿る山」は人々の心のよりどころでもある。

 活火山である鳥海山が産声を上げたのは約六十万年前。四期にわたる火山活動で現在の山容が形成された。近年では一九七四年に山頂付近で水蒸気爆発があった。ふもとは古代から生活好適地で縄文や後期旧石器時代の遺跡が見つかっている。

 山から流れ出る月光川水系は、日本海側有数のサケの人口ふ化・放流の川だ。明治時代から取り組みが始まり、毎年約二千六百五十万匹ものサケが放流される。熱帯・亜熱帯地域に匹敵する雨量と万年雪が豊かな地下水をはぐくみ、湧水となって生活を潤す。岩ガキ、アオサなど海の恵みも山の豊かな水のおかげだ。

 江戸時代に秋田と山形側の衆徒が山頂領有を争い、その時の幕府評定所の裁定が山頂を山形側とする現在の県境となったという史実も紹介。イヌワシやお花畑などの環境保護や観光にも触れながら、連載(現在二十四回)は年内いっぱい続く。

 筆者は粕谷昭二論説委員。「酒田勤務の時代、毎日の取材がてら眺める山の美しさに魅せられ、いつか書きたいと思って資料を集めていた」という。題字は小野寺喜一郎・遊佐町長。 (審査室)


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10月7日付 政策決定過程を原点から検証
熊本日日「川辺川ダム 知事たちの軌跡」


 熊本県の川辺川に計画されたダム建設に、蒲島郁夫知事が「反対」を表明した。四十二年に及び住民の間に深い亀裂を生み、地域に影を落としてきた巨大公共事業計画。この問題に歴代の知事はどうかかわってきたのか。九月十一日の蒲島知事の「決断」に先立ち、十五回にわたって歴代六知事の政策決定プロセスを検証した。

 発端は、戦後初の公選知事の桜井三郎知事(在任一九四七―五九年)。敗戦からの復興に向け、米国ニューディール政策の象徴でもあるテネシー川開発事業に倣い五〇年一月、球磨川流域のダム建設によって電源開発し、工業県への発展を説いた。表明した開発計画には川辺川の「相良ダム」が盛り込まれた。

 そして寺本広作知事(五九―七一年)二期目の六六年に、旧建設省が治水専用の川辺川ダム計画を発表した。五木村議会は当初、ダム建設に反対するが、抵抗するより、ダムを契機に新たな村づくりを目指すという村民の思いも広がった。

 自民党参院議員から転身した沢田一精知事(七一―八三年)は着工に向けて動き、地元住民の意見が分かれたまま基本計画を県議会に上程。国、県に対する不信と村民間の溝を深めた。細川護煕知事(八三―九一年)を経て、福島譲二知事(九一―二〇〇〇年)の時代にはバブル経済崩壊もあり、大型公共事業見直しの機運が拡大した。

 転機は潮谷義子知事(二〇〇〇―〇八年)。歴代知事の「建設推進」から「中立」へとかじを切った。是非の判断には至らなかったが立ち止まって考える時間が与えられ、今年四月に就任した蒲島知事の決断につながった。「ダム計画の歴史と県が果たした役割を原点から検証した」と社会部の木村彰宏次長。同部の岩下勉記者が中村勝洋記者と共に取り組んだ。   (審査室)


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