一般社団法人 日本新聞協会

パトリック・ハーラン、通称パックン。アメリカ出身。1997年にお笑いコンビ「パックンマックン」を結成し、お茶の間の人気者に。近年は声優やMC、ナレーターとして活躍する他、大学の客員教授も務めている。

パトリック・ハーラン、通称パックン。アメリカ出身。1997年にお笑いコンビ「パックンマックン」を結成し、お茶の間の人気者に。近年は声優やMC、ナレーターとして活躍する他、大学の客員教授も務めている。

今回登場するのは、厳しい家計を助けるため、10歳から新聞配達のアルバイトを8年間継続したという、お笑いコンビ「パックンマックン」のパックンです。アメリカでの新聞配達の経験を伺うとともに、「新聞配達を頑張れた人は、どこへ行って、どんな仕事をしてもきっと活躍できます!」と宣言するパックンから、心強いエールをいただきました。

母親の悩みを減らしたいと新聞配達をスタート

私が育ったアメリカ・コロラド州では、子どもがお小遣いを稼ぐためにちょっとしたお手伝いをするのは自然なことでした。夏になると芝刈り、秋は枯れ葉集め、冬は雪かきと、困っていそうな家を1軒1軒訪ねて、仕事をするんです。私が子どもの時は1軒1ドルくらいでしたが、今はどうなんでしょう。少子化ですし、1軒10ドルや20ドルに値が上がっているのかもしれませんね。

そんな私が新聞配達をはじめたのはちょうど10歳。10歳になるのをずっと待っていて、誕生日後すぐに始めました。きっかけは両親が離婚し、母親が苦労しているのを見て、「お母さんの悩みを減らしたい」「せめて自分のお金は自分で何とかしたい」と思ったからです。芝刈りや雪かきで得られる、いわゆる“お小遣い”ではなく、まとまったお金を定期的に得たかったのです。

待っている人がいるから配り続けることができた

やりたかった仕事とはいえ、つらいと感じたことは多々ありました。朝6時半までに配り切らなくてはなりませんから、朝5時くらいから折り込み広告を入れて、輪ゴムを巻いて、ビニールに包んで、カバンに積んで出かけます。アメリカの家の庭は広いですから、新聞は1軒1軒投げ入れるのが一般的。クリスマスやイースターなどイベントの日は広告もページ数も多く、すごい厚みと重みになるのがイヤでしたね! また、新聞を仕入れて家庭に届け、集金も自分でしなければなりません。それも苦手でしたが、小学生ながら商売をしていたわけですよね。

友達とお泊り会をしている時も、明け方こっそり抜け出し、新聞配達を終えて戻り、また寝たこともありました。旅行も行きづらかったですし、そういう時は辞めたいと思っていました。ただそれでも辞めなかったのは、実際に働き出すと楽しいと感じたからです。自転車に乗るのも楽しいし、新聞をポンと投げるのも気持ちがいい。何より外に出るのが好きだったので、そうした瞬間、瞬間のポジティブな感情があったから続けられたのでしょう。

また、続けられた理由として、責任感もありました。それは新聞を待っている人がいるという事実があったからです。私自身、学生時代に板飛び込みの選手をしていて、試合の成績が良いと新聞に名前が載るのが嬉しくて、届くのを楽しみに待っていました。母親がその記事を切り抜いて壁に貼るんですよ。それがもう誇らしくてね。こうした経験を通じて、「新聞が特別なメディア」だということを知ったからこそ、雨の日も、雪の日も、届け続けられたのだと思います。

左:壁一面に貼られた学生時代の功績 / 右:新聞をいっぱいに積み込んだ愛車

朝の時間に働くことで友達との遊ぶ時間を確保

結局、高校を卒業するまで新聞配達を続けました。高校生の頃の私の生活は、朝3時半に起きて4時前に倉庫に新聞を取りに行き、6時半までに新聞を440軒分配って登校します。廊下でシリアルを食べた後、ロッカーに置いてある枕で仮眠、そして授業が終わるとスポーツや演劇、合唱団など友達とたっぷり楽しんで夜9時に就寝する、これの繰り返しでした。

当時、感じていた新聞配達の良さは、なんといっても放課後に遊べること。お金が欲しい人たちは映画館のチケット販売やファストフードなどでアルバイトしていましたが、それだと友達と遊ぶ時間が無くなってしまうじゃないですか。それは絶対に避けたかったので、朝一番の時間を活用することで自分らしさを失わないよう、学生生活と新聞配達を両立させていました。

時間を効率的に使うのはこの頃から今に至るまでずっと続いている習慣です。当時、宿題すら持って帰るのがイヤで、授業で出された宿題を次の授業中に終わらせていたくらいですから。時間は宝物。つねに何かに活かしたいと思っています。ですから“暇つぶし”という言葉は今も嫌いで。空き時間ができると、どうすれば自分のためになるのか、“暇いかし”を考えるようにしています。

新聞配達員は自信と誇りを持ってほしい

新聞配達を卒業してずいぶん経ちますが、今も私にとって「新聞は特別なメディア」です。今はほとんどオンラインで読みますが、本当は紙で読みたいので、テレビ局やホテルで紙の新聞が置いてあると必ず手に取ります。紙はデジタルと違ってスペースが「有限」ですから、そこに載っている記事の価値はやっぱり高いような気がするんですよ。インク代も、紙代も、さらには配達代もかかるなかで提供される情報ですから、“イチオシ”なんだろうなと。読む側も気持ちが少しピシッとする、そこが紙の新聞の良さですね。

ここまで私のインタビューを読んで、少しでも共感してくれたのであれば、きっと新聞をおもしろいと感じることができる人だと思うので、オンラインでも紙でもいいのでぜひ興味を持ってガンガン読んでみてほしいです。一面のニュースのみならず、経済、スポーツ、ライフスタイルと多岐にわたるので、必ず一つは興味のある記事が見つかると思います。そこを起点に前後の記事を読むなど、どんどん範囲を広げていくと、そのうち新聞が自分の力になっていく感覚が分かるはずです。私の場合も最初は4コマ漫画からでした。

新聞に掲載されている情報は、ネットの匿名記事とは違って出所が明確。社として責任を背負ったうえでその情報を届けています。だからこそその確かな情報は、政治や経済など、社会活動を動かす原動力になっているわけです。つまり新聞配達は、そのエネルギーとなる情報を届けるチームの一員で、“重要なプレイヤー”。社会において非常に重要なポストを担っている自信と誇りを持ってほしいと思います。

ただ私自身、新聞配達をしていた頃はそんな自覚はありませんでしたし、あくまでお金のためでした。現在、新聞配達をしている人の多くもそうでしょう。でもそれでいいと思います。お金のために朝早くに自分を布団から起こし、動き出すみなさんは十分偉い! 堂々と自分を褒めてあげましょう。
新聞配達で鍛えた「仕事筋※」はその後のあらゆる場面で活きることを私は知っています。大丈夫、新聞配達を頑張れた人は、どこへ行って、どんな仕事をしてもきっと活躍できます!

※体力はもちろん、コミュニケーション力や調整力など、仕事に役立つ力を仕事筋と呼んでいます。

新聞を庭先から玄関前まで投げる動きで発達したという見事な「カこぶ」
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