取材を振り返る〖寄稿〗

歴史や環境変化を写す鏡【寄稿】

「写真連載『太田川 恵みと営み』」受賞報告

中国新聞社・安部慶彦氏

「広島の人は太田川を知っとるけど、全国の人は知らんよね」。新聞協会賞への応募後、同僚とそんな言葉を交わしていた。本年度の写真・映像部門の出品作には、ロシアのウクライナ侵攻や知床観光船沈没事故など、国内外の重大ニュースがずらり。さらに、安倍晋三元首相銃撃の写真が追加応募されるという。
だから、まさか選んでもらえるとは思わなかった。授賞理由は、目指した思いを選考委員に代弁してもらったようで、こそばゆかった。今回の受賞は、瀬戸内海や中国山地など地域の自然と向き合ってきた中国新聞の取材や蓄積を評価していただいたと思っている。

アユ増加は川と海再生の証し

安部氏(中国新聞社提供)

太田川は、広島県西部を流れ、広島市街地で6本に分かれて瀬戸内海に注ぐ延長103キロメートルの1級河川。支流を含む流域を舞台として、2020年冬から21年末まで朝刊に月2回、写真連載「太田川 恵みと営み」をプロローグ、総集編を含め計25回掲載した。相次ぐ災害やコロナ禍の中、自然の脅威とともにその豊かさが再認識されていた。身近にある川の姿と、流域に住む人たちの暮らしをカメラで刻みたい――。それが出発点だった。
取材開始は20年秋。最初の頃はどこから手をつけてよいか分からず、会社で検索した太田川に関するパソコン画面ばかり眺めていた。ある日、机の上に潜水用のドライスーツが置かれていた。10年前、瀬戸内海取材で先輩記者が使った物だった。「とりあえず泳いでこい」――。動きの鈍い自分に対するデスクからのメッセージと感じた。腹回りは少しきつかったが、涼風の吹く10月、流れに身を任せ、太田川を下ってみた。それで、とにかく現場に出ないことには始まらないと痛感した。
「アユは海と川を行き来する。ここ数年増えてきたのは、太田川と広島湾が再生しとる証しよ」。太田川漁協の組合長に聞いた言葉が、連載スタートのヒントになった。減少の一途をたどったアユが近年回復しているという。漁協や広島市が川に産卵場を造り、成果を上げていることも知った。都市の浅瀬で命をつなぐ群れを最初に撮ろうと決めた。
しかし、撮影はのっけから困難を極めた。川に潜り、産卵場周辺も探したが、群れは見当たらない。11月上旬、しびれを切らした高橋洋史デスクが取材に同行。高橋デスクは連載写真企画「命のゆりかご~瀬戸内の多様な生態系」で、12年度協会賞を受賞している。再び潜った川で、魚影の黒い塊を見つけた。「魚になった気持ちでやれよ」。その一言が刺さった。水中カメラを使い、リモートでの撮影に成功。撮影までに約1か月を要し、生き物取材の難しさを実感した。

流域の自然と向き合った1年

寒波後の恐羅漢山頂に現れた樹氷群
=広島県安芸太田町で2021年1月12日、安部慶彦氏撮影(中国新聞社提供)

四季の移ろう自然や動植物の生態、人々の営みにレンズを向け、約1年2か月にわたってほぼ毎日、流域を歩いた。取材地は広島県内だけだが、車の走行距離は計2万5千キロに迫った。雪山や氷瀑など危険を伴う現場は、高橋デスクと広田恭祥・動画担当デスクとの3人体制で出掛けた。大学の探検部で鍛えた高橋デスクからは、雪を踏み固めて進むラッセルや、滑落防止の訓練も受けた。
万全に備えたつもりでも、ヒヤリとした場面があった。渓谷では電波を失ったドローンが墜落し、急流を渡る途中では機材が流されたことも。両デスクや部内の同僚に支えてもらいながら、何とか取材を続けることができた。
従来の一眼レフに加え、ドローンや水中カメラ、アクションカメラなどの機材を組み合わせて、躍動感やスケール感を引き出せるようさまざまな手法を試みた。数年ぶりの強い寒波に見舞われた21年1月、広島県最高峰の恐羅漢山(1346メートル)を目指した。山頂ではドローンの機体を使い切りカイロで温めながら、視界が開けた瞬間を狙って樹氷群を撮影した。
厳しい自然の中で見せる太田川の表情。穏やかな流れとともに暮らす都市部の人たちには知られざる一面だと思った。だからこそ美しく、引き込まれた。100年後の太田川はどうなっているのだろうか、今を克明に記録したいとも思った。

太田川沿いを走るJR可部線。廃止された旧田之尻駅では住民の男性が掃除を続ける
=広島県安芸太田町で2021年2月2日、安部慶彦氏撮影(中国新聞社提供)

モクズガニの遡上そじょうやサツキマスの産卵など、季節ごとに繰り返される多彩な命の循環もテーマにした。その過程では、野生動物や海、川の生き物を長年撮り続け、ノウハウを蓄えてきた先輩たちから技術を学んだ。太田川の環境保全に取り組む同僚や、流域を取材エリアとする支局の新旧支局長からも数多くの情報をもらった。
身近な川は、地域の歴史や環境変化を映す「鏡」でもあった。中流域で今も続く漁を取材しようと、何度も通って川舟に乗せてもらった。舟は、かつては物流や交通を支える基盤だった。過疎化や鉄道廃止の影響、森林の開発計画……。川のそばに立ってレンズを向け、住民と膝詰めで話すうち、流域が抱える問題を知った。過疎高齢化の中、自然や伝統、文化を受け継ごうとする人たちとのつながりもできた。全国どこの河川でも起こりうる問題として、丹念に探って伝える意義を感じた。

デジタルが広げた地方紙の可能性

広島市北部にある宇賀大橋。学校帰りの子どもたちが床板を踏む音が聞こえる
=広島市安佐北区で2020年12月23日、安部慶彦氏撮影(中国新聞社提供)

連載は中国新聞のウェブサイト「中国新聞デジタル」でも展開した。「地方紙だからできる面白いことをやろう」。社内に新設されたデジタルデスクに声をかけられ、広田動画担当デスクを交えて戦略を練った。本心は「写真も記事も動画も……全部はできませんよ」と叫びたかったが、既に広田デスクが最新のミラーレスカメラを用意し、準備を進めていた。
現場ではデスクの協力も得ながら動画を撮影。各回2~4分にまとめた。映像だけでなく水流や風の音、生き物の声にもこだわり、部内の動画編集チームの力を借りて物語を仕上げた。太田川の表情を多角的に伝えたいと、ウェブには紙面未掲載の写真ギャラリーも開設。毎回10~20枚を並べ、計25回の連載で合わせて計約340枚を公開した。
ツイッターなどSNSと連動し、連載を展開した。遠方に住む広島県出身者から多くの反響が届き、東京にある県内高校OB会からも声をかけてもらった。配信したヤフーニュースには、英語圏からの書き込みもあった。一つの川に1年以上かけて向き合う――。地方紙だからできる面白いことは、きっとまだまだあるだろうと無限の可能性を感じた。
連載は川の専門家や水生生物、鳥類の研究者、地域づくりのメンバー、国や自治体の関係者たち多くの皆さんの協力なしには完走できなかった。終了後には、広島県北部の施設で写真を紹介したいとの依頼を受け、パネルを貸し出した。「子どもたちが太田川の恵みを知るきっかけになれば」。住民の言葉が胸に響いた。
さらに受賞が決まった後も流域の関係者からメッセージをいただいた。「川での活動の励みになる」「広島の川文化を知ってもらうきっかけにしたい」――。自らのことのように喜び、祝福してくださった。あらためてお礼を申し上げたい。

時として川の流れは牙をむく

豊かな「恵み」をもたらしてくれる太田川だが、中国新聞社として忘れてはならない痛恨事も加えておきたい。16年前の9月、先輩記者が豪雨の取材に向かい、太田川支流の沿岸で消息が途絶えた。松田高志さん。当時27歳。太田川中流域にある支局に勤務していた。3期上の先輩で、直接面識はなかった。しかし、今回の取材の中で多くの方から松田さんの話を聞いた。「いつも熱心に取材に通ってくれた」「本当に真面目で冗談を言う人でなかった」――。今も流域で語り継がれている先輩をあらためて誇りに思う。
時として、川の流れは牙をむき、人に襲いかかる。連載のタイトルとした「太田川 恵みと営み」を将来に引き継ぐことは、奪われた数多くの尊い命を忘れないためでもある。

<筆者プロフィール>

中国新聞社
防長本社編集部(前編集局報道センター映像担当)

安部慶彦(あべ・よしひこ)氏

(2022年10月11日)