歴史的転換の実像に迫る【寄稿】
「安倍政権の日ロ交渉を追った長期連載『消えた〈四島返還〉』を柱とする『#北方領土考』キャンペーン」受賞報告
その日は突然やってきた。2020年8月28日、歴代最長政権を築いた安倍晋三首相の辞任表明。「ロシアとの平和条約、また憲法改正、志半ばで去ることは断腸の思いだ」。安倍氏は記者会見で、ロシアのプーチン大統領との首脳会談を重ね、膨大な政治エネルギーを注いだ日ロ交渉について、ほとんど語らないまま退場した。安倍氏は18年11月、シンガポールでのプーチン氏との首脳会談で、1956年の日ソ共同宣言を平和条約締結交渉の基礎に位置付けることで合意した。同宣言は択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島からなる北方四島のうち、歯舞と色丹を平和条約締結後に日本に引き渡すことを明記している。一方、択捉、国後には一切触れていない。同宣言を交渉の基礎としたことは、歴代政権が目指してきた「四島返還」から「2島返還」への大転換を意味していた。
膨大な取材メモを再検証

取材班は、安倍氏の方針転換を当時から踏み込んで伝え、その後も動向を追ってきたが、交渉は進展がないまま完全に行き詰まっていた。政府・与党内で対ロシア外交への関心は失われ、メディアの報道は水が引いたように減っていた。
安倍氏はシンガポール会談以降も、日ロ交渉について「日本の基本的立場は変わっていない」と繰り返していた。このため政界や一部メディアには、安倍氏は「四島返還を諦めていない」といった、実態と異なる解釈や評価が根強くあった。安倍氏はなぜ歴史的な転換に踏み切り、それでも解決できなかったのか。今後の日ロ関係や日本の対ロ戦略を考えていくためにも、最前線で追い続けてきた取材班が、できる限り詳細な「歴史の記録」を残さなければいけないと考えた。
第1次政権を合わせて約8年8か月間の安倍氏の首相在任期間中に行われた通算27回のプーチン氏との首脳会談は、合計で48時間に及ぶ。そのうち通訳だけを交えた「テタテ」と呼ばれる首脳2人だけの会談は約9時間。テタテのやりとりは、今もほとんど公表されていない。
日ロ双方の関係者への取材を重ねてきた取材班は、18年の安倍氏の2島返還方針への転換のほか、16年に安倍氏が、歴代政権が慎重姿勢だった北方四島での日ロ共同経済活動の検討に踏み切ることなどを、他メディアに先駆けて報じてきた。ただ、その意思決定に至った政権内の動きや、首脳間の具体的なやりとりなど、多くはベールに包まれていた。
12年12月の第2次安倍政権発足から、安倍氏の退陣までに、北海道新聞で日ロ取材に関わった記者は50人以上。積み重ねてきた取材メモは約1万7千件に上った。安倍対ロ外交の検証は、取材メモを一から再チェックする作業から始めた。
日ロ取材に長く関わる歴代のモスクワ支局長が、数週間かけて膨大なメモを丹念に読み込むことで、関係者の発言の変化や当時は見逃していた事実などが徐々に浮かび上がってきた。それを基に日ロ双方の関係者に追加取材を重ねた。
こうした中で、2島返還への方針転換に至る安倍政権内の詳細な動きや、日ロ共同経済活動を巡ってロシア側から極秘提案があったことなど、表に出ていなかった幾つもの新事実が分かった。

=2021年6月18日、マリヤ・プロコフィエワ助手撮影(北海道新聞社提供)
安倍政権の対ロ外交を長期連載にまとめるに当たって、取材班が描きたかったのは、交渉の全体像とともに、ロシアが実効支配する北方領土に向き合いながら、北海道東部で暮らしてきた数多くの元島民や漁業者の思いだった。北方領土問題が国と国の政治や外交の問題だけでなく、国民の暮らしや人生に影響を与えてきたことを知ってもらい、身近に感じてもらいたかったからだ。
また記者が、この問題をどのように取材し、報じてきたかも記録に残そうと考えた。現場の臨場感や記者の思いを伝えることで少しでも読みやすくなればとの思いとともに、新聞記者という仕事の魅力や意義を若い人に知ってほしかった。
情報の確度を徹底して見極める
北海道新聞で日ロ取材に中心的に関わるのは、外務省担当やモスクワ支局のほか、北海道に隣接するサハリン州にあるユジノサハリンスク支局、北方領土との交流の玄関口となってきた根室支局の記者たちだ。さらに首相官邸や、経済産業省などの日ロ協力に関係する省庁、元島民や返還運動団体の拠点がある札幌などの担当記者も連携して取材している。
私は12年の第2次安倍政権発足直後に、東京報道センターの外務省担当となり、14年にモスクワ支局に赴任。17年に東京に戻り、国際や政治の担当部次長をしながら、日ロ取材に関わり続けてきた。
全国紙に比べ、東京などの記者の数が少ない中、力を入れてきたのが情報共有だ。各記者は取材した情報を、インターネットの専用掲示板にこまめにアップ。他の記者はその情報が正しいかどうか、別の関係者に当たって確度を見極め、記事化すべきかどうかを判断する――という基本作業の徹底を心がけてきた。
各国の国益や思惑が絡み合う外交交渉は、互いに想定したシナリオ通りにはなかなか進まない。例えば日ロ間の政治対話の日程一つをとっても、日本側の希望をロシア側がどう受け止めているか、どこまで外交当局間で調整が進んでいるのかなど、慎重な見極めが必要になる。
特に、経産省出身の官邸官僚が外交に影響力を及ぼした安倍政権下では、ロシア側関係者への取材も含め、情報をクロスチェックする作業が極めて重要だった。通常なら官邸内で安倍氏との関係が近い官僚からもたらされる情報は、それだけでニュースになる可能性があるが、対ロ外交の経験が薄い経産官僚が主導していただけに、しばしばロシア側の考え方や過去の交渉の経緯を考慮していないような情報が散見されたからだ。
安倍氏が北方領土問題に「終止符を打つ」と訴えていたこともあり、政権内からは進展をアピールしようと、楽観的なリークが繰り返された。首脳会談などが近づくと、「甘い見立て」に基づいてメディアの報道も過熱し、結果的に「誤報」となるケースが何度もあった。
北海道の地元紙として、故郷の返還を願い、交渉の行方を見守ってきた元島民たちをミスリードした情報で一喜一憂させてしまうわけにはいかない。ニュースの早さとともに、正確さが何より重要だと考えてきた。
初のデジタル先行の試み
連載「消えた『四島返還』」は私と、後任のモスクワ支局長の小林宏彰、そして現在の支局長の則定隆史の3人で分担して執筆。どうしん電子版のオリジナルコンテンツとして、21年7月から全9章93話を特設ページ(https://www.hokkaido-np.co.jp/abe2800)で先行公開した。北海道新聞が大型連載を電子版で先行公開したのは初めての取り組みだった。道内だけでなく、全国の幅広い読者に日ロ関係に関心を持ってほしかったからだ。目を引くデザインにこだわり、動画も作成。道外の読者や専門家からも反響があり、その後、書籍も発売した。

=2019年1月14日、小林宏彰氏撮影(北海道新聞社提供)
今回、新聞協会賞を受賞した「#北方領土考」キャンペーンの契機となったのは、21年12月に安倍氏への単独インタビューが実現したことだった。安倍氏はシンガポール会談で日ソ共同宣言を交渉の基礎としたことについて「100点を狙って0点なら何の意味もない。到達点に至れる可能性があるものを投げかける必要があった」と明言。四島返還を断念し、2島返還を軸とした交渉に転換したことを事実上認める証言だった。
取材班のこれまでの報道を裏付けた安倍氏の発言を受け、電子版に掲載した「消えた『四島返還』」を加筆修正し、紙面に連載することが決定。22年は北方四島とのビザなし交流開始から30年の節目に当たることもあり、2月から連載のほか、特集記事や企画を随時掲載していくキャンペーンをスタートさせた。
ただ、その後は波乱続きだった。連載開始の約半月後に、ロシアがウクライナに侵攻。連載は構成を見直し、8年前のロシアによる一方的なクリミア編入後の安倍政権の対応などを、大幅に加筆することになった。
ロシアは対ロ制裁を発動した日本への対抗措置として、3月下旬に平和条約交渉を拒否し、四島とのビザなし交流や共同経済活動を停止すると発表。岸田文雄政権も安倍政権以降の対ロ関係の見直しを表明し、関係は一層冷え込んだ。
7月の第5部の開始直後には安倍氏が銃撃事件で死去。連載はこうしたウクライナ侵攻後の動きを含め新たに書き下ろし、連載当初の予定を大きく上回る125回で完結。累計の取材メモは合計で2万件を超えた。
隣国に向き合い続ける

「政治家はいつも『元島民が生きている間に』と言うが、もうしばらくしたら全員いなくなってしまう。その時、北方領土問題をどうするつもりなのか」
連載の最終回は、色丹島出身で根室市で暮らす元島民、得能宏さん(88)の声で締めくくった。
終戦時、1万7291人いた元島民は、22年6月末には5446人まで減った。平均年齢は86歳を超える。「私たちには時間がない」。そんな元島民たちの切実な声が、取材の原動力になってきた。
安倍氏は、プーチン氏との信頼関係を過信して譲歩を重ね、「日本は四島返還を断念した」という「負の遺産」を残した。しかし、多くの政治家たちも戦後77年、未解決のままの北方領土問題に、どこまで真剣に向き合ってきただろうか。
ロシアのウクライナ侵攻を受け、日ロ関係がかつてないほど冷え込む中、政界からは「ロシアと対話する必要はない」との声も聞こえてくる。だが、ロシアが隣国であることに変わりはなく、そこに向き合って暮らす人々がいる。日本がロシアのウクライナ侵攻にどう対処していくのか。また、今後、ロシアとどのように対話を再開し、関係を築いていくのか。それを考えていくためにも、政府は安倍政権の対ロ外交とは何だったのか、しっかりと総括する必要があるだろう。
10年にわたった北海道新聞の日ロ取材の積み重ねが今回、新聞協会賞を受賞したことは、大きな励みであり、支えてくれた同僚記者たち、取材に協力してくれた数多くの方々に感謝している。受賞が、北方領土問題に1人でも多くの人が関心を持ってくれるきっかけになることを願っている。日ロ関係が「冬の時代」とも呼ばれる中、取材班は隣国ロシアに向き合い、最前線から報道を続けていきたい。
<筆者プロフィール>

北海道新聞社
北海道新聞日ロ取材班
(代表)編集局東京報道センター部次長
渡辺玲男(わたなべ・れお)氏
(2022年10月11日)