人災を生んだ背景に切り込む【寄稿】
「連載『残土の闇 警告・伊豆山』と一連の関連報道」受賞報告
2021年7月3日、あの日の朝、私は2日前から降り続いていた雨を気にしながら、静岡県熱海市のホテルで東京五輪の聖火ランナーを務めた男性を取材していた。「歴史的イベントに参加して古里を盛り上げたかった」。ランナーに応募した動機をそう語った男性の笑顔をカメラに収め、次の取材に向かおうとした時だった。スマートフォンからメール着信音が。画面に目をやると、市の防災メールで「伊豆山地区で土石流発生」との文字。詳しい発生場所も分からないまま、とにかく伊豆山に直行した。
被災者の優しさが原動力に

ホテルから北に約6キロ離れた伊豆山に着くと、集落は不穏な空気に包まれていた。「山の上で家が流されたらしい」「ここは大丈夫かな」。住民の不安げな声を聞いた次の瞬間だった。真っ黒な土砂が、伊豆山の中心部を流れる逢初川上流から押し寄せ、瞬く間に住宅や車を破壊した。泣き叫ぶ子ども、ぼうぜんと立ち尽くす高齢者。災害とは無縁の地と言われていた伊豆山はたちまち地獄絵図と化した。
実は前述の聖火ランナーの男性も伊豆山の住民で、私がいた国道135号に架かる逢初橋付近にあった自宅が土砂に押しつぶされていた。発生から数時間後、現地で取材を続けていた私にその男性から電話があった。「僕は無事です。豊竹さんは大丈夫ですか?」。住み慣れたわが家を失ったショックを抱えながらも、他人を気遣う男性の優しさに何とも言えない感情がこみ上げてきた。今思えば、彼のあの一言がその後の取材活動の原動力になったような気がする。伊豆山の人々に寄り添いながら、この災害に潜む〝闇〟を追及しようと。

災害関連死を含め27人が死亡し、1人が行方不明になった大惨事は、142世帯、136棟の物的被害ももたらした。今も多くの住民が伊豆山を離れて避難生活を送っている。静岡新聞社は発生当初から60人を超える記者が連日交代で現地に入り、住民の悲痛な叫びに耳を傾けてきた。その過程で浮かび上がったのは、日本三大古泉の一つ「走り湯」が湧き、平安時代から信仰の地として栄えた伊豆山という地に対する住民の誇り、急斜面に建設残土を投棄しただけの「盛り土」などずさんな開発行為を続けて住民の誇りを踏みにじった土地所有者や造成業者の存在、そして、法令を無視した開発行為を阻止できぬまま10年以上も放置してきた行政の姿だった。
災害はなぜ防げなかったのか
連載では、取材班が全36回にわたってこれらの背景を慎重にひもといてきた。初回の取材に協力していただいたのは、自宅の中に流れ込んできた土砂から幼いわが子を必死に守った末に、帰らぬ人となった女性の両親だった。女性の一家が暮らすアパートと目と鼻の先の場所に住んでいたものの、わずか数メートルの差で被災を免れた両親は、娘や孫を助けに行こうとしても土砂に阻まれて近づけなかった。「危険な盛り土があったことも、上流で土石流が発生したことも、なぜ誰も知らせてくれなかったのか。1分もあれば娘は助かった」。女性の母親は、思い出したくもないであろうあの日の出来事を詳細に語ってくれた。以来、何度も顔を合わせているが、そのたびに涙を流しながら当時の状況や消えることのない悲しみ、怒りを打ち明けてくれる。「あの悲劇の真相を明らかにしてほしいから」
他の遺族や被災者からも同じ言葉を聞いてきた。何の落ち度もない人たちがなぜ生命、財産、そして尊い日常を奪われなければならなかったのか。こんな理不尽を受け入れられるはずがない。この災害は人の手で未然に防げた「人災」だ。取材を重ねるうちに、取材班の誰もが、その思いを強くしていった。
悪質な業者と行政の不作為

=2021年7月7日午後1時56分、静岡県熱海市伊豆山、静岡新聞ヘリ「ジェリコ1号」から(静岡新聞社提供)
土石流の被害を拡大させた逢初川源頭部の「盛り土」は2007年、当時の土地所有者である神奈川県小田原市の不動産管理会社が熱海市に造成を届け出た。同社は崩落した盛り土部分を含め約35万坪(約1・2平方キロメートル)を所有し、当初は高級リゾート分譲地の開発を夢見ていた。同社の代表者は、自身が幹部を務めていた同和関連団体の名刺を熱海市や静岡県の職員に差し出したり、違法伐採などが発覚するたびに指導に入る職員に大声でまくし立てたりすることがあったという。だが、開発が思うように進まなくなると、リゾート分譲地にする予定だった土地に建設残土が次々に運ばれるようになった。
「盛り土」とは名ばかりの残土処分場に成り果てた現場には、届け出の2倍近い推定7万立方メートルの土砂が盛られた。高さは県条例の基準の3倍を超える約50メートルに達していた。土砂の多くは県外から搬入された建設残土で、木くずやコンクリート殻などの産業廃棄物、神奈川県二宮町の指定ごみ袋などが混じっていた。盛り土は小規模な崩落を繰り返し、残土は川を伝ってアワビや伊勢エビを育む伊豆山の豊かな海をたびたび濁らせた。
土砂搬入の中止を求める行政指導に従わない同社に対し、熱海市は「住民の生命財産に危険を及ぼす」と判断。県条例に基づき同社に安全対策の実施を命じる措置命令を出す決断をした。ところが、同社側が対策工事に着手したとの理由で命令発出を見送った。「一定の安全が確保された」と判断した熱海市。しかし、工事はすぐに放置され、同社とはその後10年近く音信不通になった。県が所管し、条例より規制力の強い森林法や砂防法などの法律を適用していれば源頭部の乱開発は防げた可能性もあった。しかし、県は条例による指導権限しか持っていない熱海市に対応を任せていた。
問題の土地は11年に実業家の男性に所有権が移った。男性側は熱海市に対し、未完だった安全対策工事を行うと約束していたが、実行しなかった。それどころか、盛り土の近接地で無届けの開発を繰り返した。やがて担当職員の人事異動などで行政の問題意識は徐々に薄れていき、現場の是正に行政が大なたを振るうことは土石流が発生するまでなかった。
大前提として、不適切な残土投棄や行政指導を無視した土地所有者、造成業者の責任は重い。ただ、それを止める権限があったのに行使しなかった行政の不作為も見逃せない。取材班は盛り土に絡んだ行政、民間の関係者への取材や、関連する数千ページを超える公文書を読み込み、造成から土石流に至るまでの経緯を調べることに膨大な時間を費やした。特に土地所有者や造成業者はなかなか所在がつかめず、わずかな情報を頼りにいくつもの関係先を当たった。ようやく本人から話を聞くことができても、誰もが自らの関与を否定し、他者に責任をなすり付けるような発言ばかりが目立った。
連載や一連の関連報道を通じ、逢初川源頭部で行われてきたことの詳細や関係者の発言を知った被災者や地元住民からは、多くの怒りや嘆きの声が届いた。「責任がうやむやになってしまったら、亡くなった人に顔向けできない」「もっと真相を追及してほしい」――。その一言一言がさらなる取材の力になった。
問題を追う中で、悪質な残土ビジネスを全国一律で規制する法律がない実態も浮かび上がった。不適切な盛り土は高度経済成長期から関東近郊を中心に社会問題化していた。1990年代後半には千葉県や神奈川県など首都圏の県が次々に残土処分を規制する条例を制定した。一方で、条例が未整備、あるいは罰則などが緩い県が残土搬入先のターゲットになっていった。首都圏に近い静岡県東部はその矢面に立たされ続けた。伊豆山の土石流が発生するまで運用されていた静岡県の条例の罰則は「罰金20万円以下」。残土ビジネスで巨額の利益を得る業者への抑止力は働かなかった。他県でも同様の事例がいくつもあり、都市部の開発のしわ寄せが地方に集まっていた。
こうした実態に対し、国の腰は重かった。2000年代初頭から法整備の議論はあったが、国土交通省、農林水産省、環境省といった関係省庁は後ろ向きで、「権限や予算を奪い合うのとは真逆のネガティブ権限争議だった」と明かす国会議員もいる。国会内にも建設業界に配慮する空気が漂い、法整備は遅々として進まなかった。伊豆山の土石流を教訓に22年5月、国の盛り土規制法が成立したが、悪質な残土ビジネスを撲滅するには課題が多い。残土の処分先だけを規制するのではなく、発生源からの流通履歴を管理する仕組みを構築しなければ実効性は伴わず、根本的な問題は解決しない。連載を通じて取材班が打ち出した提言では、全国的に再発防止が徹底されるよう、この点を強く訴えた。
理不尽を繰り返させぬために

=2022年5月18日午前、静岡県沼津市御幸町(静岡新聞社提供)
もっと早く国や自治体が本腰を入れて不適切な残土の処分を規制していれば――。集落の上流に危険な盛り土があることが住民に周知されていたら――。住民の命も、伊豆山の自然や日常も奪われなかったと信じている。あの惨状を目の当たりにした一人として後悔が尽きない。土石流で母親を亡くし、土地所有者や行政の法的責任を追及している男性の言葉が印象深い。「無能な行政と、おとなしい住民が重なったところに悪質業者がはびこる。だからこそ団結して悪に
静岡新聞社は、1989年7月に発生した伊東市沖の海底噴火に端を発し、県民とともに地震・火山列島で生きる知恵を探った「地球のシグナル」や、76年に提唱された東海地震説に困惑する現場の課題を追いながら、地震への備えを国民的議論へと促すきっかけとなった「沈黙の駿河湾 東海地震説40年」などの長期連載を通じ、地域に密着しながら住民の生命を守るために必要な提言を繰り返し発してきた。今回の「残土の闇 警告・伊豆山」も、自然災害とは別の要素が絡んでいるとはいえ、こうした伝統を受け継いだ連載だと自負している。地域に生じたささいな異変や、住民の小さな声をどこよりも丹念に取材して発信できることが地方紙の強みであり、使命だと思っている。伊豆山の残土問題は、まだ解明できていないことが多く残っている。復興への道のりも長く険しい。今回の受賞を励みに、これからも地域に寄り添った取材を続けていきたい。
<筆者プロフィール>

静岡新聞社
熱海土石流取材班
(代表)熱海支局長
豊竹喬(とよたけ・たかし)氏
(2022年10月11日)