取材を振り返る〖寄稿〗

衝撃の現場写した「鳥の目」【寄稿】

新聞協会賞「焼け落ちた沖縄の象徴」受賞報告

沖縄タイムス社・崎浜秀也氏

首里城が燃えた─。2019年10月31日未明に発生した火災は瞬く間に首里城の正殿など、主要な建物を焼失させた。
「那覇市の首里城公園で火災が発生した」。警備会社から119番通報があったのが、31日午前2時40分頃。首里城は那覇の街が見下ろせる高台にある。消防車やパトカーのけたたましいサイレンで、異変に気づいた市民も多かったはずだ。ライバル紙の琉球新報は覚知が当紙より早かった。当紙の警察担当に幹事連絡が入ったのが午前4時すぎ。ウェブサイトの第1報は琉球新報が午前4時20分頃、当紙は午前4時53分。この差は覚知の差と見ていい。当紙は編集局内の連絡網がうまく機能せず、取材態勢を整えるのに時間がかかった。どう挽回するか。まずは、写真を押さえることである。メーンで動いた写真部記者2人の初動から撮影までを追ってみる。

モニターに映る焼けた首里城

崎浜氏(沖縄タイムス社提供)

金城健太(当時45)は午前4時15分に届いた編集局からのメールで火災を知った。「ぼやかもしれない」と半信半疑で身支度をしていると、立て続けに緊迫した内容のメールが入ってきた。すぐに、金城は小型無人機ドローンの飛行を決め、大慌てで那覇市内の自宅からタクシーで本社へ向かった。たまたまだが、前日にドローンの充電と機体のチェックを終えていた。以下は金城の報告である。
首里城が焼失した昨年10月31日。息を切らしながら首里城のふもとにある大きな池の「龍潭」に着いたのは午前4時50分頃だった。炎を見上げる地域住民や警察官らで通りは物々しい雰囲気に包まれていた。すぐにドローンをセッティングし、離陸させた。「ブーン」と静かな羽音を鳴らしてドローンは龍潭上空を渡り、火災現場を目指す。機体の赤い灯火が水面を走った。
夜明け前、那覇の街の真ん中で焼ける首里城がモニターに映し出された。奉神門の外にいる消防隊員が見える。大量の煙が南西へ流れていた。風上の北殿側から撮影を始めた。この時、正殿は既に焼け落ちていた。
近年のドローンの性能向上には目を見張るものがある。使用した機体も姿勢制御が安定していて、低速シャッターでも撮れることを、経験から知っていた。絞りを開けすぎず、ISO感度も上げすぎずに撮ることを意識した。
数分間の飛行後、機体を戻すとすぐに警察官から職務質問を受けた。国土交通省大阪航空局発行の、夜間や人口集中地区での飛行についての許可・承認書を見せた。警察官が去った後、気を取り直して再度飛ばし、午前6時前、火勢が少しだけ弱まったところを写したコマが、翌11月1日付朝刊1面に掲載された。
ドローン空撮では、低高度から迫力ある構図が撮影できる。この「鳥の目」を「読者の目」「市民の目」として、これからも報道写真の現場で活用したい。

幅広い世代が抱いた喪失感

「首里城で火災が発生し……」。田嶋正雄(当時48、現社会部デスク)は遠くで響く防災無線の放送を聞いた。午前4時過ぎだった。同僚から火災発生を伝える電話も入り、眠気は吹き飛んだ。日頃から玄関に用意している撮影機材一式を詰めたカメラマンバッグを背負って飛び出した。田嶋の報告はこうだ。

火災で赤く染まる空を見上げる地域住民ら
=2019年10月31日午前6時13分、那覇市首里真和志町/田嶋正雄撮影
(沖縄タイムス社提供)

午前4時半、那覇市首里当蔵町の交差点に着くと、真っ赤に燃え上がる首里城正殿が見えた。とても現実とは思えなかった。多くの住民が寝間着姿のまま見上げていた。数枚の写真を撮影し、そのうちの1枚を急いで速報用に送信した。デジタル部員へのメール送信の作業中「バチバチバチ」「ゴゴゴー」と轟音が響き、炎を噴き上げて正殿の梁が焼け落ちた。慌ててカメラを構え、さらに数枚を撮った。人々の間から「ああー」と悲嘆の声が聞こえた。
朝焼けの守礼門前では首里高校の女子生徒たちが泣いていた。「当たり前に身近にあると思っていたものがなくなってしまった」と言葉を詰まらせるのを聞き、幅広い世代が喪失感を抱いていることを痛感した。人々の思いを伝えたくてシャッターを押した。あの日、自分があの現場にいて撮影したのは、たまたまでしかない。ただ「たまたま現場に居合わせる」ために準備と工夫が必要なことは、数々の失敗の中で学んできた。自分の中では撮影に成功した記憶よりも「撮り逃がした瞬間」への後悔の方が強い。
新聞写真は時代の記録だ。当紙写真部の先輩たちは戦後の沖縄社会の歩みを記録し続けてきた。今回の受賞は、これまで地道な仕事を積み重ねてきた先達や同僚の代表で受けるのだと思っている。
23年前の入社当時、写真の撮り方を尋ねても、部長は「押せば写る」としか教えてくれなかった。「押さなきゃ写らんさーね」の口癖は「現場に行って、とにかく撮れ」の格言だったのだと今、かみしめている。

言葉のいらない1枚

金城がドローンで撮った1枚は、火災翌日11月1日付朝刊と、テレビ欄を外した最終面を見開いた紙面に大判で載った。首里城が焼け落ちる決定的な瞬間を捉えたこの1枚に言葉はいらない。

焼け落ちた首里城正殿(中央)。
手前の北殿、奥の黄金御殿や書院にも延焼し、激しく煙が上がった
=2019年10月31日午前5時58分、那覇市首里当蔵町
/小型無人機で金城健太撮影 (沖縄タイムス社提供)

一方で、田嶋が撮った首里高校の女子生徒が涙に暮れる写真は、世代を超えた悲しみを伝える1枚として2社面に掲載した。いわゆる雑観用である。
新聞協会賞には「焼け落ちた沖縄の象徴」として同日付朝刊に載った写真部員撮影の写真10数枚で応募した。金城や田嶋の他にも数人が撮影に加わった。
その中でも高い評価を得たのが、金城が撮ったドローンによる全貌であり、田嶋の女子高校生の写真だった。
写真は事象をより分かりやすく、具体的に伝えるもので、文字表現を補完する。だが、時として言葉はいらず、写真が語る。手前みそになるが、今回の2人の撮った写真がまさにそれではないかと思う。
地域を熟知した地元紙記者として、撮影ポイントを瞬時に見極める。地の利があったのは確かだが、それが価値ある写真に結びつくかは、記者個人の日頃の取材活動の積み重ねであり、経験値、撮影技術である。田嶋が語った「『たまたま現場に居合わせる』ために準備と工夫が必要」は言い得て妙である。
首里城火災で当紙は火災当日の10月31日に号外(画像)を1万部発行した。11月1日付は1面と最終面を見開く形で「首里城炎上 正殿が焼失」「沖縄の象徴崩落」の見出しがついた。そのほか、2面や社会面、2社面、特集面など12か面に関連の記事が載った。
火災から約2週間後には紙面掲載写真を含め、首里城の歴史や焼失前の施設などを紹介した『報道写真集 首里城』を緊急発行。経費を差し引いた利益全額が再建募金に寄付された。さらに、タイムスギャラリーや県庁ロビーで写真展を開催し、多くの県民が訪れた。県外団体からの写真貸し出しの要望にも応えた。

プロ意識が生んだ挽回

首里城焼失にショックを受け、
守礼門前で涙を拭う首里高校の生徒
=2019年10月31日午前7時49分、
那覇市首里金城町/田嶋正雄撮影 (沖縄タイムス社提供)

この寄稿の前半で、当紙の覚知が遅れたと書いた。かくいう私もメールに気づかず、早朝、出勤や登校の準備をしている家族から「首里城が大変なことになっているよ」と知らされ、事態の深刻さをテレビで確認した1人だ。血の気が引き、情けない思いに襲われた。出社後は大量に出稿された写真原稿と格闘しながらデスクとして翌日の紙面作りにかかわった。
興奮状態の中、どうにか降版にこぎつけたものの、一息ついても達成感はなく、出遅れた負い目を引きずっていた。
それでも、その負い目は朝になって少し晴れた。「紙面では負けていない」。届いた朝刊を琉球新報と見比べ、そう感じた。金城や田嶋のほか、ペン記者を含め、総力戦で紙面を作った全ての編集局員に感謝した。
金城、田嶋の2人は日頃から準備を怠らず、写真の質にこだわった。彼らのプロ意識が挽回を生んだと言える。実際、初動から撮影までを短時間でやり遂げ、覚知の遅れを詰めることができた。
「シンボル」「誇り」「象徴」。復元から27年がたっていた首里城はそう形容され、沖縄の風景のひとつになっていた。火災から間もなく1年になる。再建までは、まだ時間を要する。地元紙の写真部として、その道のりをより細かくカメラで捉えていきたい。

<筆者プロフィール>

崎浜秀也(さきはま・ひでや)氏

沖縄タイムス社
編集局デジタル報道本部写真部長
「焼け落ちた沖縄の象徴」の取材班代表として、2020年度新聞協会賞を受賞。

(2020年11月6日)