記者が語る

「一人一人の生きた証刻む」

新聞協会賞受賞スピーチ

中国新聞社・金崎由美氏

中国新聞社・金崎由美氏が11月26日、新聞協会賞贈賞式で受賞スピーチをしました。「広島原爆の犠牲者数はいまだ正確に分かっていない。被爆者や遺族の手記を読み込み、端緒を探る取材は、素手で地面を掘り起こすような地道なものだった。高齢となった戦争体験者の肉声を聞ける時間が限られている焦りもある。ささやかな取材の積み重ねが事実を掘り起こし、一人一人の生きた証を刻むことにつながる」と語りました。

スピーチ全文は以下の通りです。

広島に本社を置く中国新聞社は第2次世界大戦末期の1945年8月6日、米軍が投下した原子爆弾により社員の3分の1に当たる114人の従業員が命を落としました。ですから原爆被害の当事者でもあります。歴代の社員や新聞の現在の購読者にも被爆者が多くいらっしゃいます。

広島では研究者や市民、市と県の行政、そして私たちの大先輩である記者たちが原爆被害の全容のその一片ずつでも解明しようと組んできました。
それでもなお犠牲者の人数をはじめ、分かっていないことはあまりに多いのです。

例えば原爆資料館の冒頭の展示には、1945年の終わりまでの死者数について「約14万人」と記してあります。毎年、百何十万人もの見学者が世界から訪れ、その数字を聞いて帰っていくわけです。
私たちも記事の中でよく引用している数字です。ただこれは、ずいぶん前に割り出された「14万人プラスマイナス1万人」という推計値で、さらなる研究や調査、取材努力を通じて更新されるべきものだと言われてきました。

しかし、なかなか進展していないのが現状です。広島市は犠牲者一人一人の名前を集めては足していく調査を今も地道に行っていますけれども、最新の数字で分かっているのが8万9025人。まだ、埋もれた声なき死者が多数いることは間違いありません。

死者数だけではなく、遺骨の数や身元、そして生存被爆者が受けた放射線の健康影響など、分かっていないことがたくさんあります。分かっていないあらゆることを「ヒロシマの空白」と私たちは呼び、昨年から取材を始めました。
無意識のうちに「もう無理、これ以上調べることはできないんじゃないか」という諦めを持っていないか。そう自問しながら作業を進めました。

「プラスマイナス1万人」という大きな誤差をはらむ数字自体が、誰が亡くなったか分からなくなるほど地域社会を破壊し、次世代に記憶と記録を受け継ぐことすら許さない無差別殺傷兵器、大量破壊兵器が市民の頭上で使われたことを示しています。それを決して「これ以上分からない」「仕方なかった過去だ」とはしない。問い続ける。そう決意したのです。

被爆者遺族を訪ね歩き、当事者が残した体験証言や手記を丹念に読み込み、埋もれた死者の存在について何かヒントがないかと探す取材でした。
爆心地近くで全滅したため、誰もその存在を語り継ぐことがない一家。未就学児。名前を付けられていなかった新生児。あらゆる犠牲者が浮き彫りになってきました。いずれも8万9025人という数字からこぼれ落ちている存在です。
取材の中で、平和記念公園にある原爆供養塔に眠る7万体ともいわれる引き取り手のない遺骨のうち、1人の名前を突き止め、遺族を特定して引き渡す道筋をつけることができました。

焼けてしまった広島の街にかつてどんな家があり、どんな人が住み、どんな生活があったのか。その空白を埋めることも試みました。
被爆前の写真が残っていませんかと読者に呼び掛け、集めた写真をグーグルマップの上に配置し公開するというものです。これは思った以上に読者からの反響が大きく、いろんな連絡をいただきました。

空襲に備えて家財道具とともに郊外に持ち出され、奇跡的に焼失を免れたアルバムがたくさん残っていました。私たちも研究者も見たことがない街角の写真が多くあります。路地で遊ぶ子どもの笑顔。にぎわう商店街。緑豊かな平和記念公園も、あの頃は店が軒を連ねる繁華街だったことが伝わってきます。
懐かしさを誘う写真の数々が寄せられましたが、それは1945年8月6日に残酷なまでに焼き尽くされる人と暮らしです。

現場の記者たちの努力は大変なものがありました。
キャップの水川恭輔記者を中心に、まるで素手で地面を掘り起こすような地道な取材でした。新型コロナウイルスの感染拡大で、多くの取材相手がお年寄りだということもあって特に大きな試練に直面しました。それでも、読者や被爆者の反響に背を押されて何とか続けてきました。

被爆前の写真を寄せた読者は、失った肉親が写るプリントを手に尽きない思いを語り続けてくれました。あの時の悲惨は当事者にとって決して過去ではなくて、空白を抱えながら生きている人たちがたくさんいるということを実感しました。
自分の肉親も原爆死没者8万9025人の中に入っていないのではないか、と思って広島市に連絡をとったり、調べたりした読者の方もたくさんいらっしゃいます。一人の名前の空白を埋めることの大切さを思いました、と実感を込めて取材班の記者に語ってくれた方もいます。

たった一人かもしれません。たった一つの事実かもしれません。
ささやかでも読者と近いところでこのような積み重ねをすることが、事実の掘り起こしと、大きな束ではない一人一人の生きた証を記録に刻むことになると私たちは信じています。それが被爆地に根ざす原爆平和報道の原点ではないでしょうか。

取材した被爆者や遺族はほとんどが80歳代か、90歳を超えた方です。
戦争と原爆の体験者の肉声を聞くことができる時間は限られているという焦りを非常に感じました。
今世界には1万3000発の核兵器が存在しており、冷戦後で最も核兵器使用の危険が高まっているとも言われます。
被爆者の悲願である核兵器禁止条約が来年1月20日に発効することになりました。今私たちは、ヒロシマの空白を埋める営みをこれからも続ける新たな出発点に立っていると思っています。

<受賞者>

金崎由美(かなざき・ゆみ)氏

中国新聞社
編集局報道センターヒロシマ平和メディアセンター長
「ヒロシマの空白 被爆75年」「ヒロシマの空白 被爆75年 街並み再現」の取材班代表として、2020年度新聞協会賞を受賞。

(2020年12月15日)