小泉純一郎首相は9月17日、政府専用機で朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を訪問、金正日総書記と史上初の日朝首脳会談を行い、同日帰国した。国交のない国への電撃的な首相初訪問だけに、同行取材の準備も難航、同行希望者数は240人以上となったが、最終的には計120人の報道陣が同行。外務省によると、うち新聞・通信社の記者が53人、放送が52人、雑誌等が7人だった。海外メディアの東京支局からも韓国と米英仏4か国の新聞・通信社の記者計8人が同行した。
多くの新聞が17日夜に号外を発行し、「日本人拉致事件」の被害者の安否情報を報じた。翌18日付朝刊では首脳会談の背景、模様、拉致事件の解明、今後の日朝関係などについて詳報した。映像は大半が代表撮影によるもので、回線の使用時間もあらかじめ放送局ごとに決めておくなど、制限の多い手探りの中継となった。
〈平壌〉
記者団のうち90人は全日空のチャーター機で会談前日の16日に平壌入り、同市内の高麗ホテルにプレスセンターを開設した。首相同行に記者団が民間機をチャーターしたのは初めて。小泉首相はじめ政府関係者と同行記者30人を乗せた政府専用機は17日午前6時46分に羽田空港を出発、9時6分に平壌国際空港に到着した。
日朝首脳会談は17日午前11時3分から平壌市内の百花園迎賓館で始まり、昼の休憩をはさんで午後3時半過ぎに終了した。午後5時過ぎに田中均外務省アジア大洋州局長が、日本人拉致疑惑に関し「4人生存、8人死亡、行方不明1人」との情報を記者団に明らかにし、一気に緊張が高まった。記者らは直ちに電話で日本に速報、現地で「日朝平壌宣言」の署名式が行われた午後5時半ごろには日本国内でも生存者4人の名が一報された。
現地と日本との通信には、通常の電話回線のほか、衛星携帯電話が利用された。
〈号外〉
拉致された人々の安否情報が平壌からもたらされた段階で、多くの社が号外発行を決めた。全国紙の号外発行部数は、朝日5万5000部、毎日7万2300部、読売7万8200部、日経3万5000部、産経3万部。早い社では午後6時半ごろから東京都内の主要駅などで配布した。毎日は4ページ、他は2ページ。朝日の裏面はヘラルド朝日の号外、読売の裏面はデイリー・ヨミウリの号外だった。
共同通信によると、「生存者4人」などの見出しで地方紙29社が号外を発行した。
〈映像取材〉
小泉首相の出発から帰国までの映像は、NSNP(Nippon Satellite News Pool=日本衛星中継協力機構)が代表取材した。
NSNPは政府関係者らの外遊の取材映像を共同伝送することを目的に、NHKと民放キー局が設けた組織。今回は6局25人のカメラマンらで構成し、NHKとフジテレビが幹事。映像の伝送は、すべてプール衛星回線を使った。北朝鮮の朝鮮中央テレビから提供された3回線のほか日本から持ち込んだ中継装置で2回線側確保し、平壌国際空港に1回線、プレスセンターに4回線を振り分けた。
各局の独自取材映像は、プール衛星回線のほか、持ち込んだ衛星テレビ電話を利用した局もあった。
〈論調〉
訪朝前から、米国など海外の関心は北朝鮮の核・ミサイル問題などと伝えられたのに対し、国内メディアの報道の中心は拉致問題に据えられた。会談直後、「4人生存、8人死亡、行方不明1人」という予想外の展開に加え、外務省が死亡年月日等北朝鮮から得た情報を公開していなかったことが19日の新聞報道で明らかにされ、メディアはさらに拉致報道に傾斜した。
訪朝直後の各紙の緊急世論調査によれば、訪朝会談を成功と評価する意見と拉致問題をめぐる北朝鮮の対応を納得できないとする意見とがほぼ拮抗する結果だった(朝日新聞の調査結果では「成功」が81%、「納得できない」が76%)。
関連の社・論説は会談後だけで100本を超えた。北朝鮮の国家犯罪を糾弾する一方、正常化交渉は再開すべきだとの論調が大半を占めた。