直接取材できない背景のひとつに、一時帰国と前後して、「家族会」(北朝鮮による拉致被害者家族連絡会)、「救う会」(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)が、新聞協会などを通じて報道側に「節度ある取材」を要請した経緯がある。報道界としても、集団的過熱取材(メディアスクラム)発生時に対応する機関が全国各地でほぼ整備されたタイミングでの拉致被害者帰国は、放任すれば過熱取材は必至と思われる超弩級のニュースだったため、在京社会部長会、警視庁の記者クラブ、被害者の実家がある地域の報道責任者会などが、集団的過熱取材(メディアスクラム)の発生を防ぐために尽力する初めてのケースとなった。
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帰郷先の新潟県真野町役場を出る拉致被害者を取材する報道陣
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当初「一時帰国」ということで帰国した拉致被害者5人の身柄は、その後、事実上正常化交渉の行方にあずけられる状況になった。結果的に個々の社が本人らにそれぞれ取材できない状態が続いている。一方、死亡したとされる被害者の娘を3社が平壌でインタビュー、この報道を家族会、救う会が厳しく批判する一幕もあった。
こうした状況下、メディアスクラム予防の重要性は認めつつも、直接取材できない状態や取材制限を当然視する傾向を危惧する声も出始めている。
《帰国時》=報道各社「真意つかめぬ」焦燥感=
帰国当日には、帰国した被害者本人と家族による記者会見が東京都内の赤坂プリンスホテルで実現したが、これも直前まで本人らが出席するのかどうか分からなかった。本人らへの質問は許されず、被害者は一言あいさつしただけで退席した。
翌16日、被害者5人の家族は連名で報道各社あてに、移動中、到着後の自宅、宿泊先とその周辺での取材を固く断る旨を伝えてきた。新聞協会の編集委員会は在京社会部長会を通じて、直接取材の機会をつくってほしい旨要請した。
被害者は17日、2人が新潟県柏崎市に、1人が同県真野町に、2人が福井県小浜市にそれぞれ帰郷した。
各地の報道責任者会議は、「取材に当たっては本人・家族のプライバシーや人権に配慮し、周辺住民に迷惑をかけることのない、節度ある姿勢を保つ」ことを確認し、具体的な禁止事項を定め、県外メディアにも協力を呼びかけた。ヘリコプター取材や追いかけ取材も禁じられ、役所、警察も巻き込んだおおがかりな取材規制が実施された。
「臨時記者室」を設置、すべてのメディアに開放したところもあった。帰郷直後の記者会見でも、記者からの質問は許されなかった。
当初は、家族が本人の意向を語る記者会見もなかったため、報道陣には「取材の自主規制の必要は理解するが、伝えるべきことが全く伝えられない」「拉致問題やその後の国の対応への感想など、肝心なことが聞けない」などの不満が広がった。
家族が本人の発言を語り始めてからも、家族が発言の真意を誤解して伝えたため、それがメディアで紹介され、後日訂正するなどといった事態も出現し、報道陣には本人の真意が正確に把握できないといった悩みも募っている。
《3社がキム・ヘギョンさんをインタビュー》
政府は10月24日、帰国中の被害者5人について北朝鮮には戻らせず、北朝鮮に残してきた家族らを日本に呼び寄せるとの方針を発表。29、30の両日、クアラルンプ-ルの日本大使館で2年ぶりに行われた日朝正常化交渉で、日本側は、拉致被害者の家族の帰国を強く求めたが、交渉は物別れに終わり、被害者とその家族の帰趨は宙吊り状態のままとなった。
この間、朝日、毎日、フジテレビの3社が25日、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に拉致された後、自殺したとされる横田めぐみさんの娘キム・ヘギョンさん(15)に、平壌市内の高麗ホテルで合同でインタビューした。この模様をフジテレビは同日午後6時前から放送、午後9時からは2時間の特別番組を放送、朝日、毎日は26日付朝刊で詳報した。拉致被害者の家族らはこの取材・報道を「帰国者の永住問題に悪影響を与える」「少女の立場への配慮もなく、北朝鮮に利用されたもの」などと批判。フジテレビは声明を発表したほか、朝日、毎日は取材の経緯などを紙面で報告した。
3社の報道によると、キム・ヘギョンさんは「母が日本人だからといって日本には行けない。おじいさん、おばあさんにはこちらに会いに来てほしいと思う」などと語った。
3社は、「北朝鮮側の意図は承知しつつ、拉致事件の真相解明や今後の展開を見極める取材の一環として行った。厳しい条件下で、本人、家族の思いを踏まえて取材に当たり、努めて冷静に報道したつもりだ」(朝日)、「北朝鮮が外交的狙いを込めたのは明りょうだ。このため、発言、表情をできるだけ忠実に報道するとともに、北朝鮮側が会見に応じた背景についても報道した」(毎日)、「北朝鮮のプロパガンダにくみしたことはなく、今後も一切ない。インタビューは、一連の拉致事件の核心と言える横田めぐみさん事件の真相解明には現地取材が必要不可欠として行ったもので、様々な取材要求を出したうちの一部として実現した。拉致された方々、家族の気持ち、立場を十分理解し、取材・放送にあたっている」(フジ)との見解を表明した。
《個別取材》=「家族会」事務局長が個別取材受け入れ=
「家族会」の蓮池透・事務局長は10月31日、警視庁の3記者クラブを通じて、事務局長の立場で今後、報道各社の個別取材に応じると発表した。新聞協会は警視庁3記者クラブの要請を受け11月1日、蓮池事務局長の発表文書を集団的過熱取材対策小委員会委員、在京社会部長会会員、新潟県報道責任者会議幹事らのほか、民放連、日本雑誌協会に送付した。
蓮池事務局長は日朝国交正常化交渉終了後、取材の申し入れが殺到するなかで、事務局長として取材に対応することを決めた。文書では「できる限り国民に理解してもらうため、事務局長の立場において取材を受けることとした」と表明。ただし、「市民生活を送る身にとってマスコミとの関係を日常的に維持することは困難」なため、取材を受けるのは在京時だけで、取材申し込みは米田建三衆議院議員の秘書を通じて受け付ける。
蓮池事務局長以外の家族と拉致被害者への個別取材については、依然として承諾を得られていない。