4月25日午前9時18分ごろ、兵庫県尼崎市のJR西日本・尼崎駅付近で走行中の列車が脱線してビルに激突、運転士・乗客計107人が死亡する事故が発生した。報道関係者では2人が亡くなり、10数人が重軽傷を負った。
報道各社は総力を挙げて事故の取材に当たったが、地元の報道各社は集団的過熱取材(メディアスクラム)の発生を回避するため、遺族の感情に配慮した節度ある取材を心がけるよう申し合わせた。また、死者107人のうち4人について兵庫県警が遺族の強い希望を理由に氏名を公表しなかったため、県警の記者クラブが実名による公表を申し入れた。
写真・映像取材では、航空機による撮影のほか、新聞・通信社では異例の高所作業車を使った撮影が行われた。
JR西日本の記者会見では、テレビで流れた記者の質問の仕方や態度について、世論の反発もみられた。
事故発生から3日目、兵庫県内の報道責任者会は、尼崎市内の遺体安置所で、遺族らを集団で長時間にわたり取り囲むなど、メディアスクラムに発展しかねない過剰な取材がみられるとして、「遺族感情に十分な思いをはせて、より節度を持った取材を心がける」ことを申し合わせた。現場では、特に取材を嫌がる人への執拗(しつよう)な取材に対する苦情が、その場の報道陣やJR西日本の関係者、兵庫県警に寄せられていた。
申し合わせを提起した地元の神戸新聞の高士薫(たかし・かおる)編集局次長兼社会部長は、「発生当日はもっと大変な状況だったが、取材を受ける側にやむを得ないという思いもあっただろうし、取材が1回で済んだ人も多かった。事故発生3日目となり、身内の安否を確認するために遺体安置所に繰り返し訪れる人や、泊まり込む人などに取材が集中し、当人にとって耐え難い状況が生じた。繰り返される取材が抗議につながった」と指摘する。
事故発生当初、報道各社は負傷者が搬送された病院や遺体安置所、救助にあたる消防署などからの断片的な情報を集め、被害者に関する情報を伝えた。県警の発表がなかなか行われず、同編集部会幹事社が口頭で早期発表を申し入れた。県警が最初の発表を行ったのは25日午後9時55分。事故発生から半日が経過していた。
その後、県警は速やかに発表するようになったが、現在まで死者のうち4人の氏名を公表せず、住所(市まで)、性別、年齢のみの公表にとどまっている。県警記者クラブは、これほどの大事故で被害に遭った人を特定することは必要不可欠であるとして実名を公表するよう要請したが、現在まで実現していない。
また、初報で掲載・放送した氏名や顔写真について、遺族から出さないでほしいとの要望が寄せられ、各社とも対応に苦慮している。「奪われた命の重さを社会全体で共有していくことが再発防止の大前提だ。被害に遭われた方を広く紹介することには社会的意義がある」と話す高士氏は、遺族の理解を得るための努力を続けながら、粘り強く取材を続けていく必要性を強調している。
今回の事故の取材、報道では、高所作業車が使われた。テレビ局が撮影に使うことは以前からあったが、新聞・通信社が使うケースはほとんど無かった。ヘリコプターによる航空取材は、騒音による救出作業への影響が大きいことから、今後、この作業車が使われるケースが増えることも考えられる。
写真部関係者は「便利ではあるが、今回は現場周辺にスペースがあり、地権者との調整がついた特殊なケースだ。ただ、救出場面を撮るためにずっとヘリで上空を旋回するわけにはいかず、長期に及ぶ取材には使える」と話している。
JR西日本の記者会見をめぐっては、厳しい口調で質問する記者の様子がテレビで流れた。これが読売新聞の記者だったことがブログなどで取り上げられ、激しい批判が起こった。この問題に関し、読売新聞社は5月13日付朝刊紙面で「会見での暴言を恥じる」とするおわびを掲載、「本社の社会部記者に不穏当・不適切な発言があり、読者の読売新聞及びジャーナリズムに対する信頼を傷つけたことはまことに残念です」などとし、当該記者を厳重注意した上で会見取材から外したことを明らかにした。