北村会長は、文字・活字文化をめぐる環境は悪化していると指摘。要因の一つとして今回の特殊指定見直しを挙げ、「全国にあまねく張られた戸別配達網は、文字・活字文化を守るライフラインだと確信している。文字・文化の世界にまで市場原理を持ち込み、戸別配達網をズタズタにしかねない公取委の方針には強く反対している」と強調した。その上で、「この問題にご理解いただき、今日のシンポジウムが、文字・活字文化の隆盛に向けた一里塚となることを願う」と述べた。
小坂憲次(こさか・けんじ)文科相の代理であいさつした有村氏は「阪神淡路大震災や新潟県中越地震の際、新聞は被災者に『安心』と『希望』を与えてくれた」と述べ、新聞の持つ社会的・公共的使命の重さを訴えた。また、再販制度や特殊指定によって支えられる戸別配達により、全国どこでも同じ価格で、公正で幅広い情報に触れる機会が保障され、国民の知る権利が確保されていると指摘。「わが国が誇るべき戸別配達制度を可能にしている関係者の尽力に敬意を表したい」と述べた。
鈴木氏は「特殊指定の見直しは、劣化の著しい日本社会のさらなる劣化を招く。市場原理第一主義による特殊指定見直しを阻まなければならない」と主張。見直しに反対する決議を、4月13日に開く議連の総会で採択する考えを明らかにした。さらに、「自民党の有志で、特殊指定撤廃を阻むための議員立法を作る方針を決めたと聞いている。われわれは政治の場で闘っていく」などと述べた。
<柳田氏の基調講演>
なぜ公正取引委員会は特殊指定の廃止を強行し、新聞に介入しようとするのか。記者の証言拒否が東京地裁に認められなかった問題(別項参照)や、個人情報保護法施行に伴う過剰反応や警察の匿名発表の問題を含む取材・報道の危機的な状況について、その背景を考えなくてはならない。
大きな背景として、インターネットの登場によるメディア状況の変化がある。
ITを全否定するつもりはない。人間は歴史上、新しい便利な技術を捨てたことはなく、危険だと言ってみても戻れない力がIT革命にはある。大事なことは、新しい文化や技術の負の側面を見た上で取り入れることだ。
T革命の負の側面は、言語と心に現れている。
新聞を購読せず、ニュースは携帯サイトで十分という人がいる。携帯サイトのニュースと新聞記事で致命的に違うのは、新聞には読む人の関心事以外のニュースも載っており、そこには世界がある。関心事だけを見ていては、世界が見えなくなる。
戦後の行政制度は、細かく専門分化されてきた。司法や医療の分野にも、専門家社会の危険な側面がある。狭い視野の専門家が支配する現代日本に、いかにメスを入れるかが重要だ。
新聞の特殊指定を外そうとしている公取委は、行政官としての狭い視野の中で、例外なき取引の自由化を貫こうとしている。この問題は生きた人間の問題として考えなければならないが、それが公取委に通用しないのは、自由化がイデオロギーとなっているからだ。
新聞が果たすべき役割は大きい。新聞も努力して、事件だといって騒ぐだけでない、掘り下げた報道をしてほしい。
<シンポジウムのおもな内容>
――活字文化の現状、現在の「活字文化の危機」をもたらした背景をどう考えるか。
○ここ数年、「表現の自由の危機」「メディアの危機」が言われている。政治家や官僚、裁判官でさえ、表現の自由の規制は重大な問題であるとの認識が、不足しているのではないかと感じる。新聞特殊指定が見直された場合、新聞社の経済活動は自由になるかもしれない。だが、特殊指定という経済規制は、情報が日本全国にあまねく行きわたる流通プロセスの保護という役割を担っている。(指定の改廃で)宅配制度が崩れる可能性があるとも言われており、何の担保もなく廃止するのは乱暴だ。ドイツでは、情報の収集から編集、印刷、読者に届くまでのプロセス全体を「プレスの自由」として、憲法で保障している。競争が激化し中小新聞社が倒産すれば、集中独占が進む。それを防ぐとの理由からだ。日本でも、いくつかのメディア優遇政策の一つとして、特殊指定があるわけで、経済活動の自由だけで議論するのは問題だ。
○山川 表現の自由の中でも、民主主義社会で一番重要な役割を占めるのは「報道の自由」。それを最も活発に担うのが新聞だ。新聞は、印刷してどこかに置かれるだけでは不十分で、全国津々浦々に正確、迅速に届けられる必要があり、そうでないと、新聞の役割は制約される。また、民主主義社会では、多様な新聞が複数、存在することも重要だ。各国で消費税の免除、優遇なども行われている。日本には、独占禁止法の例外としての再販制度と特殊指定がある。公取委は特殊指定を見直したいと言うが、宅配制度にどういう影響があるのか。悪い影響は無いのか。配達システムは新聞の自由の不可欠な要素だ。いったん壊れてほころびが生じると、元に戻すのは難しい。
――新聞を取り巻く環境は厳しい。どう対処すべきか。
○新聞は、異なる二つの方向に対して緊張関係に立たされている。一つは、政府との緊張関係。日本の記者は国家権力に遠慮し、抑制的な態度ではないのか。知る権利に奉仕する積極的な取材を怠ってはいけない。もう一つは、市民一人一人との緊張関係だ。新聞は市民には、巨大な権力として現れる。個人の人権、名誉やプライバシーの問題にまじめに対応するのは当然だ。一方、犯罪報道などで匿名が増えているが、突っ込んで書かないと事件の背景が分からない場合も多い。書きすぎてもいけないが、書き控えもいけない。