ジャーナリズムの軌跡
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2023.07.04

人権は「書いて守る」の姿勢受け継ぐ

事件報道の改革「福岡の実験」―容疑者の言い分掲載(1993年)
西日本新聞社・相本康一氏に聞く

 西日本新聞社は1992年、事件の容疑者として逮捕された人の「言い分」を記事で伝える企画「事件報道の改革『福岡の実験』―容疑者の言い分掲載」を始めました。企画の狙いは容疑者の人権を守り、えん罪を未然に防ぐこと。事件報道は当時、警察からの情報に依存することが一般的でした。そうした中、取材班は福岡県弁護士会が90年に設けた当番弁護士制度を窓口に、容疑者への取材に取り組みました。

 容疑者の言い分を伝えるという西日本新聞社の企画は「人権報道に新局面を開いた報道界の実験」として93年の新聞協会賞を受賞。取り組みはその後、全国の報道機関に広がりました。

 93年に入社し、新人記者として警察や弁護士を取材し企画にも携わった編集局クロスメディア報道部長の相本康一さんに、当時の報道の意義や、「福岡の実験」の試みが現在の西日本新聞社にどう受け継がれているかについて聞きました(インタビューは2023年6月に実施しました)。

「警察の敵か」と罵倒され

1993年の入社当時、警察署での取材を担う新人記者として、「福岡の実験」の取り組みをどう捉えていましたか。

相本氏 逮捕の発表があった後、警察への取材とは別に、容疑者と面会した当番弁護士に接触し、容疑者が容疑内容についてどう主張しているのか、取材しました。当時の紙面は、逮捕されたことなどを伝える記事のそばに、容疑者の主張を枠線で囲んで載せ、読者が一目で分かるようにしていました。社として力を入れてスタートした企画だったことを覚えています。

 本社の社会部に配属され、企画に携わった中で覚えているエピソードがあります。警察幹部から「西日本新聞社はどうして逮捕されるような悪い人間の肩を持つのか」と、何度も苦言を呈されたことです。当時は「夜討ち朝駆け」の言葉通り、夜も朝も警察官の家に出向き取材していました。彼らの懐に飛び込み、信頼関係を築いてこそ、さまざまな情報を得られるようになります。そこで「西日本新聞社は警察の敵か」と言われるわけです。大学を卒業したばかりの社会人1年生だった当時は、そんな発言に戸惑うこともありました。

 警察と容疑者、それぞれの主張が大きく食い違うことも多々ありました。どちらがより事実に近いのかは判断できませんし、「バランスの取れた報道って何だろう」と、よく考えていました。

軽んじられていた人権に目を向ける

一連の報道は人権をテーマにしています。容疑者の言い分を報じた報道の成果をどう捉えていますか。

相本氏 企画は当番弁護士制度の広がりと浸透につながったと思います。大分県、福岡県で始まったこの制度は、今や全国で当たり前のものとなりました。逮捕後早い段階で弁護士が駆けつけ、容疑者と面会することによって、捜査の問題点が浮き彫りになり、勾留請求の却下や不起訴、無罪につながったケースは少なくありません。

 「福岡の実験」は、警察情報や発表に依存しがちだったそれまでの事件報道への反省に基づいています。九州では免田事件(48年)など重大なえん罪事件が起きていました。えん罪事件は警察が絶対に正しいわけではないことを表すとともに、警察の情報に多くを頼って報道してきたメディアの責任の大きさも示していると言えます。

 容疑者は法律上、逮捕された段階では無罪です。起訴され、裁判所で言い渡された有罪判決が確定して初めて罰が課されます。しかし、かつてのメディアは容疑者について報じる際、名前を呼び捨てにしていました。こうした報道が「逮捕された人=悪者」という世間のイメージを作ってしまっていたと思います。

 軽んじられていた容疑者の人権に目を向けた点で、容疑者側の主張を伝える報道は意義があったと言えるのではないでしょうか。

 読者からも当時、「新聞社が悪いことをした人間の味方をするのか」という声が寄せられたそうですが、今となっては容疑者側と警察の双方から話を聞く手法が、人権に配慮した報道の在り方として全国で定着しています。ニュースソースを単に増やしたというわけではなく、人権を重視するという原点を忘れずにいたいところです。

反省から生まれた「罪と更生」

「福岡の実験」に関わったことは、その後の記者人生にどのような影響を与えましたか。

相本氏 記者としてのキャリアを「福岡の実験」とともに始めたこともあってか、警察担当を外れた後も司法に関心を持ち続けました。社会部遊軍キャップだった2011年から2年間、罪を犯した人の「その後」を追う長期企画「罪と更生」に、中心となって携わりました。この企画も、従来の報道への反省がベースにありました。多くの事件報道は「福岡の実験」も含め、事件発生から逮捕、裁判を経て刑が確定した段階で終わってしまいます。罪を犯した人が刑務所でどんな償いをしているのか、出所後の身の振り方はどうか、社会的なサポートはどうか――ということに、メディアはほとんど目を向けてきませんでした。司法、福祉、矯正・教育施設、更生保護など一連の過程を点検する報道が必要だと考えました。加害者家族が置かれる状況や死刑制度にも触れました。

 司法や更生保護の現場、識者からは当時、高い評価を受けましたが、犯罪被害者やその家族、遺族の方々からは批判の声もいただきました。読者の評判も、必ずしも肯定的なものばかりではありませんでした。「福岡の実験」のときと同じく、「どうして悪いことをした人間に寄り添って報道するんだ」との声が寄せられました。

 私たちとしては、被害者、容疑者だけでなく、服役者や出所した人の人権にも目を向ける犯罪報道改革と位置付けていました。何より、更生の営みに光を当てることで、再犯防止につなげ、新たな被害者を生むことを抑止できれば、との思いでした。現場を歩いて課題を浮き彫りにした報道は、政府が初めて再犯防止推進計画を策定し、出所した人の就労支援を強化するなど、今に至る一連の動きにつながっていると思います。

挑戦を後押しする伝統、今後も

一連の報道はその後の西日本新聞社の事件報道にどのような影響を与えましたか。現在の西日本新聞社の記者らに受け継がれていることは何でしょうか。

相本氏 西日本新聞社は「福岡の実験」についてまとめた書籍で、「人権は攻めて守る」と宣言しました。その伝統は今の世代にも受け継がれているのではないかと思います。「福岡の実験」の後、1998年には被害者の人権に焦点を当てた「犯罪被害者の人権を考える」というキャンペーンを展開しました。2021年からは、部落差別の問題を中心に現代のさまざまな人権課題を追いかける長期企画「人権新時代」も展開しています。人権に関わる問題を記事化するのはとても大変な作業です。表現に細心の注意を払う必要があり、当事者や関係団体への取材の積み重ねがとても重要になります。他の記事と比べ、時間も労力も掛かります。しかし、こうした問題を手間が掛かるからといって最初から書かない、あるいは深く取材せずに報道することは当事者の思いに背くことにもなります。「福岡の実験」に取り組んだ先輩の存在があるからこそ、繊細な話題を扱うことのリスクを背負ってでも、社会で理不尽な立場に置かれた人、声を上げられない人の権利を「書くことで守る」との意識が西日本新聞社には根付いているのではないかと考えています。

 課題は次世代への継承です。現場の若い記者が新たな企画に挑戦したいと手を上げたときに、背中を押してあげられるような社内の伝統的な雰囲気は今後も受け継いでいきたいですね。

問題提起する報道の役割変わらず

「福岡の実験」から30年がたちました。当時の取り組みが現在の報道界に生きていると感じるのはどのような点ですか。今後の報道機関の役割についても聞かせてください。

相本氏 「福岡の実験」に続き、他のメディアも容疑者の主張を掲載するようになりました。誤認逮捕や強引な取り調べといった捜査機関側の問題点に世間の注目が集まるようになり、最近では大崎事件などの報道を通じて再審制度の問題点も浮き彫りになっています。SNS全盛の時代、コミュニケーションの面で便利になった一方で、インターネット上には誤った情報や根拠のないデマ、中傷が飛び交い、新たな人権侵害も問題になっています。新聞というメディアが昔の姿のままでいいはずはなく、記事の書き方や届け方などを時代に合わせて磨いていく必要があります。ただ、記者が現場を取材し、確かなファクトを積み重ねて問題提起する大切さは30年たった今も決して変わりません。引き続き役割を果たせていける報道機関でありたいと思います。

<プロフィール>

相本 康一氏(あいもと・こういち)氏

西日本新聞社
編集局クロスメディア報道部長
西日本新聞me編集長
1993年入社。長崎総局、社会部、東京支社報道部、中国総局長(北京特派員)、社会部デスクなどを経て2022年8月から現職。21年2月からウェブサイト&ニュースアプリ「西日本新聞me」編集長を務める。事件・司法、再犯防止、原発問題などを取材。共著に「ルポ・罪と更生」。長期企画「人権新時代」取材班デスク。「福岡の実験」には、入社当時に携わった。