作品一覧 作品一覧

大学生・社会人部門 大学生・社会人部門

最優秀賞

一期一会

大野おおの 洋子ようこ(54歳) 神奈川県南足柄市

「スマイルスマイル」
(東京新聞提供)

インターホンが鳴り玄関に出ると、スーツ姿の見知らぬ青年がいた。私を見るなり、「これ、皆さんで食べてください」と菓子折りを差し出し、深々と頭を下げた。
 「どちら様ですか?」と尋ねると、「先月まで、新聞配達のバイトをしていた〇〇です。こちらの家の方から毎年、元旦の配達時に、お年玉をもらってました。年配の女性が、元旦だけは玄関で待っていてくれて、大変だね、と言って僕の手にお年玉袋を握らせてくれました。高校1年から大学卒業までの7年間、頂きました。就職して、初任給をもらったので、今までのお礼に来ました」と教えてくれた。
 私は、驚いた。今どき珍しい、なんて律義な青年なんだろうと。今、母は入院中であることを伝えると、青年は心配そうな面持ちで帰っていった。
 後日、母の面会に行ったときに青年が訪ねて来たことを伝えると、脳梗塞の後遺症で言語障害を患った母の目から、涙があふれて落ちた。

「スマイルスマイル」
(東京新聞提供)

審査員特別賞

クリスマスの新聞配達

小野寺おのでら 有紗ありさ (27歳) 岩手県矢巾町

「雪で埋もれた読者宅を販売店スタッフが除雪」
(北日本新聞社提供)

小さい頃、よくほえる犬を飼っていました。家族以外で唯一ほえられないのは新聞配達のキヨシさんでした。毎日来てくれていたので家族だと思われたのでしょう。
 あるクリスマスの朝、家の前に大きな包みが置いてありました。近付いてみると、ブーツ型の入れ物に入ったお菓子でした。普段お菓子をあまり買ってもらえなかった私は大喜び!包みには「きよしこのよるサンタより」と書かれていました。
 家族は、お礼をするためにひたすら思い当たる方々に電話をかけていましたが、私は「犬がほえなかった……きよしこのよる……新聞配達のキヨシさんだ!」と思いました。電話をしてみたら、大正解。
 それから小学校を卒業するまで毎年、クリスマスには新聞と一緒にお菓子を届けてくれました。
 あれから十数年たち、今は別の方が新聞を届けてくれています。犬はというと、今は2代目を飼っていますが、また前の犬以上によくほえます。でも、新聞配達の方にはほえません。

「雪で埋もれた読者宅を販売店スタッフが除雪」
(北日本新聞社提供)

優秀賞

空に誓う

渡邊わたなべ 由紀ゆき(51歳) 名古屋市

「古都の朝」
(京都新聞社提供)

空を見上げる午前3時。玄関の扉を開けて私の1日が始まる。外は物音ひとつしない。音を立てないように自転車で走り出す。
 新聞配達を始めたのは、母を亡くして数か月後。深い悲しみで伏せってしまう日が多かった私。ある日、家の郵便入れに1枚のチラシを見つけた。
 新聞配達員募集。母も配達していたことを思い出し迷わず応募した。
 新聞を配る時は、間違えないように気を張っているから無心になれる。この家は赤ちゃんがいるから静かに。その次の家はスポーツ新聞も一緒に。配り終えると、私はいつもの歩道橋から空を見上げる。ちょうど東から太陽が昇ってくる。太陽を見ながら、今日も心の中で母に問う。
 「天国にいるお母さん、元気?私は大丈夫だよ。何十年後にまた、会おうね」
 いつも涙があふれる。日がたつにつれ、悲しい涙から感謝の涙。そして希望の涙に代わった。母も歩んだであろうこの道。人生のゴールも同じであると信じて今日もペダルをこぐ。

「古都の朝」
(京都新聞社提供)

入選(7編)

年に1度のありがとう

伊東いとう 恵子けいこ(60歳) 熊本県山鹿市

「縦階段配達中」
(神奈川新聞社提供)

私の母はアパートの3階に一人で暮らしていました。雨の日も雪の日も毎朝3階の玄関まで新聞を届けてくださる配達員さんにいつも感謝していました。でもお顔を見ることはできなかったとのことです。
 だから年の初めの新聞、そうです、分厚い新聞です。郵便受けには入らないから、母は玄関にカゴを置いておくそうで、その中に「ありがとうございます。寒かったでしょう」とメッセージを添えて、使い捨てカイロを入れるみたいで、朝起きて新聞カゴを見ると、配達員さんからも「ありがとうございました」とメモがあり、受け取ってもらえたと喜ぶ母。年に1度だけ、お互いの気持ちが通じる日なのです。
 その母は、数年前に他界しました。しかし、毎年の元旦は空の上から、新聞配達員さんたちの奮闘ぶりを応援しながら見ていることと思います。

「縦階段配達中」
(神奈川新聞社提供)

父の作戦

菊地きくち 真紀子まきこ(46歳) 秋田県大仙市

寝ぼけ眼で早朝の道を歩く私。小学生の頃、父の命で新聞を受け取りに行かされていた。
 (以前まで配達してくれたのに、どうして?お父さん、配達料が払えなかったのかな?)
 行きたくなくてイヤイヤの弟たちを引き連れて、行き道はモヤモヤ。やっと新聞を受け取ると、帰り道にはすっかり目が覚めて、いつもさわやかな気分になれたことを思い出す。
 後にそれは、早起きの楽しさと大変さを知ってほしいという“父の作戦”だったと知る。
 「いつも受け取りに来てくれてありがとう」と、私たちに笑顔とお駄賃をくれたおばちゃん。その日で、長かった父の作戦は、冬の訪れと共に終了となる。翌日、目が覚めて玄関に向かうと外は猛吹雪。すでに新聞は届けられていた。庭先には積もった雪の中に1本の深い足跡があった。あの配達のおばちゃんの足跡。新聞が朝読めること。当たり前でないありがたさ。父のおかげで、身をもって知ることができた。
 今、小4の息子にも、作戦を考えている。

足跡に感謝

北口きたぐち 秀彦ひでひこ(67歳) 金沢市

昨晩からの降雪が心配で、早起きして外へ出た。長靴がごぼる(※)ほどの積雪は40センチを超えていた。「しまった、こんなに降ったのか」と思ったがもう遅い。
 ふと見ると、自宅前の道路から玄関口まで、一歩一歩踏みしめながら進んできたような足跡が残っている。さらにその足跡は、隣の家にも向かいの家にも続いていた。
 「新聞屋さん、こんな日でも来てくれたんだ」
 そう思いながら、出勤に向けての除雪に取り掛かった。
 コロナ禍、エッセンシャルワーカーなる言葉が敬意と感謝を込めて使われている。新聞配達は目立たない仕事である。しかし、広告やチラシが詰まった、ふかふかで暖かい新聞を雨や雪に濡れぬよう丁寧にビニールに包んで毎日届けてくれている。この仕事もエッセンシャルワーカーに違いない。
 翌朝の天気も雪だった。配達の方は、その朝もごぼりながら仕事の足跡をしっかりと残していた。
※ごぼる:雪に足がはまる、の意の方言

僕を救った言葉

小松﨑こまつざき じゅん(38歳) 埼玉県所沢市

ご近所の目が一番キツかった。はじめての育児。そして夜泣き。うるさい。どっかよそで泣いてくれ。明け方まで続く号泣に何度も苦情を寄せられた。病院には再手術を控える妻がいる。とにかく心配で、ただただ不安で。
 ある明け方、泣きわめく息子をあやしていると、案の定、苦情が来た。私が謝っていたところ、ちょうどかっぱを着た新聞配達員がやって来た。外は前が見えないほどのどしゃ降り。彼は泣きわめく息子を見るなり「今日はこんな雨でおじさんも泣きたい気分だったんだよ。僕の分まで泣いてくれるかな」と笑った。途端に心がパアッと晴れた。こんな辛い時でも誰かが泣いてもいいと言ってくれるなら。それを許してくれるなら。子育ては苦しくも、すごくあたたかいものかもしれない。
 「ありがとうございます」
 最後は、こぼれ落ちる涙を、ビニールに入った新聞が受け止めた。
 あれから夜泣きはなくなった。妻も無事に退院した。今でも雨にぬれた新聞を見ると、なんだか無性に目頭が熱くなる。

大寒の記憶

高山たかやま 美季みき(39歳) 青森県弘前市

「ザクッ――ザクッ――」
 雪国で暮らす者の宿命とも言える雪かきは、春の息吹を感じるまで約3か月間続く。毎朝まだ真っ暗な中スコップを手に取り、吐息さえ凍りつきそうな氷点下の世界へと足を踏み出すのは、気がめいる。
 ある日、いつものように雪かきをしていると、ふいにバイクの音が聞こえた。振り返ると新聞配達の方が、「おはようございます。雪かきご苦労さまです。ここはいつもバイクを止めやすいので、配達をするのが待ち遠しいんです」と新聞を手渡してくれた。
 「こちらこそ、いつも新聞を届けていただいてありがとうございます」と新聞を受け取ると、芯まで冷えた体とは裏腹に、心がじんわりと温まるのを感じた。仕方なくやっていたことを思いがけず感謝されて胸がいっぱいになり、その日のコーヒーと新聞は、いつにも増して格別であった。
 新聞の契約件数は年々減少しているそうだが、私はこれからも新聞を取り続ける。新聞は心と心をつなぐ架け橋なのだから――。

新聞配達とは

立山たてやま 颯紀さつき(24歳) 仙台市

「ご購読ありがとうございます」
(北國新聞社提供)

「いつもありがとう。元気かい」
 私が新聞配達に行くと、いつもそう声をかけてくれるおばあちゃんがいた。その言葉にどれだけ救われただろうか。
 当時の私は、学校でいじめや嫌がらせを受けていて、私がいると人に迷惑をかけてしまう、人とは関わりたくない、と思っていた。だから、人と関わることのない、新聞配達という仕事を選んだのだ。
 おばあちゃんは、配達に行くと、いつも、いるのだった。朝の日ざしでも浴びるためだろう、と思っていたが、そうではないと知った。それは、ある日、「明日はほかの人が来るんだ」と言ったとき、「あんた来ないの。残念だねえ。明日はゆっくりするかねえ……」と言ったからだ。こんな私でも、このおばあちゃんは、必要としてくれるんだ、と思うと、私、人と関わってもいいんだ、と思えるようになった。
 毎朝のたった1分ほどの会話、人との関わり。それを与えてくれた新聞配達という仕事に、私は今も、深く感謝している。

「ご購読ありがとうございます」
(北國新聞社提供)

最高の季節

松本まつもと 富貴子ふきこ(54歳) 札幌市

「津軽富士・岩木山に抱かれながらの配達」
(東奥日報社提供)

2年前の今頃、アルコールを提供する飲食店に勤める私は、コロナによる休業が続き、引きこもりにも飽き、人との接触が無い新聞配達を始めた。車での配達だが、初めは地図を見ながら、ただ正確に配り終えることしかなかったため、周りの景色にも気付かずにいた。
 でも今では、朝露にぬれキラキラ光る木や花の美しさに足を止め眺める余裕ができた。そして主人やもう独立してる娘や息子夫婦も、休日の前の日にときどき泊まりに来て手伝ってくれている。
 冬に手伝ってもらった日の次の日、雪の上にそれぞれの足跡を見つけ、その足跡が愛おしく、優しい子たちに育ってくれてありがとうとほっこりする。主人が手伝ってくれた次の日には、思わずプッ!!と吹き出す。配達先の雪山に、お尻から頭までズボッと埋まった跡。転んだって言ってたね(笑)。何度も笑いが込み上げる。
 でも今は最高の季節。最近はゴミ拾いもしながら配達していて、この仕事で自分が少しだけ善い人になれた気がしている。

「津軽富士・岩木山に抱かれながらの配達」
(東奥日報社提供)

中学生・高校生部門 中学生・高校生部門

最優秀賞

町の裏方防衛隊

上岡うえおか 京史きょうじ(17歳) 山口県田布施町

「雨の日も万全に」
(信濃毎日新聞社提供)

とある夏の日の明け方、私は雨音で目を覚ました。この日は台風が来る予報となっており、明け方から強い雨が降っていた。私はふと、時計を確認してみた。朝の4時前だった。もう少し寝ておこうと思ったその時、家の外から郵便受けに何かを入れる音がした。私は気になり、レインコートを着て外に出た。
 郵便受けには新聞が1部と手紙が1通入っていた。私はその二つを手に取り家の中へと戻った。そして手紙を読み、私は衝撃を受けた。なんとその手紙は新聞配達の人が書いたものだったのだ。手紙には「台風の影響で道が進みにくい状態となっております。皆さまどうぞお気を付けください」と書かれていた。新聞配達の人は大雨の中、進みにくい道を通り、配達先の人全員に新聞と外の状況を説明する手紙を配達し、安全を呼び掛けてくれたのだ。自らを危険にさらしてでも他の人の安全を守ろうとする姿勢に私は感動した。
 その日からもうすぐ1年がたつが、私はこの日の感動を今も忘れていない。

「雨の日も万全に」
(信濃毎日新聞社提供)

審査員特別賞

明日もがんばろう

川野かわの れん(17歳) 宮崎市

「安全運転で愛読者の元へお届けします」
(産経新聞社提供)

僕は新聞配達をしています。「新聞の需要も年々減ってくるんだろうな」なんて思いながら、配達を続けること半年、担当する区域が変わりました。そこは団地が多い所で、階段を上り下りするのも一苦労。ここでもやはり、新聞に対してネガティブなことを思いながら配達していました。
 時は流れ、初めての正月。正月はいつもの4倍の厚さの新聞を配るので、何往復かしなければなりません。配達が終盤に近づき、「早く帰りたい」、そう思っていると、配達先のポストに「新聞の方へ」と書いたビニール袋が。
 袋の中には、宝くじ切手5枚、和菓子が数個、それと「いつも配達ごくろうさまです、よいお年を」と書かれた紙が入っていました。僕は思わず涙が出てしまいました。
 それまで僕は「ネットもテレビもあるこの時代に、新聞は必要なのか?」と考えていました。でも毎日僕の配達を待ってる人がいる。毎日頑張ってることを認めてくれる人がいる。ネガティブなこと言ってないで、「よし明日も頑張ろう」と思えました。

「安全運転で愛読者の元へお届けします」
(産経新聞社提供)

優秀賞

頑張っているのは私だけじゃない

横井よこい 桃那ももな(17歳) 香川県丸亀市

「配達いってきまーす」
(読売新聞社提供)

私は高校生。部活に勉強に忙しいため、普段は夜早く寝て、朝早めに起きて勉強をする。特に冬の朝は寒くて暗くて起きるのが嫌になる。そんな中、勉強しているときに聞こえてくるのが新聞屋さんのバイクの音と我が家のポストに入れる音だ。
 それを聞くと「頑張っているのは私だけじゃない」と思わせてくれる。
 私は親に勧められ、新聞を毎日読んでいる。好きなのはスポーツ欄や地元の事が掲載されている紙面だ。スポーツ欄は私の友達が載っていたり、知り合いが載っていたりするのでどれも興味深い。新聞を読む時間はそんなに多くないけれど、毎日欠かさず読んでいる。
 今の世の中、ネットが普及し、スマホで手軽にニュースも見られる。なのに新聞を手に取って読むという行動そのものが私は好きだ。匂い、手触り、内容とどれをとっても私好みなのである。
 これから先、私はいつか一人暮らしをするだろう。そのときも私の近くには常に新聞がある。そういった格好いい生活を送りたいと思う。

「配達いってきまーす」
(読売新聞社提供)

入選(7編)

変わらない朝

石坂いしざか 聡太そうた(15歳) 大阪府池田市

家族全員で朝食をとる。これが我が家の朝の過ごし方だ。毎朝リビングで行われる家族だんらん。今まで当たり前だと思っていた。そんな中、突然起きたコロナウィルスによるパンデミック。両親が医療関係の仕事であることもあり、朝食時の会話は自然と減っていった。
 突然暇になってしまった食事中の時間。僕は取ってはいたがほぼ読んでいなかった新聞を読んでみることにした。するとどうだ。今までは知り得なかった面白い記事など、さまざまな情報がそこにはあった。
 そして僕が新聞を読み始め、初めての元旦。たまたま初日の出を見るため早めに起床したのだが、偶然新聞配達をしていた若い人を見た。そこで僕ははっとした。このコロナウィルスによって変わりゆく世の中で、唯一守られた僕の朝のルーチンはこの人たちの努力によって支えられていたことを感じた。
 それから僕は、毎朝新聞を見ることで無事に新しい一日を迎えられたことを実感しながら過ごしている。

私と世界をつなぐ仕事

金子かねこ 咲希さき(17歳) 札幌市

「この子を助けたい」
 そう思ったのは中学2年生の夏のこと。アフリカで戦争から逃れようとする子どもたちを映した1枚の写真。「私たちには何ができるのか」と訴えかける見出し。あの強烈な記事を忘れることはないだろう。それから私は国際問題に興味を持つようになり、新聞に目を通すようになった。
 3年たち、高校のグローバル科に進学した私と、大学生になり、新聞配達を始めた兄。まだ学生の私たちにできる国際協力を考えたとき、あの記事を思い出した。あの記事を私に伝えてくれたのは新聞を配達してくれた人なのだと。そして、毎朝新聞を届けに行く兄の姿が思い浮かんだ。学生の兄も毎日世界のことを知らせる立派な国際協力をしている。
 私と世界をつないでくれた新聞配達の人。新聞は世界と私たちを結ぶ素晴らしいものだと思う。そして、私もいつか、世界と誰かをつなぐ新聞配達の仕事をしてみたい。

なくてはならない存在

河田かわた 真実まみ(18歳) 山口県岩国市

「笑顔もお届け」
(山陽新聞社提供)

毎朝、庭でラジオ体操をする前に、ポストから新聞を取り込むのが私の日課だ。毎朝続けているこの習慣を当たり前のように感じていたのだが、先日はっとすることがあった。
 夜明け前に悪夢で目が覚めた私の耳に、家の外でバイクが止まる音と、ガチャンと響く音が聞こえた。新聞配達の方だと分かった。街がまだ寝静まっている時間に、新聞を配達してくださっている方の存在を初めて意識した。私は夢のことも忘れて、新聞が私の手に届くまでにどれだけの人が関わってくれているのかについて考えを巡らせた。新聞が自動でポストに入ってくるのではない。当然のことを改めて実感した、その朝の新聞は格別にありがたい物に感じられた。
 雨の日にはビニール袋に入れられている、その心遣いも驚きだ。新聞は世界と個人をつなぐ媒体だと言われるが、戸別に配達してくださる新聞配達の方の努力あってこその制度のおかげで私は新聞を手に取れるのだ。なくてはならないその存在を忘れず、これからも新聞を読み続けたい。

「笑顔もお届け」
(山陽新聞社提供)

新発見の朝

上坂こうさか 粋生すいせ(14歳) 富山県高岡市

「明日は災害級の豪雪に注意してください」
 今年何度も耳にしたニュースだ。雪が降った日は国道を除雪車が走り、両脇にガリンゴリンの屈強な壁が出現する。この壁をぶち破らなければ家から国道に出られないので我が家は全員早起きだ。
 その日の朝もやっぱり壁はできていた。父と祖父は外がまだ薄暗い中、壁の倒壊に挑もうと思った矢先、国道を挟んだ道で1台の車のタイヤがギュイーンと空回る音を耳にした。スタックだ。壁を乗り越えようとしてかんだようだ。父と祖父は急いで国道を渡り、車を押した。無事脱出できた車は新聞配達の方だった。雪で遅れたため急いで届けようと頑張っていたのだ。
 夕方、「助けていただいたお礼を言わないと私の気がすみません」とわざわざ家まで来てくださった。祖父は、「どんな天気でも新聞届けてもろて感謝せんなんがはうちらやな」と言った。その日、配達員さんの隠れた苦労と仕事への責任感、ぶっきらぼうな祖父の優しい一面をちょっと知ってしまった。

祖父が届ける小さな笑顔

冨田とみた 理仁りひと(12歳) 宮崎市

「おじいちゃん、ひざ大丈夫?」
 僕はいつも、祖父に会うたびに心配になり、声をかける。祖父は、20年以上新聞配達を続けているそうだ。いくら天候が荒れていても、毎朝2時には、販売所にバイクを走らせている。
 僕が一番驚いたことは、雪の日にバイクで配達をしていたときに、滑って足を骨折してしまったときの話だ。祖父は、骨折しているにもかかわらず、翌日の配達のことを心配していた。病院にもなかなか行こうとせずに、「大丈夫だって。それに、明日の新聞を待っとる人がいるっちゃから。心配すんな」と言っていた。待っている人を思っていたのだ。
 今でも、持病を抱えながらも、新聞配達を続ける祖父を見て、僕も元気をもらっている。
 祖父は、新聞配達が生きがいであるとともに、配達を通して人に元気を与えることができる仕事だと言っていた。僕は、祖父の思いを胸に抱き、今日も新聞を手に取る。

地域に寄り添う子ども食堂

原田はらだ 泰成たいせい(12歳) 大分県竹田市

僕の住んでいる竹田市で、今年の3月から始まった子ども食堂。それは、市内にある五つの新聞販売店さんが地域のためにと始めたものなのだそうだ。
 会場の文化ホールや公民館などに行くと、毎朝、新聞を配達してくださる方たちが優しく出迎えてくれた。そこにはお菓子やシリアル、レトルトカレーなどがたくさん並べられ、子供服やおもちゃ、本などもあった。
 あんなにたくさんのお菓子を買うのは大変だろうなと思っていたが、賞味期限が近く、廃棄するものを企業が無償で提供してくれるそうだ。
 毎日、早朝から新聞配達で一軒ずつ足を運ぶ販売店さんは、地域の人たちのことをよく知っていて、さりげなく見守ってくれてるんだなと感じた。
 地域に寄り添うこのプロジェクトを、僕も自分にできることを考えて手伝っていきたい。

新聞配達でもらった温かい言葉

宮原みやはら 梨歌りか(16歳) 鹿児島県南九州市

中学3年生の夏休みの1か月間、私は新聞配達をしていた。当時の私は不登校気味で、おまけに昼夜が逆転していたので、それを見かねた母の知り合いの方が新聞配達をすすめてくれたのだった。
 せっかくだから、と引き受けたはいいものの、はじめの頃は本当にいやだった。それまでと全く逆の生活リズムで生活するのは本当に大変だった。けれど、長らく見ていなかった朝の風景や空気はなんだか新鮮で美しい印象を感じられた。また、知っていると思った場所でもいくつも知らない道があったりして、地域の姿を再確認することができた。
 私がやっと配達に慣れた頃には、あとすこしで夏休みが終わるというところまできていた。そしてとうとう最終日になり、その日の配達が終わると、知り合いの方から温かい言葉を頂いた。それからいろいろ済んで布団に腰をおろしたときのなぜだかぼんやりとした気持ちをふと思いだすことがある。

小学生部門小学生部門

最優秀賞

暗闇の中で

長谷川はせがわ 琥珀こはく(10歳) 北海道石狩市

「出発に向け配達準備」
(福島民報社提供)

平成30年9月6日午前3時過ぎ、北海道胆振東部で起こった地震のときにぼくのお母さんは新聞配達をしていました。配達途中に大きな揺れがあり、数分後、信号や電柱のあかりが消え、何も見えなくなったそうです。
 真っ暗な中、車のライトをたよりに、家を探し、新聞を届けました。暗い中の配達だったので、その日はいつもより時間がかかったそうです。
 大きな地震の後の配達で、とても不安でしたが、新聞を届けたおうちの人から「ありがとう」と言われ、すごくうれしかったそうです。
 その時の話をお母さんから聞いたとき、暗くても、こわくても、新聞を配ろうとするプライドはすごいと思いました。
 こんな地震などの災害のときでも、新聞を毎日届けている配達員さんたちのおかげで、今何が起こっているのかを知ることができます。いつも届けてくれてありがとうございます。

「出発に向け配達準備」
(福島民報社提供)

審査員特別賞

たからもののしんぶんをありがとう

瀬之上せのうえ 綾音あやね(8歳) 東京都中央区

「前カゴから正確に新聞を取り出します」
(日本経済新聞社提供)

その日、新聞に私の作文がのりました。私はうれしい気もちでいっぱいでした。遠くに住むおじいちゃんとおばあちゃんも見てみたいと言ってくれたので、近くの新聞販売所に買いに行きました。販売所に行くのは初めてで、少しきんちょうしました。
 「おはようございます」と声をかけると、優しそうなおじさんが出てきてくれました。新聞をとりよせたいことを伝えると、「明日の朝には用いしておきますね」と優しく対応してくれました。
 次の日また販売所を訪れると、おねがいした新聞が、入ってすぐの目立つ所においてありました。声をかけると、おじさんは笑顔で新聞を渡してくれました。新聞は折り目一つない状たいできれいにふくろに入っていて、大切にあつかってくれたことがうれしかったです。
 おじいちゃんとおばあちゃんに新聞を送ると、「宝物にするね」と新聞をそのまま飾ってくれました。おじさんの優しさが届いたよ、とありがとうを伝えたいと思いました。

「前カゴから正確に新聞を取り出します」
(日本経済新聞社提供)

優秀賞

「思い」のリレー

佐藤さとう 蒼維あおい(12歳) 秋田県横手市

「さあ、始まりだ」
(朝日新聞社提供)

「ありがとう、いつも助かるよ」
 ぼくは照れると鼻の下が伸びるくせがあり、一生懸命ごまかそうとします。でも本当は、心の中はうれしい気持ちでいっぱいです。
 早朝、外の郵便ポストから父に新聞を届けることがぼくの仕事になりました。今年手術を受けた父の体力が前より落ちてしまったので、父を助けるためにこの仕事を思い付きました。
 そんなある朝、ぼくははっとしました。雨や風の強い日、雪の日でも、新聞はぬれずにきれいに郵便ポストに届いているのです。
 配達のおじさんの、読者にしっかり届けたいという「思い」に気付き、心が温かくなりました。特に冬の時期、ふり積もった雪の上の足跡を見ると、感謝の気持ちでいっぱいになります。新聞が毎日届くことは、とてもすごいことなのだと心から思うようになりました。
 配達のおじさんの「思い」、ぼくの父への「思い」。これからもずっと「思い」のリレーを続けていきたいです。

「さあ、始まりだ」
(朝日新聞社提供)

入選(7編)

ありがとう、配達員さん

江川えがわ 生雄斗きおと(9歳) 福島県会津美里町

毎朝、ぼくの家には新聞が届きます。雨の日も雪の日もお正月も、ぼくの寝ている間にバイクで配達員さんが届けてくれます。ぼくの町はとくに広くはないけれど、何軒の家に届けているんだろうとか、どの家に届けるのかわかるのかなとか、思ったりもしました。
 ぼくの家は地元の新聞をとっていますが、新聞はどこから届いているのか母に聞いてみると、福島市という所で作成されて、それを市町村に分けられ、そのあと広告とセットにして配達されている話を聞いて、たくさんの人によって作られていることにすごいなと思いました。
 ぼくも休みの日は母と一緒に新聞を読みます。母は新聞が大好きなので、どういうところが好きなのかたずねてみると、他のニュースでは発表されていない記事を読むことやアナウンサー風に読んでみるのが好きだそうです。
 母とぼくから新聞を作って配達してくれる人たちへ感謝を伝えたくて書いてみました。いつもありがとうございます。

おじいちゃんの生きがい

小川おがわ 舞子まいこ(9歳) 愛媛県大洲市

「1部1部、丁寧に」
(佐賀新聞社提供)

わたしのおじいちゃんは、おばあちゃんと二人ぐらしです。毎朝、ポストに新聞をとりに行くのが、おじいちゃんのやく目です。
 でも、さい近、おじいちゃんは足が弱ってきたので、石がぼこぼこしたにわで、こけそうになることがよくあります。わたしは、心ぱいになって、
 「おじいちゃん、ポストに新聞をとりに行くの、おばあちゃんにしてもらったら?」と、言いました。すると、おじいちゃんは、
 「新聞がとどいているのを見るのが、じいちゃんの楽しみの一つなんだよ。ああ、今日もはいたつ員さんがじいちゃんのことをわすれずにはいたつしてくれた、と思うと、じいちゃんも『ありがとう』の気もちで新聞をとりに行きたくなるんだよ」と、言っていました。
 わたしは、おじいちゃんが新聞を読みたいのはもちろんですが、はいたつ員さんが毎朝新聞をとどけてくれることに、楽しみと生きがいをかんじていることを知りました。
 はいたつ員さん、これからもおじいちゃんのために、新聞はいたつをよろしくおねがいします。

「1部1部、丁寧に」
(佐賀新聞社提供)

新聞配達の苦労と工夫

小野おの 里咲りさ(12歳) 秋田市

私は、新聞配達はすばらしいと思います。
 まず一つ目は、毎日家にとどけられていることです。朝は、少し暗くて、あつかったり、寒かったりするのに、いろいろな家にちゃんと届けられているからです。しかも、大雨や、かみなりがなっているとき、大雪のときも届けられていて、苦労していると感じました。
 二つ目は、配達中に新聞が破れたり、クシャクシャになったり、ぬれたりせずに、きれいな状態で届けられていることです。そして、雨が降っているとき、雪が降っているときは、ぬれないようにビニール袋に入れてあるので、新聞を配達するときも、読者のために、何かといろいろ工夫されているんだと思いました。
 このように、新聞は、日ごろから身近にあるから、配達することは、当たり前のことだと感じていましたが、考えてみれば、大変な仕事だと気づいたので、これからも、感謝の気持ちを忘れずに、新聞を最後のページまで、もっとくわしく読んでいこうと思いました。

ジジチャの早起き大作戦!

菊地きくち 悠斗ゆうと(10歳) 秋田県大仙市

「帰り道、寺子屋代わりの販売所」
(南日本新聞社提供)

僕の祖父ジジチャは、毎朝4時ころには起きて、愛犬ロンと一緒に散歩している。17年も毎朝、雨の日も雪の日も眠たい日も……。日の短い時期は、朝なのにまだ真っ暗でお月様が見えるという。すごいなあ。
 そのジジチャが毎朝会うのが、新聞配達のおばちゃんだ。ロンとジジチャとおばちゃん。毎朝あいさつするのが1日の始まり。天気の良い日はすがすがしい気分に。荒れた日にはお互いごくろうさんという気分になるそうだ。
 ママが小学生の頃、ジジチャと一緒に新聞を受け取りに行っていたそうだ。家がまずしいから配達してもらえないと、ママは思っていたらしい。しかしそれはかんちがい。ジジチャの早起き大作戦だったのだ。
 「早起きして毎朝受け取りに行くのはとても大変。配達の方には心から感謝しないとね」というママの言葉が、むねにひびいた。
 「ママ、僕も新聞受け取りデビューするよ!だって僕は早起きジジチャの孫だから!」

「帰り道、寺子屋代わりの販売所」
(南日本新聞社提供)

勤労感謝の日

能美のうみ にな(8歳) 北九州市

「チラシを組んで配達準備」
(河北新報社提供)

となりでまだぐっすりねている母をおこさないよう、そっととびらをあけ、新聞をとりに行く。わたしの新聞と、母の新聞。やっとおきてきた母と一しょに、つくえいっぱいに広げた新聞を読む。ふだんは登校前、仕事の前に、ばらばらの場所で立ったまま見出しをばたばたと読んでいるが、今日は一つ一つの記事をじゅん番に、すみからすみまでゆっくり読んでいく。それぞれの新聞で面白かった記事を教え合い、意見を言い合う、いつもとはちがうぜいたくな時間。今日は勤労感謝の日。わたしも母もお休みの、とく別な日。
 ふと気がついた。わたしたちの手元にはいつも通り新聞が届いている。配達員さんは休みではないんだ。なんだか急にうしろめたくなってきた。すると、母が紙面の一部を指さしてにっこりした。それを見てわたしもにっこり。そこにはこう書いてあった。
 「今日の夕刊、お休みします」
 配達員さん、今日も新聞をありがとう。ゆっくり休んでください。

「チラシを組んで配達準備」
(河北新報社提供)

グットモーニングレター

古澤ふるさわ 明斗めいと(10歳) 長野県安曇野市

「販売店主催の『新聞ちぎり絵教室』」
(中日新聞社提供)

ぼくの家では、地元の新聞をとっています。毎朝、雨、風、雪どんな天気でも5時半ごろには新聞がとどけられています。どうやったらこんなにスムーズに配達ができるのかふ思ぎです。本当に決まった時間にとどけて下さってありがとうございます。ぼくが、配達員だったら毎朝たぶん汗だくでねぶ足になり、いやになると思います。
 ぼくの住んでいる所の新聞店の鳥羽さんは、毎月1回「グットモーニングレター」というおたよりがあって、1か月の出来事が書いてあり、その文にうなずきはげまされています。もう60まいも書いているのですね。すごいです。
 レターの最後に鳥羽さんのに顔絵がのっているところが好きです。お母さんも、おばあさんもレターのファンで、ぼくに読み聞かせてくれます。その時のお母さんの顔がニコニコしていて一番大好きです。ぼくも、そんなふうな文がたくさん書けるようになりたいです。
 鳥羽さん、毎月楽しみです。ありがとうございます。

「販売店主催の「新聞ちぎり絵教室」」
(中日新聞社提供)

ありがとう

山下やました 慧悟けいご(9歳) 福岡県鞍手町

「配達前の折り込み作業」
(毎日新聞社提供)

ある日、夜中にめがさめて、トイレに行こうとしたら、バイクの音が聞こえました。真っ暗な外をおそるおそる見ると、新聞配達をしている人でした。真っ暗で怖くないのか、事故にあわないだろうか、心配になりました。ぼくは眠い目をこすりながら、ベッドにもどりました。
 その日は朝早く目がさめて、いちもくさんに、ポストに新聞を取りに行きました。ビニールぶくろをやぶり、1枚ずつ広げてみました。ぎっしり書かれた文字。難しいニュースばかりでよく分からない記事もありました。でも、ニュースについて家族に聞いてみたり、子ども向けの記事をさがして読んだり、楽しめることが分かりました。
 小さいころは、ビリビリにやぶいたり、丸めて遊んだりしていたけど、4年生になった今、改めて新聞を手にとるきっかけになりました。
 「配達員さん、楽しみが増えました。ありがとうございます」

「配達前の折り込み作業」
(毎日新聞社提供)

(敬称略)

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