作品一覧 作品一覧

大学生・社会人部門 大学生・社会人部門

最優秀賞

犯人は3歳の息子

藤井ふじい 知子ともこ(57歳) 山口県下関市

『ご購読ありがとうございます』
(熊本日日新聞社提供)

本意ではないが引っ越しを繰り返してきた。
 慣れない土地での不安や寂しさも、新聞を読んでいる間は忘れることができた。
 ある冬の朝、新聞受けが空だった。配達忘れか誰かのイタズラか? 朝食の支度を終えると新聞販売店に電話をした。
 「すみません。すぐにお持ちします」。30分後、カタッと音がした。新聞には謝罪のメモと10円玉が入った小さな袋が添えてあった。
 「起きたよ」と3歳の息子の声。ん? 手に持っているのは新聞……。「はいっ」と笑顔で渡してくれる。あー、犯人は君だったのね。おそらく早くに目を覚まし、お手伝いのつもりで新聞を取り、また寝てしまったのだろう。
 慌てて新聞販売店に電話をし、寒い中再度配達してもらったことをわび、新聞とお金を返しに行くと伝えた。「いえいえ、息子さんを褒めてあげてくださいね。10円はお駄賃ということで」。心温まる言葉に、この街で暮らすのもいいなあとベランダから澄んだ空を眺めた。

『ご購読ありがとうございます』
(熊本日日新聞社提供)

審査員特別賞

新聞に救われたいのち

藤谷ふじたに 聖和せいわ (77歳) 滋賀県米原市

『奥能登で戸別配達再開』
(北國新聞社提供)

新聞が独居老人Aさんの命を救ってくれた。前日の新聞がそのままなので、新聞配達の方が心配して民生委員と警察に連絡してくださった。おかげで、自宅裏庭の溝に落ちて動けなくなっていたAさんが救助された。2日前の夕方に溝に落ち、動くことができず、夏の1日半、水を飲むこともできなかった。よくぞ、新聞受けの新聞からAさんのSOSを受け止めてくださったものだ。配達の方がAさんのことをよく知っていてくださったおかげだ。
 新聞はネットでも読めるが、ネットでは住人とのコミュニケーションはとれない。「おはよう、ありがとう」の挨拶や新聞受けに落ちる朝刊の音が、一日の始まりに活気を与えてくれる。
 今年1月、夜11時ごろ、雪の降るなかを新聞配達の方が朝刊をもって来てくれた。明日は雪で交通状態が悪くなるので、朝刊が早く送られてきたとのことであった。このような配達への配慮や配達先への気遣いは目には見えないが、私たちをそっと包んでいてくれる。

『奥能登で戸別配達再開』
(北國新聞社提供)

優秀賞

新聞とともに届ける僕の未来

HEINへいん TAYてい ZA(21歳) 東京都八王子市

『集合住宅を配達する様子』
(朝日新聞東京本社提供)

気温4度の寒さの中、冷たい雨に打たれながら原付きバイクで新聞を配っている――そんな自分の姿を2か月前の私はまったく想像していませんでした。
 私は日本で新聞奨学生として働きながら学んでいます。午前1時から仕事が始まり、まず新聞にチラシを挟み、雨の日には1部ずつビニールで包んでからバイクに積み込みます。配達先は主に団地と呼ばれるアパートタイプの建物です。一般の住宅とは違い、バイクで玄関先まで配ることはできまません。建物に入って階段を上がったりポストの場所を探したりと、体力も時間も必要です。重い新聞を持ちながら何度も階段を上り下りする日は、汗がにじむほどです。
 しかし、この仕事を通して私は確実に強くなっています。腕や足の筋力だけではなく、心の面でも粘り強さが育ちました。新聞配達は単なるアルバイトではありません。時間を守ること、責任を果たすこと、そして困難な状況でも前向きに動くことは、必ず夢を支える力になると信じます。

『集合住宅を配達する様子』
(朝日新聞東京本社提供)

入選(7編)

がんばっている娘へ

上之薗うえのその 智紀子ときこ(55歳) 愛知県津島市

『朝日を感じながらバイクで配達』
(新潟日報社提供)

27歳の娘と私は、毎日同じ部屋で寝ている。娘は新聞配達を始めて1年が経つが、一度だけ目覚まし時計をかけ忘れ、私に起こされて慌てて出勤したことがある。それ以来、娘は私を起こさないように目覚ましの音量を最小にセットして自力で起きて、静かに部屋を出ていく。私は寝たふりをして心の中で「気を付けて行ってらっしゃい」とつぶやき、娘を送り出す。
 10年前、私は新聞配達の仕事に励んでいたが、腎臓の病気を患い辞めざるを得なかった。それから10年後の今、娘は私と同じ新聞配達の道を選び、新聞を待ってくださるお客様に一軒一軒心を込めて配達している。
 「ご苦労様、ありがとうと声を掛けていただいたときはうれしくて、これからもがんばろうと思った」
 それを聞いた私は胸が熱くなり、娘に受け継いだ喜びを感じた。
 いつも私の体を気遣い、家事を手伝ってくれてありがとう。日常の小さなことや当たり前のことに感謝できる温かい人になってね。

『朝日を感じながらバイクで配達』
(新潟日報社提供)

手袋の励まし

佐藤さとう 理恵りえ(33歳) 山形県寒河江市

『新聞を間違えないよう注意する』
(毎日新聞東京本社提供)

私は新聞奨学生として4年間大学に通いながら配達をしていました。毎朝2時に起床し、朝刊の配達。授業を受講し、夕刊を配達。再び授業で大学へ戻る日もあり、日々眠気との戦いでした。田舎出身の私には東京が輝いて見えました。サークル活動や飲み会を楽しむ友人たちが羨ましかったのです。私ばかり惨めだと思っていました。
 ある日、配達先の玄関に「チャイムを鳴らすように」とメモ紙が貼ってありました。何かしでかしたかとドキドキしながらチャイムを鳴らしました。優しそうな女性の方が、「いつも配達ご苦労様。その努力は必ず報われるから」と、手袋をプレゼントしてくれました。私の心境を知っているかのような優しさに涙があふれました。
 現在は子育てに奮闘中で、夜泣きがひどく眠れないときもあります。朝刊配達のバイクの音が聞こえると、当時の自分を思い出し励まされます。
 配達員さん、私もあなたの頑張りを知っています。いつもありがとう。

『新聞を間違えないよう注意する』
(毎日新聞東京本社提供)

雨の日の布団屋

坪田つぼた まさる(72歳) 福井市

『丁寧にバイクに積み込み』
(東京新聞)

中学生のころ、夕刊配達のアルバイトをしたことがあります。あと少しで配達が終わろうとしたとき、激しい雨にあい、服も新聞もベタベタにぬれてしまいました。
 残り2軒。1軒目は布団屋さんです。事情を話して頭を下げ、恐る恐る新聞を渡しました。「こりゃーひどいな」と、笑いながら新聞を受け取ると「なんとか読めるよ。それより早く帰って着替えないと風邪ひくぞ。ごくろうさん」。そんな温かい言葉をかけてくださいました。店にある布団がどれも温かそうに見えたのを覚えています。
 いつかこの店で布団を買ってあげよう。そんなことを思いながら最後の配達先に。「ばか野郎。新しい新聞持ってこい」。急いで店に戻り、新しい新聞を届けました。それ以降、新聞をぬらさないよう工夫をして、怒られることはなくなりました。優しい言葉で人の情を知り、厳しい言葉で仕事の何たるかを教わりました。
 布団屋さんはなくなりましたが、おじさんの温かい笑顔とふわふわの布団が重なり合って、今も私の心に残っています。

『丁寧にバイクに積み込み』
(東京新聞)

楽しかった新聞配達

富田とみた 昌利まさとし(88歳) 長野県佐久市

『毎日が障害物競争』
(山陰中央新報社提供)

高卒後、40年近く続いたデスクワーク。還暦を過ぎたころより体力に不安を感じ、健康に関心の薄かった私も運動の大切さを悟った。
 そんなとき、新聞配達員募集のチラシを見て「これならいける」と思い応募した。午前2時に起き出し、車で中山間地を2時間ほど巡る作業は、汗ばむ程の運動量だった。
 厳しい寒冷地の気候にもめげず、25年間配達を続けられたのは、豊かな自然に囲まれたこの地に憧れ、都会から移り住んだ私のプライドでもあった。早朝の爽やかな空気に包まれて、小鳥のさえずりや山野草をめでながらの配達は至福の時間だった。さらに、数種類の新聞の見出しからいち早く世界のニュースを知る喜びもあった。
 おかげさまで徐々に体力も増し、関節の痛みも消え、風邪もひかなくなり少しずつ快適な生活が戻ってきた。まだまだ続けたかったが、事故率の高まる高齢化(85歳)と凍結する冬の道路事情を考え、安全のため25年続けた新聞配達を卒業することにした。

『毎日が障害物競争』
(山陰中央新報社提供)

父の日記

平野ひらの 佳代子かよこ(54歳) 岡山県備前市

『配達準備』
(北海道新聞社提供)

年明け早々、父が87歳で亡くなり、父が残した日記を少しずつ読んでいる。日記には、母が新聞配達を始めたときのことが書いてあった。
 私が3歳のころ、家計の足しにと始めたようだ。36歳の父の日記には「いつまで続くやら」と書いてあるが、母はそれから40年以上、新聞を配り続けたのである。私を自転車の後ろに乗せ配達していたことが昔の記憶に残っている。元旦の量の多いときや天候が非常に悪い日には、父も手伝っていたようだ。
 両親は我が家で結婚式をあげ、それから60年この地で暮らしてきた。結婚当時、まだ民家が少なく整備されていない場所も多かった。暗い中、すこしずつ変わっていく町並みを見てきたのであろう。
 今、当時の36歳の父に伝えたい。母は40年以上配り続けたこと、そして60年寄り添って生きていくことを。

『配達準備』
(北海道新聞社提供)

コミュニケーションは心の配達

MEみー MEみー AYEえい AUNGあうん(21歳) 東京都八王子市

『大好きな日本で新聞のお仕事を!』
(産経新聞東京本社提供)

私が新聞配達のアルバイトを始めてから、3か月が経ちました。最初は暗い道が怖くてたまりませんでした。住所もよく間違えて泣きたい気持ちになりました。そんなとき、声をかけてくれたのがアルバイト先の先輩でした。
 「大丈夫! 一緒に覚えよう」との優しい励ましに支えられ、苦難を乗り越えられました。
 今ではすっかり仕事に慣れて、お客様から「お疲れさま」「気をつけてね」の声をいただくようになりました。なかでもお菓子をそっと手渡してくれたおばあちゃんの笑顔は忘れることができません。
 「コミュニケーションは心の配達だ」。アルバイト先の上司は言いました。ミスしたら謝る。わからないときは聞く。その一つひとつのやりとりが信頼を生むのだと。雨の日の新聞がぬれないようにビニールに包むのも、お客様に心の声を届けることなのだと私は学びました。
 この貴重な学びの経験を生かし、これからも私は、心の配達を続けたいと思います。

『大好きな日本で新聞のお仕事を!』
(産経新聞東京本社提供)

私の夏

和田わだ 綾乃あやの(27歳) 広島市

『海沿いの配達』
(秋田魁新報社提供)

小学生の夏休み、祖父母の家に泊まるのが毎年恒例だった。
 カタンッ。
 真夏、網戸で寝ている部屋に朝早く響く、それはポストへ新聞が投函(とうかん)される音。
 朝起きると祖母がポストへ行き新聞を取り、祖父がその新聞を受け取り読む。そしてその後にラジオ体操をする。その光景を何度も見た。
 セミの鳴き声、テレビで見た甲子園、祖父母と一緒に食べるそうめん、あの日々を思い返す。
 そして、カタンッ。
 今思えば私にとっての夏の日々は、ポストに投函されるあの音から始まっていた気がする。
 月日が経ち、祖父は亡くなった。私は祖父が大好きだった。
 今も新聞は届く。
 祖母は毎朝ポストへ新聞を取りに行く。
 その新聞を祖父が読み、ラジオ体操をするあの夏はもう戻らないけれど。
 祖父への恋しい思いと、祖母が長生きする未来を願いながらまた、今も新聞を見るとあの夏を思い出す。
 カタンッ。から始まる私の夏。

『海沿いの配達』
(秋田魁新報社提供)

中学生・高校生部門 中学生・高校生部門

最優秀賞

能美のうみ にな(11歳) 北九州市

『寝静まる街で配達』
(日本経済新聞社提供)

「あれ、おかしいな」
 ある日の朝。空っぽの新聞受けを見つめしばらく考える。そうだ、今日は新聞休刊日だ。
 平日のわが家の朝は慌ただしい。登校する私と出勤する母。二人の朝の時間の流れは同じではない。それでも、おのおの新聞を読む。面白い記事があれば教え合うし、バス停に歩いているときにも、記事の感想を話し合っている。一方、週末の朝の時間の流れはすこしゆるやか。温かいお茶を飲みながら、母と一緒に朝刊を読む。わが家の朝のコミュニケーションの始まりには、いつも新聞がある。
 「今朝はみんな、のんびりだね」と私がつぶやく。母もにっこりとうなずいた。毎朝来てくれる新聞配達員さんも、今日はおやすみ。月に一度の新聞休刊日は、配達員さんへの感謝の気持ちを、あらためて二人で確かめる日だ。
 配達員さん、いつもわが家に「朝」を届けてくれて、ありがとうございます。今日、あなたも、すてきな朝を迎えていますように。

『寝静まる街で配達』
(日本経済新聞社提供)

審査員特別賞

勇気ある行動

高瀬たかせ 陽介ようすけ(15歳) 富山県魚津市

『次世代型路面電車LRTの走る街で』
(下野新聞社提供)

これは、わたしが祖母から聞いた話です。
 当時、祖母の住む町に地震が起きました。一人暮らしをしていた祖母は逃げ遅れてしまい、町は地震で荒れ果て、祖母は今外に出るのは危険だと思い、家で助けを待ちました。しかし、いつ余震がきてもおかしくない状況に、祖母は不安になりました。そんな中、祖母の名前を呼んで「大丈夫ですかー」と叫ぶ声がきこえました。祖母は助けがきたと思いそちらを向くと、新聞を毎朝届けてくれる新聞配達員さんがいました。配達員の方は祖母を避難所まで連れていき、祖母が感謝を伝える前にまたどこかへ行ってしまいました。その配達員の方は、祖母が一人暮らしであることを知っていて、心配で助けにきてくれたそうです。
 災害時こそ、地域のことを知っている新聞配達員が助けになることを実感し、その配達員の勇気ある行動に感動しました。あの配達員のような、非常時に何ができるかを考え、行動できる人になりたいと思いました。

『次世代型路面電車LRTの走る街で』
(下野新聞社提供)

優秀賞

キラキラがとどく

若狭わかさ そう(7歳) 松山市

『漁港を駆け抜けて』
(中日新聞社提供)

明日の朝が楽しみなのは、新聞がとどくから。ぼくはきょねんの秋、新聞社のワークショップをたいけんしてから新聞が大すきになった。たくさんの人の手を通して、ぼくがねている間にとどく新聞は、本当にすごい。
 ぼくのお家の新聞うけは、ちょっとかわったばしょにある。ガレージの東のかべにとりつけられていて、お外に出なくても新聞をとり出せる。シャッターがしまっていると、朝でもくらいガレージ。でも、ぼくはガレージに行くのがこわくない。新聞がはさまっていると、すき間から朝の光がさしこむから。キラキラ、まるで新聞が光っているみたい。
 「今日もキラキラとどいたよ……」
 ぼくは朝からごきげんだ。でき立てほやほやの新聞ってきれいだな、とぼくは思う。そして、新聞がここに来るまでの道のりをそうぞうする。ぼくのお家の新聞をとどけてくれて、ありがとう。今日もキラキラな一日になるといいな。

『漁港を駆け抜けて』
(中日新聞社提供)

入選(7編)

尊敬する祖父

石黒いしぐろ 小百合さゆり(16歳) 東京都新宿区

『しっかり確認』
(宮崎日日新聞社提供)

私には今年で77歳になる祖父がいる。私や兄にとってはユーモアにあふれた優しい祖父だが、母いわく、昔は真面目一徹で冗談などはめったに言わない人だったという。
 そんな祖父は、戦後間もないころに新潟の農家のもとに生まれた。まだ貧しい生活を送っていた新潟の家で、祖父は大学に行くことを許されていなかった。祖父の両親は農家の子供が大学に行く必要はないと考えていたし、そもそも新潟の家には祖父を大学に行かせてやれるほどのお金はなかったからだ。
 しかし、祖父は両親を説得し、自分で全ての学費を賄うという条件のもと大学に行くことを許された。その後は学業にいそしむと同時に新聞配達のアルバイトに励み、両親の金銭的な援助を一切受けずに、祖父は大学を卒業した。とても大変だったはずなのに、祖父は私が遊びに行くといつも当時のことを楽しそうに話す。そんな祖父を私は心から尊敬している。そして時々、早起きをした日などに外から新聞配達のバイクの音が聞こえると、ふと考えるのだ。彼らには一体どのような物語があるのだろう、と。

『しっかり確認』
(宮崎日日新聞社提供)

無事に届けてくれてありがとう

市川いちかわ はな(11歳) 高知県南国市

『まごころこめて』
(河北新報社提供)

わが家の朝は、納豆にごはん、そして新聞が欠かせない。新聞を見ながら、知っている人がのっている日は朝ごはんの会話もはずむ。そして、毎朝新聞を取りに行くのは私の仕事だ。どんなに寒くても大雨でも、毎朝新聞が届く。
 去年の夏、お母さんが新聞を見て「台風で新聞が遅れるかもしれんって、お断りの文が書かれちゅう。新聞配達の人にゆっくりで大丈夫って言ってあげたいね」と言った。台風のときに新聞配達をしていて亡くなった人がいることを教えてもらった。私は今まで新聞が毎朝届くのが当たり前だと思っていたけれど、配達員さんは新聞を命がけで届けてくれていることに気づいた。だから、私もお母さんと同じように「ゆっくりでいいので、気を付けて来てください」と思った。
 台風の日の朝も新聞は遅れることなく届けられていた。私は、新聞配達員さんに「無事に新聞を届けてくれてありがとう。これからも気を付けてください」と伝えたい。

『まごころこめて』
(河北新報社提供)

ぬくもり

おか 菜都子なつこ(12歳) 津市

『急な上り坂も読者のために』
(京都新聞社提供)

幼稚園のころ、私は祖母の家で暮らしていた。毎日夕方になると、原付きバイクのエンジン音が遠くから聞こえてくる。夕刊を届けにくる新聞屋のおじさんだった。私はその音が聞こえると、どんな遊びをしていても手を止めて玄関に走った。「こんにちは!」と声をかけると、おじさんはにこにこと笑い「今日も元気だなぁ」と言ってくれた。祖父母にも丁寧に挨拶をして、新聞を手渡し、また原付きで走り去っていく。けれど、そのほんの数分が、なんだかとてもあたたかく、うれしい時間だった。
 引っ越してからは、おじさんと会うこともなくなったけれど、何年か後、たまたま祖母の家の近くを歩いていると、原付きに乗ったあの姿を見つけた。「あれっ、大きくなったなぁ~!」と声をかけてくれたおじさん。変わらぬ笑顔と声に、懐かしい風景が一気によみがえった。新聞は紙だけじゃなく、人と人とのぬくもりも届けてくれていたんだなぁと、今になって思う。

『急な上り坂も読者のために』
(京都新聞社提供)

いつもばあばの見守りありがとう

玉成たまなり 菜子なこ(14歳) 徳島市

『商店街を走る』
(読売新聞東京本社提供)

私の祖母は一人暮らしだ。私たち家族は離れて暮らしている。私の母の妹は、東京で暮らしている。祖母が後期高齢者になったときに、母が新聞配達の見守りサービスに登録した。しかし、母はもっと早くにこのサービスに登録したかった。できなかったのには理由がある。祖母が大反対したからだ。祖母いわく、そのサービスを利用することは高齢者扱いをされているようで嫌だったらしい。そんなつもりはなかった、心配していたんだよ。
 そのうわさの見守りサービスとは、販売店のスタッフが朝夕刊の配達時に新聞がたまっていないかなどを確認し、異変に気付いた場合は、事前に登録された離れて暮らす家族などに電話連絡をするサービスである。
 新聞配達とは、新しい情報をすばやく届けるとともに、高齢者などの見守りをしてくれる思いやり、愛の形そのものだ。早朝から新聞と安心を届けてくれる配達員の方々、ありがとう。

『商店街を走る』
(読売新聞東京本社提供)

感謝の気持ち

林田はやしだ 大慧たいせい(13歳) 徳島市

『水田のある風景』
(信濃毎日新聞社提供)

朝早くに父と釣りに行くと、新聞配達の人のバイクの音が聞こえることがあります。まだ空も暗い時間なのに、一生けんめい配っている姿を見たことがあり、すごいなと思いました。
 雨の日でも、風の強い日でも、新聞は毎日きちんと届いています。しかも、雨のときは、新聞がぬれないようにビニールで二重にカバーまでしてくれていて、本当にありがたいです。
 新聞配達の人に会ったことはありませんが、毎日誰かのためにがんばっているんだなと思うと、感謝の気持ちでいっぱいになります。
 新聞はただポストに入っているわけではなく、見えないところで働いてくれている人がいると思うと、もっと大切に読もうという気持ちになります。毎日届く新聞が、どれだけ貴重なものかをあらためて考えさせられます。
 もし、早朝に出会ったときには「いつもありがとうございます」と挨拶したいです。

『水田のある風景』
(信濃毎日新聞社提供)

はやし 龍真りゅうま(14歳) 沖縄県宮古島市

『明朝まで、一旦休憩』
(愛媛新聞社提供)

「早起きは三文の徳」ということわざがある。1か月前から60軒への新聞配達をはじめた僕は、毎朝の新聞配達から「徳」をもらっている。
 朝5時10分起床。早寝・早起きするために、前の日から心身のコンディションを整える。配達時の天気を寝る前にスマホでチェックする。これは「先を見通す習慣の徳」。「おはよう。早い時間に偉いね。頑張っているね」。散歩途中の方と道ですれ違うとき、笑顔でかけられる声。「おつかれさま。いつもありがとうね」。新聞を手渡す際、笑顔で言われるお礼の声。そのとき、もちろん僕も笑顔だ。これは「ポジティブな言葉をいただく徳」。そして、最後の一軒を無事配り終えた瞬間感じる「今日もがんばろう」は「満足感と充実感の徳」だ。
 僕は、新聞配達を継続したいと思っている。時には大変な場面もあるけれど、事前の準備・天気への対応・出会いなどから、これからも「徳」をもらえることを期待して。

『明朝まで、一旦休憩』
(愛媛新聞社提供)

一日の始まりを告げる配達

山本やまもと 結羽ゆうは(16歳) 兵庫県新温泉町

『一番列車の“乗客”は新聞』
(岐阜新聞社提供)

私の家では、新聞はポストに届かない。毎朝、「ゆう、新聞!」という声とともに縁側に届く。祖母はもう何十年も新聞配達の仕事をしている。最初のころは母や母の兄弟と手分けをして配達していたが、母たちが大人になってからは祖母が一人ですべての家を回っている。雨の日も、雪の日も、道に氷が張って歩きにくい日も、一人では持てないくらい重い新聞の束を手作りのカバンに入れて背負い、毎日暗い時間から徒歩で一軒ずつ配達している。家族からは「もう年だし、けがも心配だから、やめてもいいのではないか」と言われているが、祖母はやりがいを感じているようである。新聞配達の途中で地域の人たちと井戸端会議をしたり、自然や動物の音に耳を澄ませてみたり・・・・・・。
 毎朝、家に響く「ゆう、新聞!」の声。それを聞くと「一日が始まったな」と感じる。私と同じように新聞が届くことで「一日が始まる」と考える人は多いと思う。祖母は地域に一日の始まりを告げる存在なのかもしれない。
 そんな祖母を私は誇りに思う。

『一番列車の“乗客”は新聞』
(岐阜新聞社提供)

(敬称略)
写真は作品とは関係ありません。

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