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2008年 4月22日
「郷土の誇り」への熱意追う

福島民報「千二百年の時を超え よみがえる慧日寺(えにちじ)金堂」

福島県磐梯町の慧日寺は平安時代の八〇七年に法相(ほつそう)宗の高僧・徳一(とくいつ)が建立したとされる寺だ。最盛期の平安末期には「寺領十八万石、子院三千八百」という隆盛を誇ったが、明治時代の廃仏棄釈で寺は廃され、寺院跡を残すだけだった。

その跡地にこの四月、寺の中心的な建物である金堂が三年がかりで復元された。連載は会津の仏教文化の象徴をよみがえらせた地元の取り組みなどを一月から三月まで二十回にわたり報告した。

空海や最澄と並び称された徳一は東国に新天地を求め、磐梯山のふもとの慧日寺を拠点に布教につとめた。町は一九七〇年に国史跡の指定を受けた後、金堂の復元を国に働きかけてきた。設計図などが残っていないため申請はなかなか認められなかったが、町長らの粘り強い訴えが実を結んで二〇〇五年に復元が正式決定。総工費約四億円で正面一五・九メートル、側面九メートル、高さ七・八メートルの金堂復元工事が国の補助事業としてスタートした。

第一部は徳一の足跡をたどり、第二部は室町時代までは現存したと考えられる創建当時の金堂の姿を手探りで再現していく様子に光を当てた。困難に挑んだ作業を「人口四千人足らずの磐梯町が、郷土の誇りを形にして残そうとしている」と語った専門家の言葉は、復元認可までの道のりを追った第三部で文化庁担当者が認可の要因として挙げた「地元の熱意」という言葉と重なる。

第四部では金堂が今後、町の文化施設として琴やクラシック演奏会、舞踏発表会などの会場になることなどを報告。「徳一が残した地域の文化のシンボルが目に見える形でよみがえった。その意義の大きさが伝わってくれれば」と鎌田喜之・報道部副部長。同副部長のほか吉田雄一・整理部記者、佐久間靖・猪苗代支局長が執筆。(審査室)

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