2012年 3月27日
「原発災害」一貫して追及

福島民友「3・11から―忘れない」

大震災と原発事故に襲われた福島の実態を1年にわたり、「福島原発・災害連鎖 3・11から」の共通タイトルで、さまざまにテーマを変えながら追ってきた。昨年の連載は15シリーズに及び、今年に入っても「食品基準の波紋」「〝双葉〝の意思」「守りのとりで あの時」と続けた後、震災1年を期して3月1日から「忘れない」(10回)を掲載した。

1年たっても復興は進まず、放射能汚染や賠償問題が重くのしかかる。忘れない、忘れてはならない「あの日」からの苦しみ。東電協力企業のベテラン作業員は当日から数日間、事故原発との命懸けの闘いの現場にいた。「生きては帰れないと思った」という彼は、被ばく量が限度を超えてしまい5年間は原発構内に入れない。南相馬の病院の看護部長は、辞める人を引き留め避難した人に復職を説得、足りなくなった看護師確保に駆け回る。避難勧奨地点指定の線引きで地域が分断される矛盾。避難先の借り上げ住宅にいつまで住めるか不安は消えず、帰還したい古里に住宅を再建するメドは立たない。低線量被ばくの中で生きていかねばならない子供たちへの放射線教育に、教師たちは悩む。

併載した「記者たちの軌跡」(10回)では、震災直後の記者たちの活動を当時掲載できなかった写真も付けて報じた。2月から「原発共生の虚実」(第1部8回)の企画も始めており、14日からは「さまよう官邸」「さまよう住民」(いずれも5回)の二つの検証を併載した。

「当初から『これは原発災害である』ことを一貫して追及したいと考え統一タイトル方式にした。新たな事態が次々に起き、それに対応しているうちに回数が重なった。まだまだこれからと思っている」と菊池克彦報道部長。小野広司専任デスクが一貫して統括、渡部哲也、菅野篤司記者を中心に取り組んでいる。(審査室)

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