2008年 12月9日
見境ない暴力の爆発

さいたま市と東京・中野区内の元厚生事務次官二人の自宅が十一月十七、十八日にかけて相次いで襲われ、二人の命が奪われ、一人が重傷を負った。元次官はいずれも年金行政に精通しており一時、連続テロ事件の可能性も浮上した。二十二日夜になって、男が「事務次官を殺した」と警視庁本部に出頭、乗り付けた軽自動車内には血の付いたナイフを含む数本の刃物などがあった。殺人容疑などで逮捕された男は「昔、保健所にペットを処分され腹が立った」などと犯行を供述したが、動機を含めて不可解な点が多く残る。八十本を超える社・論説が取り上げた。

「強い殺意」どこから

《ふに落ちない》秋田「どんなに想像力をたくましくしても、犯行に脈絡らしきものが見えてこないのが気に掛かる。仮に三十年以上前に、飼い犬を保健所に処分されたことが犯意の奥底に潜むとしよう。それが今なぜ、厚生労働省の元最高幹部ばかりか、その妻の殺傷へと結びつくのか」、河北「政治家や行政関係者に向けられた過去のテロ行為は、何らかの具体的な出来事が発端になったことが多かった。今回は今のところ、それが感じ取れない。(略)もう少し細部にこだわってからでなければ、この事件がもたらす不気味な不安の影の全体像は見定められない」、産経「容疑者が出頭してきたとはいえ、まだまだ謎が多すぎる。最大の疑問は、旧厚生省の元次官をなぜ、襲撃したのかだ。(略)単独犯行なのか。何らかの組織が背後に存在するのか。解明すべき点は多い」、南日本「随分前に退官した元次官の現住所を調べ上げ、宅配便業者を装うなど犯行は計画的だ。中野区の現場では妻を刺した後、元次官本人を捜すために自宅内を歩き回ったとみられ、執念深さもうかがえる。ペット処分の話とすんなりとは結びつかない」。

《閉塞感と孤立》朝日「背景をうんぬんするにはまだ材料は不十分である。ただ浮かんでくるのは、男がどうやら社会から孤立し、何らかの不満やいらいらを募らせていたとみられることだ。(略)この事件の背景にあるものは、男の個人的な問題なのか。いまの世の中に広がる閉塞(へいそく)感のような、社会全体の問題もどこかでからんでいるのか」、北海道「逮捕された男は、大学を中退し、十年前から実家との連絡を絶っていた。近所と交流はなく、周囲とトラブルを起こすこともあったという。社会にとけ込めず、自分を正当化しようとする姿が浮かぶ」、読売「『極めて強い殺意があった』と警察は見ている。そんな歪(ゆが)んだ感情が、どこから生まれたのか。(略)専門家には社会の閉塞感が犯行を誘引しているという指摘もある。だが、どんな事情があろうと人の命を奪っていいわけがない。社会全体で毅然(きぜん)とした姿勢を示していくことが大切だ」、沖縄「政治、経済など各面に漂う閉そく感。定職のない不安定な生活と、自力では打開し難い格差。対人関係の希薄さと孤立感。今回の事件が単なる逆恨みによる犯行だとすれば、なぜ逆恨みが、身震いするような重大事件につながったのかを問わなければならない」。

一方的な憎悪に根深さ

《病巣の広がり》茨城・岐阜など「秋葉原無差別殺傷事件の被告が逮捕直後に漏らした『誰でもよかった』という言葉を思い起こさせる。当初取りざたされた政治的テロなら事件前に主義主張が表面化することもあるが、社会の片隅で孤立した個人が一方的に増幅させる憎悪については警戒しようもない。秋葉原の事件やそれ以前の『誰でも』という事件と合わせ、病巣の広がりと根深さを感じさせる」、中日・東京「事件が男の供述どおりだったとしたら、犯行は政治信条からのテロというより、見境ない暴力の爆発だ。今年、東京・秋葉原や茨城・土浦で起きた無差別殺傷事件と類似点があるようにもみえる。見知らぬ他人を傷つけることをためらわない事件が増え、インターネット上では犯人を支持したり、被害者を中傷する書き込みが飛び交う。暴力を容認する風潮が広がっている」、日経「今回は『無差別』でこそないにせよ、自らの妄念に突き動かされて確信的に凶行を果たしたのだとすれば市民社会への恐るべき挑戦と受け止めざるを得ない。証拠品を車に積み、警視庁本部に出頭してくるという行動形態にも、犯行を誇示する劇場型犯罪の要素が見て取れよう」、毎日「事の当否はともかく、事件発生後、多くの市民が連続テロの可能性を感じ取ったり、テロが起きても不思議ではないと考えている様子が明らかになったことだろう。年金をめぐる混乱がいっこうに収拾されないだけでなく、いわゆる格差社会の深刻化、雇用情勢の悪化などを背景に、人々のいら立ちや社会不安が広がっている証左ではないか」。(審査室)

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