裁判員制度に対する見解

2003年5月15日
日本新聞協会

 日本新聞協会は、司法制度改革推進本部事務局から提示された「裁判員制度のたたき台(原案)」について議論した。その結果、原案には憲法で保障された「表現の自由」を実質的に制限する内容があり、このままでは刑事事件ならびに裁判の取材・報道が制約を受け、国民の「知る権利」に応えられなくなる恐れが大きい、との結論に達した。それは今回の改革がめざす最大の目的の一つである「開かれた司法」の実現の障害にもなると考える。以下、論点ごとに当協会の見解を述べる。

総論

制度設計にあたっては、「開かれた司法」の実現という観点から、「表現の自由」「報道の自由」に十分配慮することを求める。

理由

 司法制度改革審議会などでの論議でも繰り返し指摘されてきたように、日本において国民と司法との距離は遠く、今回の諸改革についての国民一般の理解も決して深いとはいえない。メディアはこれまで、国民と司法の間に横たわるこの溝を埋める役割を果たしてきたが、その使命はますます大きくなるものと予想される。

 裁判員制度に関しても、この新しい試みが社会に定着し、国民が進んで裁判員としての役目を果たすには、十分な情報が伝えられ、制度が公正・透明なルールの下に運営されていると理解されることが不可欠である。にもかかわらず、今回示された「たたき台」にはそうした観点が見受けられず、情報公開に関して極めて閉鎖的な制度設計になっている。この基本的なスタンスを見直すことが求められる。

「裁判員等の個人情報の保護」について

たたき台 8(1)

ア 訴訟に関する書類であって、裁判員、補充裁判員又は裁判員候補者の氏名以外の個人情報が記載されたものは、これを公開しないものとする。

イ 何人も、裁判員、補充裁判員又は裁判員候補者の氏名、住所その他のこれらの者を特定するに足る事実を公にしてはならないものとする。

個人情報をすべて非公開にするような制度設計にはしないよう見直しを求める。

理由

 裁判員に対する脅迫や嫌がらせなどは公正な裁判を行ううえであってはならないことであり、個人情報の取り扱いに慎重を期す必要があることは理解できる。しかし、どういう人が裁判員になり、どのような判断に加わったかが全く明らかにされなくては、「公正な裁判が行われている」という社会的信頼を得ることはできず、制度の定着にも結びつかない。国民の司法参加の一形態であり、半世紀以上に及ぶ実績がある検察審査会に審査員の氏名等の公表を禁止する規定がないことも踏まえ、さらに検討を深めるべきである。

「裁判員等に対する接触の規制」について

たたき台 8(2)

ア 何人も、裁判員又は補充裁判員に対して、その担当事件に関し、接触してはならないものとする。何人も、知り得た事件の内容を公にする目的で、裁判員又は補充裁判員であった者に対して、その担当事件に関し、接触してはならないものとする。

イ 裁判員又は補充裁判員に対し、面会、文書の送付その他の方法により接触すると疑うに足りる相当な理由があることを被告人の保釈不許可事由及び接見等禁止事由とするものとする。裁判員又は補充裁判員に対し、面会、文書の送付その他の方法により接触したことを被告人の保釈取消事由とするものとする。

裁判員を退いた人にまで接触禁止の網をかけるべきでない。

理由

 裁判の公正を保つために、利害関係者らによる裁判員への接触を禁止しなければならない必要性は理解できる。しかし、裁判員を退いた人に対してまで一律に接触禁止とすることには弊害が多い。裁判員を経験しての感想や提言などを語ってもらうことは制度を定着・育成していくうえで不可欠であるし、裁判の経緯を事後的に検証することが必要な場合もある。よって、「たたき台」アの後段の「何人も、知り得た事件の内容を公にする目的で、裁判員又は補充裁判員であった者に対して、その担当事件に関し、接触してはならないものとする」は削除するべきである。前段の「何人も、裁判員又は補充裁判員に対して、その担当事件に関し、接触してはならないものとする」については、検討の余地があると考える。

「偏見報道禁止」等の規定について

たたき台 8(3)

ア 何人も、裁判員、補充裁判員又は裁判員候補者に事件に関する偏見を生ぜしめる行為その他の裁判の公正を妨げるおそれのある行為を行ってはならないものとする。

イ 報道機関は、アの義務を踏まえ、事件に関する報道を行うに当たっては、裁判員、補充裁判員又は裁判員候補者に事件に関する偏見を生ぜしめないように配慮しなければならないものとする。

全面削除を求める。

理由

 メディアの取材・報道には「国民の知る権利」に応えるという重大な使命がある。特に、裁判員制度が対象とする重大事件に関する報道は国民の関心が強く、そしてその関心は自然なものである。また、メディアは、事件報道を通じ、国民の必要な情報を提供し、平穏な市民生活を守るうえでも重要な役割を担っている。新たな裁判員制度によって、これまで国民に提供されてきた、国民の生命、財産を守る情報が国民から遮断されてはならない。

翻って本規定は、たとえ訓示規定であっても実質的に事件・裁判に関する報道を規制するものになりかねないうえ、何をもって「偏見」とするのかも明確でない。恣(し)意的な運用を導く恐れの強い規定であり、表現の自由や適正手続きを定めた憲法の精神に触れる疑いがある。

確かにメディアは、捜査当局の発表に流されたり、無実の市民を容疑者扱いしたりするなどの誤りも過去に例がないわけではない。しかし裁判員制度の下では、先入観を捨て、あくまでも法廷に現れた証拠と法に基づいて判断するよう裁判員を適切に導くのが、裁判官をはじめとする法律専門家の役目であるはずだ。報道側もこれまでに寄せられた批判や反省を踏まえて、▽事件報道に関する指針を定める▽関係者からの苦情申し立てなどに応じるため、外部識者らをメンバーとする報道検証機関を設ける▽新聞倫理綱領を改訂し、集団的過熱取材の回避策を講じるーなどの対応をとり、努力を積み重ねてきている。

こうした諸事情を考慮すれば、ことさら本規定を設ける必要はないと考える。

「裁判員等の秘密漏洩罪」について

たたき台 7(2)

裁判員、補充裁判員又はこれらの職にあった者が評議の経過若しくは各裁判官若しくは各裁判員の意見若しくはその多少の数その他の職務上知り得た秘密を漏らし、又は合議体の裁判官及び他の裁判員以外の者に対しその担当事件の事実の認定、刑の量定等に関する意見を述べたときは、○年以下の懲役又は○○円以下の罰金に処するものとする。

守秘義務が課せられる内容の範囲や期限をより明確にするよう求める。

理由

 裁判の公正を保ち、関係者のプライバシーを保護するうえで守秘義務は必要だと判断する。しかし、【8(2)】に関する部分でも触れたように、裁判の公正さを担保し裁判員制度を定着させるには、制度への不断のチェックが必要不可欠だ。評議が適切に行われたかどうかは、上訴理由にもなりうる。守秘義務が広範に課せられては、裁判がどのように行われたのかを事後検証することは極めて困難になる。守秘義務の範囲・期限を特定するべきである。

報道機関による自主ルール制定について

 当協会加盟各社は、裁判員制度の導入を想定して取材・報道指針を作成する用意がある。その中では、評議中の裁判員への接触取材や裁判員の特定につながる個人情報の報道などは原則自粛する方向になると考えている。また、こうしたルールを協会加盟社だけで定めても実効性が担保されないため、同様の取り決めを制定・順守するよう日本民間放送連盟や日本雑誌協会と協調していく所存である。

ここで取り上げたのは、もっぱら「たたき台」の7と8にかかわるものだが、「たたき台」の文言だけでは趣旨がはっきりしない部分や、1~6に関する制度設計が固まらなければ意見を表明できない部分もある。議論の進展によって当協会の意見も変わりうるものであることを付記する。また、この「見解」は、裁判員制度の是非を論じたものではなく、裁判員制度が導入された場合に備えて検討したものであることも付け加える。

以上

「裁判員制度に対する見解」参考資料

「事件・裁判報道がいかに社会にとって重要な役割を果たしてきたか」

(1) 疑惑を掘り起こし、事件の全体像を国民に明らかにして、政治を動かした調査報道

リクルート事件

 1988年6月、リクルートがグループ企業の未公開株を川崎市助役(当時)に譲渡していたことを朝日新聞が報道した。以後、同じように未公開株が政治家、官僚、財界などに幅広くばらまかれていた実態を次々と明らかにしていった。報道が先行する中で、国会での調査も始まり、東京地検特捜部も捜査に着手した。捜査は、政界、旧労働・文部両省、NTTの4ルートにまたがり、政治家2人を含む計12人が起訴された。一連の疑惑では、リクルート側が株を譲渡した相手は、政官界関係者26人をはじめ70人以上にのぼり、当時の竹下首相が退陣し、政界再編のきっかけともなった。

 一連の報道は、当時、神奈川県警が川崎市助役の汚職事件の立件を断念したのを受け、朝日新聞横浜支局デスクが「(疑惑は)われわれが書かなければ、永遠に埋没する。思惑やイデオロギーを抜きにして、表に出にくい社会悪に挑むのが新聞の使命だ」と判断。支局員たちがこの言葉を受け、捜査当局の調べに頼らず、新聞の責任において取材・報道するという「調査報道」を始めたのがきっかけとなった。

 記者たちは、株の勉強、謄本など基礎資料の収集と分析など地道な作業をする一方、株を譲り受けたとされる政官財関係者に何度も通い、粘り強く話を聞き出す中で、「ぬれ手に粟」の手法と事実を国民に提示していった。また、その後も事件や裁判などの進行と並行して新たな事実や問題点を掘り起こす形で記事が展開されていった。

 新聞の調査報道がなければ、国民には疑惑の全体像が明らかにされなかっただけでなく、疑惑そのものが表面化しなかった可能性がある。事実の発掘という新聞の役割と重要性を改めて示したもので、「政治とカネ」の問題を社会に問いかけた報道だった。

業際研汚職事件

 鈴木宗男をめぐる事件に先立ち、東京地検特捜部は2002年初め、建設コンサルタント会社「業際都市開発研究所」による公共工事の口利きをめぐる汚職事件を摘発した。この事件では、茨城県の2人の現職市長と元運輸官僚の現職の徳島県知事が収賄罪で起訴された。

 東京新聞では、事件摘発の1年ほど前から独自の取材で疑惑をつかみ、慎重な裏付け取材の後、事件化に先立って疑惑を報道。あわせて立件されなかった仙台市や山形県発注の公共工事をめぐる口利き疑惑、談合疑惑についても詳報した。

 取材では、完全否定や取材拒否、訴訟を引き合いに出した圧力などがあったが、公共工事をめぐる口利き疑惑は、この後、鈴木宗男事件、井上裕参院議長の秘書をめぐる汚職事件と相次ぎ、先べんとなった。仙台市発注の公共工事をめぐる談合疑惑についても、新聞報道から数か月後、公正取引委員会がゼネコン各社の立ち入り検査に踏み切っている。

(2) 検察の対応を批判し、新法を生んだキャンペーン報道

片山隼君事故

 98年4月、毎日新聞は「二男奪ったダンプ 不起訴なんて」の見出しで、小学生だった片山隼君が交通事故死した問題を報じた。記事は、遺族に十分な説明のないまま、短期間の捜査でダンプカーの運転手を不起訴処分にした検察の対応に疑問を投げかけるものだった。その後も継続的なキャンペーン報道を続け、(1)事件の被害者対策の遅れ(2)交通事故の捜査や事件処理の欠陥――などを明らかにしていった。検察当局も、事件の再捜査に乗り出し、運転手は業務上過失致死罪で一転して起訴され、有罪が確定した。このキャンペーン報道がきっかけになり、刑事手続き運用の見直しや犯罪被害者保護法成立などの動きに結びついた。しかし、いったんは刑事訴追を免れた運転手に対する不起訴処分を問題視し、再捜査を促す内容のキャンペーン記事は、「偏見報道」の範ちゅうに入ると判断される可能性がある。

(3) 「裁判」の問題を洗い出した連載

連載企画「検証最高裁判所」「変われ!裁判所」

 これまで毎日新聞は、90年11月に「検証最高裁判所」、1999年12月~2001年6月に4部にわたって「変われ!裁判所」などの企画を連載してきた。いずれも、普段あまり批判の目にさらされることが少ないものの、一般市民にとって必ずしも十分な機能を果たしているとは言えない「司法」「裁判所」について、市民の視点から検証し、望ましいあり方を提言していくのが企画の狙いだった。その中では、(1)行政寄りの判決(2)市民の声に耳を貸そうとしない裁判官(3)閉塞(そく)した人事(4)市民的自由の少ない裁判官――などの問題を取り上げてきた。検証で欠かせなかったのが、現職や元職の裁判官への取材であった。もちろん裁判所を擁護する意見が多い中で、「裁判所がどこを向いて仕事しているのか、疑問を感じたことがある」「どれだけ事件を処理したかが勤務評定につながり、心理的な強制だった」などと率直に問題点を打ち明けてくれた裁判官も少なくなかった。国の機関が適正に機能しているかどうかは、メディアが常時監視し続け、検証していく必要があり、そのためには当事者への取材が不可欠である。ところが、裁判員への接触が禁じられると、こうした報道が制限される恐れがある。

(4) 裁判の不備をえぐり、えん罪を明るみにした追跡取材

弘前大教授夫人刺殺事件

 昭和24年8月6日夜、弘前市内の弘前大教授宅で、教授夫人が就寝中に刺殺され、22日に那須隆さんが逮捕された。那須さんは一貫して無罪を主張し、一審・青森地裁弘前支部は「証拠不十分」で無罪としたが、二審・仙台高裁は着衣の血液鑑定をもとに、懲役15年を言い渡した。最高裁は昭和28年2月、那須さんの上告を棄却して実刑が確定した。服役後の昭和38年、仮釈放された。

 昭和46年5月、読売新聞記者が宮城県の刑務所に入っていた男性から、「医療施設で真犯人と一緒になり、"俺が殺した"と言っているのを聞いた」との情報をキャッチ。真犯人と名乗った人を直接取材して裏付けをとり、「那須さんは無罪」との報道を行なった。その後、真犯人と名乗った人の就職の世話をするなど地道な取材活動で人間関係を作り上げた。

 一方で、那須さんの弁護士とも協力して5年9か月にわたる追跡取材を実施。新事実を次々と明らかにした。那須さんは仙台高裁に再審を請求し、昭和51年に再審開始。翌52年2月に無罪判決を勝ち取った。

 厳格な審理であっても人間の裁きである限り、そこには事実誤認があることを示した事件で、記者の地道な取材が、無罪という真実を導き出した。

(5) 北朝鮮の国家犯罪を暴いた追跡取材

北朝鮮拉致事件

 昭和55(1980)年1月7日の産経新聞の朝刊紙面で、当時の社会部記者の取材、執筆による「アベック3組ナゾの蒸発」の記事を1面トップおよび第1、第2社会面で報道した。

 この記事は昭和53年夏に相次いだ福井(地村保志さん、富貴恵さん夫妻)、新潟(蓮池薫さん、祐木子さん夫妻)、鹿児島(市川修一さん、増元るみ子さん)の三つの行方不明事件と、富山のアベック拉致未遂事件の事件前後に外国を発信源とする工作員連絡用の怪電波の傍受密度が上がったことや、事件現場から外国製の遺留品が見つかったことをあげて関連づけたうえで、「外国情報機関が関与?」などとして報じたものだった。

 その後、大韓航空機爆破事件翌年の63年1月15日には、爆破犯人の金賢姫が、北朝鮮の工作員に、日本から拉致された女性「李恩恵」の存在を明らかにし、産経はじめ、各紙が大々的に報じた。さらに産経新聞は平成9(1997)年2月3日、横田めぐみさんの失踪が、北朝鮮による拉致の疑いが強まったことを報道した。

 昨秋の日朝首脳会談で北朝鮮が日本人拉致を認め、曽我ひとみさんら5人が帰国し、産経新聞の報道が裏付けられた。

 20年にもおよぶ息の長い追跡取材で国家犯罪を暴いたキャンペーン報道だった。

(6) 神奈川県警が隠していた不祥事を明るみに出し、警察改革につながった報道

神奈川県警をはじめとする警察不祥事

 1999年9月、神奈川県警厚木署集団警ら隊の集団暴行事件と相模原南署の元巡査長による女子大生脅迫事件が時事通信社の報道によって明らかになり、神奈川県警の不祥事に火が付いた。いずれも当時の県警幹部は内々に処分し、事件化しなかっただけでなく、記者会見で虚偽発表を繰り返した。県警の隠ぺい体質に批判が集中し、県警本部長が虚偽発表の責任を取り辞職。県警や地検が再捜査した結果、両事件で計3人が起訴され、いずれも有罪判決が確定した。

 その後も、元警部補の覚せい剤使用疑惑で時事通信社の報道による追求の結果、「陽性」の尿検査結果が出ていたにもかかわらず、当時の県警本部長ら幹部が組織ぐるみで隠ぺいしていたことが発覚。報道を受けて県警に特別調査チームが編成され、再捜査により、当時の本部長や現職のキャリア警察官を含む9人が書類送検され、横浜地検はうち5人を犯人隠避罪などで起訴、すべて有罪判決が確定した。このほかにも警察官による痴漢、暴行、女性警察官脅迫などが明らかになり、刑事責任を問われることになった。

 これを機に、新潟、埼玉、栃木県警などでも報道によって不祥事が発覚。警察への国民の不信と批判が高まる中、警察刷新会議が組織され、警察法を改正し、公安委員会の監察機能の強化、市民からの苦情への回答義務化、キャリア制度の見直しなどが行われた。

 これらの事件を通じて明らかになったのは、警察の根深い隠ぺい体質と世間の常識からかけ離れた内輪の論理であり、報道なしにはその是正はありえなかった。

以上

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