作品一覧 作品一覧

大学生・社会人部門 大学生・社会人部門

最優秀賞

「新聞がくれた勇気」

水野 貴子(49歳) 熊本市

「心をこめてお届けします」
(朝日新聞社提供)

平穏な夜に突然、熊本に地震が来た。

避難先で夜を明かし、自宅へ戻ったら、いつものように新聞があった。いつもと変わらず玄関ドアのポケットに新聞があった。ああ家に無事帰れたと、ほっとした。

ほっとしたその夜、また熊本に地震が来た。一瞬死を覚悟するほどの大きな地震だった。揺れやまない大地、漆黒の夜、サイレンとヘリコプターの音。バッテリー残量が心もとないスマホを握りしめて、車中で震えて過ごした。

一睡もできず、もうすぐ夜明けかという頃、一台のバイクが走り抜けた。わが目を疑った。前かご、後ろかごに載っているのは新聞である。こんな非常時の朝、定刻に新聞が配達されている。

熊本の人はみんな被災者だ。配達員の彼も被災者だ。なのにいつものように、当たり前に新聞が配達されている。ここに日常がある。いつもの朝がある。

停電の日々、毎朝夜明けとともに避難先から帰宅すると、玄関ドアに新聞があった。日常はきっと取り戻せると確信した。

「心をこめてお届けします」
(朝日新聞社提供)

審査員特別賞

「今の私がある理由」

田村 真規子(29歳) 北海道芽室町

「新聞とりませんか?」

ある週末のこと、新聞勧誘に一人のおばさんが訪ねてきた。

仕事に追われて読む時間がないから……と、今までどの新聞も断ってきた私。今回も同じように断ったのだが、それ以来記事の切り抜きとメモ紙がドアノブにかかるようになった。あの人だな……と思い読んでみると、どれもすてきな記事ばかり。蛍光ペンでアンダーラインなんかも引いてある。彼女の人柄が分かった気がした。

そして記事を切り抜き、気持ちを丁寧に書き添える姿を想像すると、ちょっぴりうれしくて心が温かくなった。私の中で「新聞とってみようかな」という気持ちが生まれた瞬間だった。また、新聞を通して人の思いを感じることができた出来事だった。

それから小さな気持ちはすくすくと育ち、今回初めて新聞をとることになった。あのときの彼女との出会いがあったからこそ、今の私があるのだと思う。これからは私も新聞のある生活を楽しんでいきたい。

優秀賞

「あのときの新聞配達の学生さんへ」

篠﨑 雅則(65歳) 東京都多摩市

「さわやかな朝は、自転車も軽く配達」
(中国新聞社提供)

「ご苦労さまでした。ありがとうございました」

十数年前のことになりますが、いつものように郵便受けに朝刊を取りに行くと、新聞と手書きで記された一通の手紙が一緒に添えてありました。

「もうすぐ私は社会人となるため、この仕事を終えます。今まで新聞を購読していただきありがとうございました」

私は今でもその文面を覚えています。それぞれの家庭に手紙でお礼をされたのではないかと思います。思えば、それは春の出来事でした。

あなたからいただいた手紙を読んだときは、本当にすがすがしい気持ちになったことを覚えています。あのときは学生さんだったのですね。本当はあなたに手紙のお礼を言いたくていましたが、それができず私は今まで心にわだかまりを抱えて今日まで来ました。あのとき何とか会って「ご苦労さまでした」と、その労をねぎらう言葉をかけておけばと、今も後悔しています。

今もあのときの新聞配達さんの行方が気になってしょうがありません。今では立派な社会人となっていることでしょう。

今回このエッセーへの投稿で、やっとそのお礼を言う機会を得ました。「ご苦労さまでした。ありがとうございました」

「さわやかな朝は、自転車も軽く配達」
(中国新聞社提供)

入選(7編)

「母の愛情と新聞配達」

石田 絵蓮(21歳) 前橋市

「じゃあ、行ってくるわね」

「うぅ……はいはい……うるさいなぁ……」

毎朝、新聞配達に行く母。早起きが得意な母とは対照的に、私は朝が苦手だった。それを知ってか知らずか、母は毎朝、新聞配達に出る前に眠っている私に声をかける。気持ちよく眠っているのに、わざわざ起こすなんてひどいと、私はいつもそう思っていた。

「お母さん、毎朝毎朝、起こさないでくれない? うざいんだけど」

「ごめんね、毎回顔だけ見ようと思うんだけど、ついつい寝顔がかわいくて声をかけちゃうの」

お父さんが亡くなってから、お母さんは朝も夜も働いていた。新聞配達をするようになったのも、朝が早いため、私が学校に行く前に帰って来られて、見送れるから選んだということを母が亡くなってから知った。

私が学校に行くと同時に一緒に配達とは別の仕事に出て、私の学校が終わる頃に帰ってきて、夕飯を作ってくれ、私が寝たと同時にまた別の仕事へ出掛けていた。私が寂しくないように、一人にならないようにと。

お母さん、ありがとう。

「病院に送り届けてくれた青年」

石原 和江(51歳) 佐賀県基山町

「元気で配達に出発」
(朝日新聞社提供)

夜明け前、下腹部に痛みを感じて目が覚めた。用意しておいた入院用のバッグを抱え、まだ暗い通りへ出る。病院までは2キロ弱。陣痛の合間を縫って歩けば、余裕で到着することは何度もシミュレーション済みだった。

集合住宅の角を曲がれば建物はほとんどなく、田んぼの先に目的地が見える。ホッとした途端に激しい痛みに襲われてうずくまった。痛みと不安に押しつぶされそうになる。そのとき「大丈夫ですか、そこの病院ですね。僕につかまってください」と、声も出せずただうなずくだけの私を病院に送り届けてくれたのは、新聞配達の青年だった。

母は事あるごとにこの話を私にした。お名前さえ聞けなかったことが心残りだったに違いない。その母も他界して18年がたつが、今もこのエピソードを忘れることはない。

私は見ず知らずの新聞配達のお兄さんに助けられて産まれた。もはやお礼を言うことはかなわないが、どうか幸多かれと願わずにはいられない。

「元気で配達に出発」
(朝日新聞社提供)

「あいさつを教えてくれて感謝」

遠藤 古都(20歳) 東京都

この場を借りて感謝を伝えたい人がいる。

10年ほど前になるが、私にあいさつを教えてくれた新聞屋さんがいた。幼い頃、あいさつをしなさいと母に何度言われても、うまくできなかった。

夕方、家の前で遊んでいると新聞屋のおじさんが来て、いつも笑顔で私に頭を下げてくれた。ある日、勇気を出して新聞屋さんにあいさつをした。しかし、返事はなく、いつも通り笑顔で頭を下げるだけだった。母にそのことを伝えたとき、初めて新聞屋さんの耳が不自由なことを知った。

彼は言葉なしで私にあいさつを教えてくれた。本当に伝えようとすれば言葉以外でも伝わる、そしてあいさつをされて嫌な人はいないと気づいて初めてあいさつが身についた。

今、20歳になった私の自慢は、誰にでも明るいあいさつができること。新聞屋さん、ありがとう。

新聞屋さんが手から手へと渡すもの、それは新聞だけではないはず。みなさんの存在が今日も誰かを助け、支えています。毎日お疲れさまです。明日も待っています!

「花の季節に」

川口 恵子(62歳) 札幌市

ある日、いつもより少し早めに帰宅した私は、玄関の手前ではっと息をのみました。そこには今朝とは別の満開の桜の鉢植えが、そよそよと風に揺れていたのです。一日の疲れを忘れる美しさでした。同時に不思議でもありました。留守番の高齢の母に運べるはずがないからです。

玄関先につえをついた母の姿があったので、声をかけようとしたまさにそのとき、庭の方から日に焼けた年配の男性が小走りに出てきて、「古い花は裏庭に置いておきましたからね」と言いました。腰痛のため険しい表情の日が多い母が、にこにこしています。それは夕刊を届けてくれた人で、認知症気味でもある母は仕事中の人にすべきでないお願いをしたようです。私は思わずお礼よりも先に、おわびの言葉を口にしようとしました。しかし、その人は笑顔で「いいんですよ。これくらいなんでもないですから」と言いながら、歩調を緩めることなく走り去りました。

母は夕刊を持ったまま、玄関前に置かれた桜をうれしそうに見ています。その姿を見て、私はあの人が毎日わが家に届けてくれるのは、新聞だけではなかったのだということに気づいたのでした。

母と私はしばらくそのまま風に揺れる桜を見ておりました。

「尊く思えた新聞のある日常」

城戸 芙美(35歳) 熊本県玉名市

「折込確認しっかりと」
(産経新聞社提供)

これは熊本地震の本震が起こった日の出来事。私は子供二人と実家へ身を寄せていた。本震当日、夫が夜勤だったためだ。

早朝になり、ふと自宅アパートが気になった。実家とアパートは車でたったの2分。子供二人を両親に任せ、アパートへ向かった。しかしその間も、携帯からは地震を知らせるメールが鳴り響く。じっとしていればよかった……と後悔とともに到着。

新聞は……届いていない。当たり前だ、あれだけの地震があったのだから。しかし室内を確認し、玄関の鍵を閉めたとき、背後から声がした。

「すみません。遅くなりました」。新聞配達員さんだった。「ありがとうございました。お世話になりました」。驚きで、そんな当たり前の言葉しか出てこなかった。この最中にも新聞を作り、届けてくれた人がいる。新聞のある日常を尊く思わずにはいられなかった。

余震はまだ続いていた。足早に走り去ったバイクの後ろ姿に、「お気をつけて」と声をかけた。

「折込確認しっかりと」
(産経新聞社提供)

「早朝のチャイム」

木村 佐恵子(58歳) 大阪市

「ピンポーン」。朝5時すぎ、わが家のチャイムが鳴る。それを待ちかねていたかのように玄関が開く音がし、庭の敷石を歩く老父のげたの音。

新聞を読むのを毎日の楽しみとしている父が、朝刊をポストに入れたらチャイムを押してくれるようお願いしたのだ。それまでは、配達された頃を見計らってポストの中を見に行っても、ポストの中はからっぽ。そんなことがあるたびに父はがっかりしたことだろう。雨の日や冬の寒い日には、なおさらだ。でもチャイムを鳴らしてもらうようになってからは、そんな無駄足はなくなった。

配達員さんがかわっても、この習慣だけは引き継がれていった。一軒だけ特別にそんなことをするのはさぞ面倒なことだろうが、10年以上雨の日も風の日も一日も欠かさずチャイムは鳴らされた。

「ピンポーン」。今朝もチャイムは鳴る。でも、それを心待ちにしていた父は先月亡くなってしまった。今まで本当にありがとうございました。寂しいけれど配達員さんに感謝しつつ、この習慣も終わりにしていただこう。

「心に残る笑顔」

佐々木 翠(77歳) 仙台市

「きれいに夕刊を積んで『準備完了!』」
(読売新聞社提供)

休日の昼下がり、玄関のチャイムが鳴る。一人の女性が訪ねてきた。

インターホン越しに「新聞をお読みになりませんか」とのセールスであった。パソコンに夢中になっていた私は、「ニュースも社会情勢もパソコンから知ることができる」と、新しい風に得々としていた頃だったので、新聞購読の誘いを即座に断った。

わが家の玄関のモニターに、深々と頭を下げる女性の姿が映し出された。モニターを見続ける私の目に、階段を下りた女性が再び深々と頭を下げ立ち去る姿が見えた。女性からにじみ出てくる自然の姿に、私は出会ったことのない感動を覚えた。

モニター越しではあったものの、女性の顔が忘れられず、再び浮かんできた。思わず販売店に電話し、配達の依頼をしてから、現在に至っている。

おかげさまで、新聞社が出している「コラム欄を写し取るノート」があることを知り、老いの道を突っ走る私に、コラム執筆の方が書かれる絶妙な表現と毎日出会う楽しみができた。

もう何年になるだろうか。今も女性の顔が浮かんでくる。ありがとう!

「きれいに夕刊を積んで『準備完了!』」
(読売新聞社提供)

中学生・高校生部門 中学生・高校生部門

最優秀賞

「配達員のおじさん」

星野 凜(13歳) 東京都文京区

「只今作業中」
(信濃毎日新聞社提供)

「おはようございます」

冬の早朝、早起きをして、家の前のつぼみがつきはじめた植物に水をあげていると、声をかけられた。まだ眠たい目をこすりながら顔を上げると、配達員のおじさんが立っていた。

「お花、早く咲くといいですね」と、配達員のおじさんは笑顔で言った。

春が来て、つぼみが開いた花に水をあげていると、また声をかけられた。

「きれいに咲きましたね」

「ありがとうございます」と、私は小声でお礼を言った。頑張って育てた花を褒めてもらったうれしさと、覚えてくれていたうれしさで、心が温まって、思わず笑顔になったのを覚えている。

いつも、笑顔と新聞を届けてくれてありがとう! あのときは言えなかったけれど、また今度会ったときは、大きな声で感謝の気持ちを伝えたいと思う。

「只今作業中」
(信濃毎日新聞社提供)

審査員特別賞

「祖母と社会をつなぐもの」

天羽 礼(17歳) 徳島市

いつまでも忘れられない光景がある。老眼鏡をかけた祖母が、病院のベッドで一生懸命新聞を読む姿だ。

パーキンソン病による認知症が出始め、ベッドに横たわる方法すら忘れつつある祖母が、不思議と新聞を読むときだけは、正気に戻った顔になっていた。置いてけぼりにされつつある社会を追いかけるかのように。今思うと、私たち家族にとってもその瞬間は、どこか遠くに行ってしまった祖母が戻ってきた気がして、心休まる瞬間だった。

それほど、新聞を楽しみにしていた祖母のために、仕事をしていた母は、新聞配達のバイクが家に来るのを待ち構えて、受け取った朝刊と祖母の着替えを抱え、病院まで車を走らせていた。自分より早く起き、仕事を頑張っている人がいるということに励まされながら。

新聞配達のバイクのエンジン音はわが家の一日のスタートの音。祖母亡き今も、仏壇に老眼鏡と朝刊を置き、手を合わせてわが家の一日が始まる。毎日、朝刊を届けてくれる新聞配達員さんに感謝しつつ。

優秀賞

「アメのおじいちゃん」

増田 汐凪(17歳) 山梨県富士吉田市

「雨降りの配達」
(信濃毎日新聞社提供)

54年間毎日、新聞配達をしている85歳の“新聞屋のおっちゃん”。私の祖父は、地域のちょっとした有名人です。

深夜1時半に起きて、バイクで新聞配達に出かけて行きます。それは、雨の日も、雪の日も、台風の日も関係ありません。それに加え祖父は集金にも出向きます。

地域の人たちは、そんな祖父を「元気者」と呼びます。その地域の人々は、手紙に「毎日ご苦労さまです」と記し、採れたての野菜をくださったり、栄養ドリンクやお茶などいろいろな物をくださって気遣いを示してくださいます。これが祖父の元気パワーの源なんだと実感しています。

また祖父も集金の時期には、地域の人たちと交流をうまく図るためにズボンのポケットにアメを入れて年配の人、小さな子供に手渡しています。小さな子供たちは、そんな祖父のことを「アメのおじいちゃん」と呼んでいます。

これは54年間の宝物だと思います。私も良い宝物をつくれるようになりたいです。

「雨降りの配達」
(信濃毎日新聞社提供)

入選(7編)

「ささやかな楽しみ」

安藤 沙織(17歳) 岡山市

「あらまぁ、大きゅうなっとるねぇ」

私が自室から出ようとしたとき、扉の開いた玄関からそう声をかけられた。玄関に目をやると、母と新聞配達のおばちゃんが私の方を見ている。おばちゃんに「こんばんは」と言うと、にっこりと笑ってくれた。二人は玄関先で野菜の値段が高いとか、子供は成長するのが早いとか、最近は朝晩が冷え込むとか、そういうたわいもない話を毎回している。

おばちゃんは必ず夕方頃に新聞の集金に来る。母が夕飯の支度で手が離せないときは、私が代わりに玄関を開ける。私より小柄なおばちゃんは、いつも「夕飯時にごめんねぇ」と言う。私は幼い頃から母の応対を見ていたせいか、大きくなったらおばちゃんにお金を払わせてもらえるとうきうきしていた。

17歳の今、おばちゃんは来るたびに「大きくなったねぇ」と声をかけてくれる。おばちゃんとの短い会話が今や、ささやかな楽しみになっている。

「早朝の物音に励まされて」

唐木 映里花(16歳) 埼玉県春日部市

誰だって、受験勉強の最終局面を迎えると心が焦ります。だからこそ、今年の1月下旬から朝型勉強に変えて、乗り切ることを試みました。厳冬の中、早朝4時に起床し、登校するまでの数時間を勉強に充てることは、大変苦痛でした。けれども、志望高校に合格するには不可欠と、自らを鼓舞しました。

そんな勉強のやり方に慣れてくると、自宅に朝刊が日々何時頃に配達されるかが、意外にも分かるようになってきました。

「ブイーン、コツコツコツ、ストーン!」

バイクを止めて、スロープを回って、玄関ドアの郵便受けに新聞を入れるまでの、なんと絶妙なフットワークによる配達さばき。

静寂な早朝に溶けこむその物音に、配達員の日頃から鍛錬された労力の結集を知ることができました。それに気づいた私は、集中力と効率性を重視し、本番に臨みました。配達の奏でる物音が私を後押ししてくれ、念願の志望高校の合格につなげられました。

「どんなときも配達される新聞」

鈴木 愛香(16歳) 山形県天童市

朝起きると毎日、新聞が配達されている。小さいときからこの光景に見慣れていたので、これが当たり前で、特に気に留めていなかった。

私が小学4年生のとき、東日本大震災が起こった。私の住んでいる地域では大きな被害はなかったが、停電になったり、食べ物が手に入りにくくなったり、日常生活に支障が出ていた。

しかし、地震があってからすぐ、朝ポストを見ると新聞が配達されていた。いつもとは違う朝だったから、新聞がいつもと同じように配達されていたことに驚いた。私はこのとき、新聞が毎朝届くことは当たり前のことで、気に留めていなかったことが申し訳ないと思った。

新聞は、いつどんなことがあっても、私たちのために配達されていた。私は、このことを当たり前だと思わないで、毎日感謝したいと思った。

「学び多い新聞配達」

對馬 祐美(18歳) 青森県弘前市

「配達前、丁寧に心をこめて」
(産経新聞社提供)

私が新聞配達のアルバイトを始めて約3年がたちました。

新聞配達を始めた頃は、朝早く起きることが苦痛で「やめたい」と思っていました。しかし、日を重ねるたびにある変化が生じ始めました。

その変化とは、私が新聞を配達している家の方々があいさつをしてくれるようになったことです。それもとびきりの笑顔と明るい声で。私にとって何よりの救いであり、幸せな気持ちにさせてくれました。今では「やめたい」という気持ちはなく、はりきって新聞配達をしています。

新聞配達をしたことがない人には、とてもキツイ仕事だと思うでしょう。実際にはキツイということよりも、地域の人々とコミュニケーションを取ることが楽しみになっています。たくさんの人と朝から話すことは、とても幸せなことだと思うので、大切にしていきたいと思います。

たくさんのことが学べる新聞配達という仕事を誇りに思っています。

「配達前、丁寧に心をこめて」
(産経新聞社提供)

「感謝を伝える」

樋口 大輔(13歳) 岡山県倉敷市

朝起きたら新聞をとりに行く。これが僕の日課だ。この新聞はだれが届けているのだろうかと母に聞くと、「近所のおばちゃんが朝3時ごろから配達してくれているんだよ」と言っていた。

ただおばちゃんには、病気の旦那さんがいるのを僕は知っていた。入院しているので費用がかかる。だから毎日、新聞配達をしてくれていたのだと分かった。僕は感謝の気持ちでいっぱいになった。

しかし、ある日おばちゃんの旦那さんが亡くなってしまった。僕は悲しく思った。おばちゃんにとっては、旦那さんは働くエネルギーそのものであったと思う。

次の日、僕はいつものように新聞をとりに行った。おばちゃんは新聞配達をやめなかった。とても心が強いと感じた。いままであたりまえにあった新聞が、あたりまえでないと感じた。

これからは家族で新聞に一言感謝の言葉を伝えることにした。僕は毎日、新聞にこう言う。「ありがとう」と。

「私のエネルギーの源」

廣井 祥子(16歳) 岡山県倉敷市

「配達読者をしっかり確認」
(毎日新聞社提供)

朝早く、ブロローンとバイクの音が聞こえる。目が覚めたときには、外は明るくなり始めていた。次に、カタンとポストが開く音がする。そして新聞が落ちる音がした。私にはその音全てが、街を起こす目覚まし時計のように聞こえる。

私は朝一番にすることがある。それは、ポストに新聞を取りに行くことだ。朝の太陽の光とあたたかな風がとても気持ちが良い。きっちりと折り目のついた新聞をひろげて、ニュースを読む。私の好きな時間だ。前日に何があったか、どんなことが話題なのかを知る。私の一日はそれから始まる。「おはようございます」。新聞を届けてくれた人には聞こえないはずのあいさつをした。

一日の始まりが気持ちの良いものになると、その日が良い日になる気がする。私はこれからも、新聞を読み続けたい。私のエネルギーの源になっているはずだ。

「配達読者をしっかり確認」
(毎日新聞社提供)

「おっちょこちょいな母」

宮脇 あゆか(18歳) 岡山市

「窓越に集金『今月もありがとうございます!』」
(読売新聞社提供)

私の母は、2年間ほど新聞配達の仕事をしていた。家計に困っているわけでもないのに、早朝から慌ただしく出て行く母が理解できなかった。

母はおっちょこちょいだった。配達から帰ってきた母にはよく切り傷があったし、自転車のカゴもへこんでいた。私は母にそんな危ない仕事を辞めてほしかった。しかし、めずらしく母はこの仕事を辞めなかった。

その後、配達を辞め、何年かたったある日、私はどこかで財布を落とした。たいした金額は入っていなかったものの、保険証やら学生証やらが入っていて何日か探した。

そろそろ警察に行こうと思っていたとき、家に一人のおばさんが来た。手には私の財布を持っていた。話を聞くと母がかつて新聞を配達していた家の人だった。

おっちょこちょいな母は、よくたくさんの人に助けてもらっていたらしい。そんな母を覚えていてくれた親切なおばさんが、わざわざ家までとどけてくれたのだ。

辞めてほしいと思っていたのに、今では母に感謝している。新聞配達という毎日のコミュニケーションは、地域とつながる大切な仕事だと思った。

「窓越に集金『今月もありがとうございます!』」
(読売新聞社提供)

小学生部門小学生部門

最優秀賞

「忘れられない日の出」

夏目 秀彦(11歳) 大阪府東大阪市

「夕刊配達準備『今日もがんばろう』」
(読売新聞社提供)

「ひーくん、起きて」と言われたのは、午前3時すぎだった。

「あっ、そうだった!」

今日は初めておじいちゃんの新聞配達を手伝う日だったのだ。

着替えて軽食を取り、すぐに出発した。

外はとても寒く、暗かった。

販売店に届いている新聞を取りに行った後、近くの家に配っていった。

はく息が白く、手は赤くかじかんでいた。

それでもおじいちゃんは一軒一軒、ていねいに新聞を届けていった。

そしてようやく最後の家に来たとき、東の方からまぶしい光が照ってきた。

「あーっ! 日の出だ!」

そのとき見た日の出は、ぼくにとって忘れられないほどきれいな日の出だった。

家に帰った後、ぼくはおじいちゃんに言った。

「いつも配達ありがとう、おじいちゃん」

「夕刊配達準備『今日もがんばろう』」
(読売新聞社提供)

審査員特別賞

「おはようございます」

宮下 月希(10歳) 新潟県長岡市

「根室市歯舞地区の昆布干し場に配達」
(北海道新聞社提供)

私の地域は、ごう雪地で、多いときは車が通路へ入ってこられないくらい積もるので、冬は早朝に起き1時間かけて雪かきをします。そんな所に配達へ来る配達員さんは、車を途中に止めて歩いて配っています。

ある日、私は朝4時半に除雪車の来る音と共に起きて、雪かきの手伝いをしました。配達員さんに「おはようございます」とあいさつすると、「小学生でこんなに早くから起きてお手伝いをしている子は見たことないよ。えらいなぁ」とほめてくれました。

毎日私より早く起きてどんな状況でも配達をしている配達員さんの方がすごいのに、私をほめてくれたことがとてもうれしかったです。まだ学生さんのような若いお兄さんなのに声をかけてくれたやさしさと、またそのお兄さんにあいさつできることが楽しみで、その後も手伝いをしたとき、いつも一声かけてくれるやさしさにふれて、学校に行くときの気分がちがいました。

早起きをしてあいさつする気分の良さを教えてくれた配達員さんとの出会いが、今でも忘れられない思い出です。

「根室市歯舞地区の昆布干し場に配達」
(北海道新聞社提供)

優秀賞

「命の見守り隊」

小野 嶺花(11歳) 香川県三豊市

いつも新聞を開いては、大好きな歴史や城の記事を探して読んでいる親せきのおじさんは、ちょっと前まで新聞の販売店を40年間営んでいました。40年間、毎日決まった当たり前の生活を終えて、少しのさみしさと、ホッとした気持ちがあるのだとか……。

私は、おじさんの新聞との40年間が気になり、記者になった気持ちで取材をしてみようと思いました。まず販売店の仕事や朝一番の風に当たり健康な体になったことや体調管理など、そして最後に忘れられない記憶があると話してくれました。あのとき声をかけていればと、口を開いてくれました。新聞の取り忘れかな?と思った1日目、次の日仕事があって声をかけられなかった2日目、これはおかしいと思った3日目、もっと早く気付いていればと後悔したそうです。あのとき助けられなかった命、忘れられないあの笑顔。

話を聞いて、新聞配達の仕事は、命の見守り隊だと思いました。今でもおじさんの家には今日の新聞が届いていないと電話があるそうです。40年間販売店のお仕事と配達おつかれさまでした。

入選(7編)

「えんの下の力持ち」

石橋 花雪(11歳) 広島県北広島町

「チラシ作業」(北海道新聞社提供)

私は毎日のように新聞を読みます。広島東洋カープの記事をよく読みます。新聞記事とはよく顔を合わせますが、新聞配達スタッフの方とは一度も顔を合わせたことがありません。しかし、新聞配達のスタッフさんこそ私が新聞を読めている要であり、えんの下の力持ちです。

5年生のころに、新聞が私の手元に来るまでの流れを社会科で学習しました。新聞を作る取材記者や編集記者、デスクの方はかっこいいなとあこがれました。そのときは、新聞が配達されるときのことについてほとんど学習しませんでした。しかし、今は新聞を配達してくださるスタッフの方も、記者さんと同じくらい大切だと思っています。毎朝早くに起きて新聞を配達するのは、とても大変だと思います。早起きが苦手な私だから、なおさらそう思えてきます。新聞配達スタッフの方の仕事は地味だけれども、とても重要です。

毎日あたりまえのように読んでいる新聞。「あたりまえ」だからこそ、たくさんの人の努力がギュッとつまっているのだと思います。配達スタッフの方、いつも私の元に新聞をとどけてくださり、ありがとうございます。私の元にとどけてくださっている方も、そうでない方も、会うことはできないけれど心の中で応えんしています。えんの下の力持ちとして、がんばってください。

「チラシ作業」(北海道新聞社提供)

「続けることの大切さ」

角田ルーシー花怜(12歳) 青森県弘前市

私は3年前にイギリスから来た。イギリスでは新聞を近くの店へ買いに行くが、日本では新聞配達の人が、どんな天気でも関係なく決まった時間に家まで配達してくれる。

私の住む青森県は冬の間、たくさんの雪が降る。朝早く雪かきを手伝うために外へ出るとスノーウエアを着た新聞配達のお兄さんが重そうな新聞の束を抱えながら配達していた。吹雪の日でも同じ時間に必ずそのお兄さんの姿を見かけた。季節が変わっても、毎日変わらず新聞を配達し、優しい笑顔で「おはようございます」と声をかけてくれた。

一つのことをずっとやり続けるということは、簡単ではないと思う。私も日本に来てすぐは、漢字練習など途中で投げ出したくなったが、毎日少しずつでも頑張ってやっていたら、いつの間にか得意になってきた。

これからも、あの新聞配達のお兄さんのように、あきらめず、自分で決めたことを毎日コツコツと積み重ねていこうと思っている。

「私のおじいちゃん」

清原 璃子(12歳) 大阪府貝塚市

「配達に向け朝刊を仕分けます」
(山陽新聞社提供)

私のおじいちゃんは、新聞配達をしています。

朝は私の家に子ども新聞を届けてくれていて、毎朝、ポストを見て入っていると「じいじは今日も元気にがんばって仕事をしてるなー」と思います。

夕方は下校時間に毎日配達中のじいじと会います。私の友達も、私がじいじに気付いていないと「おじいちゃんおるで」と教えてくれたり、みんなであいさつしたりして、じいじは人気者です。不審者がいたり、友達とふざけて転んだり、危ないことがあっても、じいじと毎日会うので安心です。

じいじはみんなの新聞配達員ですが、私にとっては、私のみまもり隊です。これからも毎日お仕事がんばってほしいと思います。

「じいじへ。お仕事がんばって、いっぱい焼き肉食べに連れて行ってね」

「配達に向け朝刊を仕分けます」
(山陽新聞社提供)

「新聞配達の人」

辻 啓生(11歳) 青森県むつ市

ぼくはときどき、4時少し前に起きることがあります。まだねむく半分ほどしかあいていない目の中にあるのは、新聞配達の人でした。

いつもいろいろな家をまわってきているのだと思って見ていると、いつも大変そうです。そして、雨の日も、強い風がふいている日も、大雪やふぶいている日も、新聞をとどけてくれています。ねむい目で見ていても、とてもがんばって仕事をしているすがたが、ひしひしと伝わってきます。そんながんばっている新聞配達の人を見ると、ぼくも、心をこめて新聞を読みたくなってきます。

たまに、新聞といっしょに子ども向けの新聞がとどきます。その記事を見るのを楽しみにまっています。

ぼくは将来、新聞記者になりたいと思っています。もし新聞記者になったら、自分たちでつくった新聞を運ぶ新聞配達の人のがんばりを思いうかべながら、新聞をつくりたいです。

「しんぶんはいたつやさんとわたし」

望月 紀花(8歳) 静岡市

「新聞読もっ!」(日本経済新聞社提供)

わたしが学校からかえってきて、いえの前であそんでいると、しんぶんはいたつやさんのおにいさんが、バイクでしんぶんをはいたつしてくれます。

わたしは、おにいさんに「ごくろうさまです」と言ってしんぶんをうけとります。おにいさんは「どうもありがとうね」とかえして、バイクにのります。そして、つぎのおうちにはいたつに行きます。

本とうは、あさのしんぶんはいたつのときに、おにいさんにあいさつをしたいのだけれど、あさ早すぎておにいさんにあえません。しんぶんはいたつのおしごとは、とてもあさ早くてたいへんそうです。

なつ休みにあさ早くおきて、おにいさんに「おはようございます。ごくろうさまです」と言いたいです。早くおきれるように目ざまし時けいをセットしてみようとおもいます。なつ休みに早くおきて、おにいさんにあえる日をたのしみにまっています。

「新聞読もっ!」
(日本経済新聞社提供)

「感謝」

森下 歩(12歳) 大阪府吹田市

雨の日も晴れの日も、暑い日も寒い日も、朝早くから新聞を配達してくれて「ありがとう」。こうして毎日配達してくれるので、ぼくたち家族は毎日、新聞を読むことができるのです。感謝しています。

しかも新聞を読むことで、お父さんやお母さんとの会話が楽しくなります。なにより今の世の中が分かりやすく書かれているので、簡単に情報が手に入ります。今だとイギリスのEU(欧州連合)りだつやイチローの安打記録など、さまざまなことが分かりやすく具体的に書かれています。今はテレビやスマホなどですぐに情報が分かるのですが、ぼくは新聞が好きです。なぜなら配達している人の思いがつまっているからです。

こうしてぼくたちは新聞によって情報を得ています。毎日朝早くから配ってくださる人に「ありがとう」、そして「感謝」したいと思います。

「新聞作りの苦労」

山﨑 れん(12歳) 高知県土佐市

私の家では新聞をとっています。新聞は私たち家族にいろんな情報をとどけてくれて、それはしだいに未来や夢がのっているように思えてきました。

5年生のとき、新聞社の見学に行きました。新聞を作るには、写真をとる人、情報を集める人、書いた記事を読んで確かめる人など、たくさん手まがかかることを知りました。そんな手まがかかるとは知らず、一枚一枚に目を通さずパラパラとしか見ていなかったので、その作る苦労を知り、これからは一枚一枚書かれている記事に目を通して意味を理解して読みたいと思いました。

新聞の勉強をして、今年、6年生のとき、ポストをぬりかえることになり、この勉強を思い出しました。そして、ポストに「いつもありがとう」とビーズで字を作りました。私の思いが新聞を作ってくれた人にとどいてほしいし、今日もがんばろうという気持ちになってほしいです。

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