作品一覧

大学生・社会人部門

最優秀賞

『おばあさんの新聞』

岩國 哲人(78歳) 東京都渋谷区

 一九四二年に父が亡くなり、大阪が大空襲を受けるという情報が飛び交う中で、母は私と妹を先に故郷の島根県出雲市の祖父母の元へ疎開させました。その後、母と二歳の弟はなんとか無事でしたが、家は空襲で全焼しました。

 小学五年生の時から、朝は牛乳配達に加えて新聞配達もさせてもらいました。日本海の風が吹きつける海浜の村で、毎朝四十軒の家への配達はつらい仕事でしたが、戦争の後の日本では、みんながつらい思いをしました。

 学校が終われば母と畑仕事。そして私の家では新聞を購読する余裕などありませんでしたから、自分が朝配達した家へ行って、縁側でおじいさんが読み終わった新聞を読ませていただきました。おじいさんが亡くなっても、その家への配達は続き、おばあさんがいつも優しくお茶まで出して、「てっちゃん、べんきょうして、えらい子になれよ」と、まだ読んでいない新聞を私に読ませてくれました。

 そのおばあさんが、三年後に亡くなられ、中学三年の私も葬儀に伺いました。隣の席のおじさんが、「てつんど、おまえは知っとったか?おばあさんはお前が毎日来るのがうれしくて、読めないのに新聞をとっておられたんだよ」と。

 もうお礼を言うこともできないおばあさんの新聞・・・。涙が止まりませんでした。

優秀賞

『届けられた幸せ』

棚橋 すみえ(64歳) 高知市

 病室に入った私は、ベッドで新聞を読みふけっている夫に思わずこう声を掛けていた。「いやその新聞買うてきたがかえ」と。

 すると、夫は「いや今朝配達して来てくれたがよえ。なんか久しぶりに新聞読みとうなって、病室まで届けてくれるゆうき頼んだわえ」と、笑いながら張りのある声で答えたのだ。

 夫ががんと診断されたのは一か月余り前だ。即入院、即手術。そして、今やっと退院の日を指折り数えるまでになったのだ。

 「それじゃ、また明日来るきね」と言って、病室を出た途端どっと涙があふれてきた。

 そう、この一か月間、夫の闘病をずっと見てきた私にとって、新聞を読むという何げない日常の光景が戻ってきたことが、ただただうれしかったから・・・。

 あれからはや二十年。夫は今朝も届けられた新聞を読みながら朝食を取っている。そんな夫を見て、ふと思う。

 あの日、配達員さんは新聞と共に、幸せな光景までも届けてくれたのだなあと・・・。

審査員特別賞

『新聞配達員からの返事』

内田  光(55歳) 東京都町田市

 私は、新聞配達員に一年間の感謝を込め、毎年元旦の自宅ポストに感謝の手紙を貼り付ける人がいるという話を耳にした。私はその話に触発され、毎年大みそかの夜に手紙を自宅のポストに貼り付けて十余年となる。元旦に新聞を取りにいくと手紙はなくなっているので、配達員の方が記念に持って帰ってくれていると勝手に自己満足に浸っていた。

 そんなある年の元旦、新聞を取りにいくと手紙はそのままとなっていた。今年は気が付いてくれないのかなと、がっかりして剝がそうとすると、どうも私が書いたものと違う。

 「毎年、この手紙を見るのが励みです。中学を出ただけの私がやっと就けたこの仕事ですが、朝が早く、冬は寒さでつらく何度も辞めようかと思いました。しかし五年前、この地区の配達に変わってこの手紙を毎年読み、今では仕事がどんなにつらくても続けられています。感謝の気持ちを表したくて、今年は思い切って返事を書きました。これからも頑張ります!」

 素敵な正月となった。

入選(7編)

『優しい島ぞうり』

新垣 夕希(33歳) 沖縄県浦添市

 二十代の頃、仕事が忙しく、連日残業で家路につくのは、たいてい夜明け前だった。「なぜ、自分ばかりが忙しい・・・・・・」。頭の中は、いつも会社や周囲の人に対する不平不満でいっぱいだった。深夜、静まり返ったマンションの廊下に自分の靴音がカツーン、カツーンと異様なほど大きく響き渡る。

 ふと見ると、廊下の隅に「島ぞうり」がちょこんと置かれていた。「おはようございます」。ふいに背後から声を掛けられ、驚いて振り向くと、新聞の束を抱えた初老の女性が立っていた。「遅くまでお疲れさまです」。笑顔でそう言うと、彼女は小走りに去っていった。静まり返った廊下を走っているのに靴音がしない。あの島ぞうりの持ち主は彼女だと気付いた。彼女は寝ている住人の眠りを靴音で妨げないように、裸足で新聞配達をしていたのだ。

 自分のことに精いっぱいで、平気で靴音を鳴らして歩いていた自分が情けなくなった。どんなに疲れていても、思いやりの気持ちはなくしたくないと、心から思った。

『私が引き落しにしない理由』

岩松 弘美(77歳) 札幌市

 あのころ、我が家は年子の息子二人が大学に入学、仕送りのまっただ中だった。主婦の私は一念発起、近くの販売店で、朝刊配達と集金に挑戦することになった。早朝四時、外は真っ暗やみ、家を出たときの心細さは忘れられない。販売店の主人や仲間に、いろいろ教えられスタートしたものの、やっぱり未配したり、失敗したり、悔しい思いをした。

 ふと見上げた、明け方の空の美しさ。感動のあまり「母さんもがんばるよ」と思わず叫んでしまったことも、今は懐かしい。

 あれから三十年余りが過ぎた。いま、我が家には月末になると、昔の私のように元気な集金人がやってくる。「引き落としにしない理由は内緒」。彼女に会えるのが楽しみだから。でも最近になって気が付いた。さりげなく見守られているのは、老人の私たちではないかと。

『朝を知らせるお隣さん』

上田 智子(43歳) 広島市

 私の家の隣の人は、地元新聞の販売所を営んでいる。

 「いつも、ご迷惑をおかけしますね」

 そこの奥さんの、申し訳なさそうな顔が目に浮かぶ。暗いうちから響くバイク音や販売所からの音に気を使っているのだろう。

 「いいえ、大丈夫ですよ」

 奥さんは、社交辞令と取るだろうか。販売所の明かりが防犯の安心につながっていること、試験前に徹夜しても隣から仕事をしている音が聞こえたら頑張れたこと、スズメの声や目覚まし時計より配達のバイク音の方が自分も頑張ろうって元気よく起きられること。お隣さんに伝えたことはないけど、迷惑だなんて思ったことは一度もない。安心と元気をありがとうと伝えたい。

 寝静まった闇の中で、控えめにかけられる、たくさんのバイクのエンジン音は、今日も朝を知らせてくれる。

『時の移り変わりと新聞配達』

城内 香葉(20歳) 静岡市

 小学生の頃まで、私の家に新聞を配達してくれていたのは、地域の市民マラソンにたびたび出場するランナーで、ちょっとした有名人だった。いつも片手に夕刊を抱えてジョギングしながらポスティングする姿は、私のヒーローだった。市民マラソンの日、私は沿道で「しんぶんやさーん、がんばれー。」と声を張り上げたものだ。

 中学生の頃からは、バイクのお兄さんにその役目が変わった。受験勉強で朝方まで机に向かっていた頃、シーンとした静けさを打ち消すバイクの音が止まると、(いち、にっ、さん)「コトン」。必ず三歩でその音はする。そのたびに「がんばれ!」って響いては私の心のポストに落ちた。

 新聞を一番に取りにいっていた祖父ももういない。受け取る側も、届ける側も、街並みさえ変わっても、新聞が人の手で朝を運んで、玄関先に届くことはずっと変わらない。それは、明日が変わらず来るってことと同じことのようだとさえ思う。

『二月のサンタクロース』

中森 静香(26歳) 相模原市

 東京に二十年ぶりの大雪が降った。その日、お昼を過ぎても朝刊が届かないと近所の人に話すと、「うちには届いたけど?」と不思議そうに返された。記録的大雪なのだ。配達員の方もうっかり入れ忘れてしまったのであろう。「新聞が届いていなかったので後で入れておいて下さい」と、軽い気持ちで連絡をする。

 すると、「実は今、車もバイクも使えないので手で一軒一軒配っているところなんです。夕方までにはお配りしますので!」−どうやら道路が一本違うだけで、こちらには車が通れないため配達が全て手作業で行われているらしい。

 外に出ると「すいません! もう少しでお届けできますので!」と何度も頭を下げながら、そりに積んだ新聞を一軒一軒訪ね歩き配達している姿が目に飛び込んできた。

 そう、配達してくださる方々の努力があってこそ、朝起きてすぐ新聞を読み、一日の生活を始めることができるのだ。それが当然と思っていた自分を恥じながら、感謝の気持ちを胸に新聞を手に取った。

『新聞で知る百歳の今』

菜花 弘子(61歳) 福島市

 百歳の母は、毎日、新聞を手に取り、新しい一日を感じています。

 施設にいるので、自宅から届けています。ときどき、私たちもまだ読んでいないからと、途中で自宅でとっている新聞と同じではもったいないので、別のものを購入していくと、「今日の新聞は違うない。なんだべ」と、ちゃんと分かります。施設にも新聞はありますが、自分の新聞という安堵感があります。「今日は六月一日。衣替えか」と時節を確かめ、読み始めます。今訪れた人のことさえ忘れてしまうのに驚きです。

 見出しを読んでいるだけですが、新聞からしっかり今を感じています。両手で見開いて持ち、一枚一枚めくって読む姿は、車いすにすわっていますが、若いときと同じです。

 朝、コトンと配達される新聞のうれしい音。それは、新しい一日のスタートの音です。介護を明るくし、母に充実した一日をプレゼントしてくれます。

『幸せに気付く朝』

橋本 秀一(40歳) 新潟県妙高市

 中学生の頃、新聞は配達する商品だった。父親への反抗、自立心、貧しい環境、いろいろな気持ちがあって中学一年の三学期から配達した。私の育った地域は豪雪地帯で、朝起きると一メートル積もることも珍しくない。そんな冬季の配達の記憶は、今も苦しいときに励みと自信を与えてくれる。

 社会人になったある日、生まれ育った家を手放すことになった。移った先では生活費を抑えるために朝刊の購入はしなかった。新聞は当たり前のようにテーブルの上に置かれているものではなくなって、貧しさを感じさせた。

 現在、家族と自宅を手に入れた私の元へ再び朝刊が届くようになり、やっと本来の社会情報を得るものになっている。六時半には息子がスポーツ欄を横取りする。今も新聞は私に労働と責任を教えてくれた商品であり、安定した生活の指標である。

 朝、目の前で新聞を読む中学生の息子を眺めて笑みがこぼれてしまう。新聞のある生活が幸せであることを、息子は気付くのだろうか。

中学生・高校生部門

最優秀賞

『おばあちゃんの楽しみ』

山田 美早紀(17歳) 宮城県大崎市

 私が幼い頃、近所に住む祖父母の家によく遊びに行っていました。ガラガラと戸を開けるタイプの玄関を入ると、そこにはいつも「新聞集金代」と書かれた紙の上に、お金の入ったビンが置いてありました。私は、「どうしていつも置いておくの?」と尋ねました。おばあちゃんは「忘れないように」とだけ言って笑っていました。

 私は、おばあちゃんがうれしそうに話していたのを不思議に思いました。そして、ガラガラと玄関を開ける音と、「新聞の集金です」という声を聞き、おばあちゃんは玄関に行きました。玄関から聞こえてくる、おばあちゃんの笑い声で、私は気付きました。おばあちゃんが新聞を楽しみに待っていた理由を。

 おばあちゃんが楽しみにしているのは、新聞を読むことだけじゃなく、配達に来る人、集金をしに来る人と、世間話をすることだと知りました。集金の人が帰ると、またおばあちゃんはうれしそうに、ビンの中に集金代を入れていました。

優秀賞

『信頼を届ける』

吉田 竜也(14歳) 大分県臼杵市

 父は深夜一時に起き、早々に家を出る。帰宅は朝六時過ぎだ。僕の父は新聞販売店の支店長をしている。三百六十五日、毎日当たり前のように新聞が届くのは父たち配達員が働いているからだ。

 僕の冬休みは手伝いに追われる。クリスマスから新年の分の新聞の用意を始めるからだ。これだけでもかなり大変だが、決戦は大みそかだ。子どもの頃は、父の仕事に関係なくのんびり紅白歌合戦を見ていたが、今年はずっと働いた。配達員、家族総出で働いたおかげで、年内の二十三時半には仕事が終わった。必死で作業を続けたので、みんな汗をかいていた。片付けが一段落ついて、配達員のおじさんたちに缶コーヒーを配って歩いた。「ありがとう」とみんなおいしそうに飲み、「よく働いたな」と褒めてくれた。

 新聞の仕事に休日はない。きつい仕事にもかかわらず、新聞を待つ地域の人のために働く父たちを僕は尊敬している。将来は、人の生活を陰で支える、そんな仕事に僕も就きたい。

審査員特別賞

『心温まるメッセージ』

遠藤 瑠衣(14歳) 仙台市

 私は以前、山形市に住んでいた。山形の冬は積雪量が多く、とても寒い。

 ある日、私はバイクの発進音で目覚めた。何事だと外を見てみると、新聞配達の人がいた。時計を見ると午前五時。雪の降る中、こんなに朝早くから配達しているなんて驚いた。起きてすぐ新聞が読めるのは、朝早くから包装、配達してくださる方々がいるからだとあらためて思った。

 私は、何かお礼がしたくなった。考えた末、当時はおかし作りに熱中していたので、クッキーを作ってドアに掛けておくことにした。寝る前にクッキーとメッセージカードを添えてドアノブに掛けた。

 翌朝、新聞を取りに外に出た。すがすがしい朝だった。ふと見ると、新聞にメモが貼り付けられている。それは、新聞配達の人からのメッセージだった。「クッキーありがとう」。ほんの一行だったけど心が温かくなった。新聞が毎日届くのは当たり前のようになっているが、そこには人の努力と手間があるということの素晴らしさを感じた。

入選(7編)

『郵便受けに幸せを』

小笠原 咲(15歳) 青森県十和田市

 夕方、外からガタンと音がすると、私の祖母は決まって「新聞だねえ」と言う。朝、離れて暮らす祖母の家から自転車で登校し、夕方、祖母の家に帰ってくる私。

 祖母は新聞を取るとき、少し悲しそうな顔をする。きっと少し前まで隣に住んでいた仲の良かったおばあさんのことを思い出しているからだと思う。最初に冷たくなったおばあさんを見つけたのは祖母だった。祖母が気付くことができたのは、毎朝郵便受けからなくなるはずの朝刊が、その日は夕刊が届いても郵便受けの中で眠ったままだったことを、新聞配達のお兄さんが祖母に教えてくれたからだった。

 祖母は、毎日届く新聞が、「生きている知らせになる」と言う。

 だから、祖母に読まれることなく眠る新聞が届かないでほしい。これからもずっと、祖母に「生きている知らせ」を届けてほしい。安心を私に届けてほしい。新聞配達さん、よろしくお願いします。

『小さな優しさが大きな優しさに変わるとき』

木村 真唯(14歳) 仙台市

 新聞は、雨の日も風の日も、休むことなく毎日毎日届きます。小学生の頃、朝にポストから新聞を取ってくるのが私の仕事でした。新聞は、いつも丁寧にポストに入れられていて、端が折れていたり、しわが付いていたりすることはありませんでした。

 ある雨の日の朝、私がいつも通り新聞を取りにいくと、その新聞は、しっかりとビニール袋に包まれていました。「新聞がぬれてしまわないように」。その心遣いは、とても小さくて、当たり前のことかもしれないけれど、私にはとても温かく大きな優しさに感じられました。

 じめじめした雨の日でも、それを見ると、気持ちが晴れやかになるような気がします。人と人の心をつなぐものは、目には見えませんが、たとえ顔を合わせることがなくても、誰かの小さな優しさは、相手にとって大きな優しさに変わることができるのです。

『新聞配達の苦手なところ』

佐藤 光巴(14歳) 宮城県石巻市

 私には大学三年生になる兄がいます。

 兄は二年生に上がる春から新聞配達のアルバイトを始めました。きっかけは、小中高とサッカーを続けてきた兄は、運動不足解消と、少しでも親からの仕送りの負担を減らそうと思ったからだそうです。

 このアルバイトを選んだのは兄らしい選択でした。もちろん早起きも、家にいるときから苦にせず、テスト期間などは四時に起きて勉強していることが普通でした。私と母がアパートに泊まりに行ったときも、私たちを起こさないように、二時に起きてアルバイトに行っていました。他のバイトと比較すると、人との関わりが少なく、言葉を交わす機会もあまりありませんが、新聞が届くのを待っている人がいると思うと、だんぜんやる気が湧いてくるそうです。

 ただ一つだけ、このバイトで苦手なところがあり、それは暗がりで周りがよく見えないとき、急に「ご苦労さま」と声を掛けられることだそうです。そのときの兄の姿を想像して、母と二人で笑ってしまいました。

『自慢の姉』

谷口 千香(16歳) 北海道名寄市

 私には二つ年の離れた姉がいる。新聞配達をやっていて、時々手伝っていた。

 月日がたち、大学受験を控えた姉は新聞配達を辞め、入れ替わりに私が始めた。手伝いをしているうちに興味を持ち始めたのである。実際にやってみると、思いのほか覚えることが多く、大変だった。

 他日のこと、私は目覚まし時計が鳴る前に起きた。正確にいうと姉が起こしに来たのである。「配達を手伝うよ」。私は時計を確認した。まだ四時前。セットした時間より一時間も早い。あくびをしつつ、まだ薄暗い中、家を出た。素直に、一緒に配達できるのでうれしかった。

 しかし、それを追うように後から不安を感じた。相手に指示できるほど、私に余裕がないからだ。ある程度覚えたが、やはり地図を見ないと忘れてしまう。「間違いそうだな・・・・・・」。懸念がぬぐいさられることはなく、未配が出てしまった。頭が真っ白になる。すると姉が、「大丈夫。まだ時間はたくさんあるよ。早く出てきてよかったね」と落ち着いた声で私に言った。

 思えば、姉はいつも起きるのが早かった。私は思った。

 「まだまだ姉にはかなわないな」

『今日は何があるんだろう』

三浦 寿起(15歳) 大分県杵築市

 手に取った新聞のテレビ欄を見る、数か月前の私。少し大人になった私は、全ての面に目を通し、気に入った記事があれば読んでいる。

 ある冬のことだ。新聞の配達が、いつもなら五時には来ているはずだが、その日は大雪で昼前になった。そのとき、配達のおじさんは「遅れてすみません」と謝ったのだ。私はこのとき思った。「この新聞は、危険な思いまでして届けられているんだ。それなのに、自分はテレビ欄だけしか見ないなんて、何だか恥ずかしいな」と。

 私たち読者は、新聞を作る人もそうだが、届けてくれる人がいて、やっと新聞を読める。普段、何げなく読んでいる新聞。そういうことを考えて読むと、一味違ったものになるかもしれない。

『おじいさんに教わった大切さ』

湯本 楓花(13歳) 長野県中野市

 私の家の近所に、新聞配達を続けていたおじいさんとおばあさんがいます。二人は、雨が降っていたりどんな悪天候でも決まった時間に、新聞を届けてくれました。

 雪がたくさん降っている日、おじいさんが歩いて新聞を届けているのを見かけました。私が、「おじいちゃん、何で車に乗って配達しないの? 車の方が歩くより楽じゃん」と言うと、おじいさんは「車だと除雪車や歩く人の迷惑になるから」と笑って答えました。

 その言葉に私ははっとして、聞いた自分が恥ずかしくなりました。自分が大変なときほど楽をしたいと思うのに、人を思いやる気持ちを忘れてはいけないと思いました。それからは新聞を読むとき、「あたりまえのこと」だと思わずに、「毎朝、大変なのにありがとう」という気持ちで読むようになりました。私も、「自分さえよければ」ということにならないよう、人とのつながりを大切にして生活していきたいです。

『新聞配達員さんの温かい思いやり』

渡邊 佑宜(17歳) 東京都武蔵野市

 今年の二月。例年では考えられないほどの記録的大雪が降った日、祖母の家の前の道は雪かきで山のように積み上げられた雪でいわば占拠されていました。それを一生懸命、いろいろな手を使って溶かそうとしていました。しかし、一向に溶けません。

 そこに新聞配達員さんが新聞を届けにきてくれました。そして、新聞配達員さんはその姿を見て雪かきを手に取り、「雪の横に穴を掘ると溶けやすくなりますよ。ほら」と笑顔で言い、一緒にしばらく掘ってくれました。そうして、多くの雪を溶かすことができました。新聞配達員さんはにっこりほほ笑み、去っていきました。

 雨の日も雪の日も、休まず新聞を届けてくれる新聞配達員さんの温かい思いやりに感激です。

小学生部門

最優秀賞

『 リレーは続くよ、どこまでも 』

安藤 円樺(10歳) 東京都練馬区

 先日、新聞やダンボール古紙を原料として新たに新聞原紙を作る製紙工場を見学した。山積みされた古紙は溶かした後、インクを除きパルプに戻して新しい新聞原紙に再生。本と違って新聞は一度読むと捨てられる運命。パソコンなどでいつでも最新情報は見られるが、私は紙の新聞が好き。紙面製作に関わった人たちの努力やぬくもりを感じるから。役目を終えた新聞がリサイクルされ、新しい情報を載せて私の元へ戻ることを目の当たりにした。

 リレーに例えたら、新聞記者が第一走者(私も小学生新聞の特派員だから、第一走者でもある)。編集やデスクの方など多くのランナーの後、配達員の方から笑顔と一緒にバトンを渡される読者の私。そして私は古紙回収業者へとバトンを渡す。その後新聞は再生。このリレーにゴールはないから、アンカーはいないわけだ。少資源国日本の知恵だ。

 私もタブレット端末は使うけれど、ランナーの顔が見える新聞リレーは今後も絶対なくさないでほしい。今日も配達員の方から受け取った新聞のバトン。何となく新聞に「おかえり」と言ってみたくなった。

優秀賞

『楽しいって思うなんて、すごいな』

本間 夏実(12歳) 新潟市

 私は少し前から新聞を配達してくださる方に、メッセージを書いています。「毎日見られるところ」は、配達物を入れるポストがあるドアだったので、そこにボードを下げて、メッセージを書いています。

 私が一番びっくりしたことは、「新聞配達は大変ですか?」と質問したら、「楽しいです!」と書いてくれたことです。私がもし配達をするとしたら、いろいろな場所に配るのはとても疲れそうだし、「楽しい」とは感じないと思います。そういう意味で、すごいと思います。

 梅雨の時期、雨が降ると、「雨の日は苦手なので応援よろしくおねがいします」と書いてあったので、「がんばれ」と書いたら返事を書いてくれたりしました。

 配達する方とは会ったことがないけれど、そこが良いのかもしれません。「字」だけで友達になったからです。これからも、私は新聞を配達してくださる方の応援を続けたいなと思います。

審査員特別賞

『独り住まいのおばあちゃん』

井上 彰子(9歳) 山梨県大月市

 前に、お父さんと二人で知り合いのおばあちゃんの家に遊びに行ったときのことです。

 おばあちゃんは、何年か前におじいちゃんが亡くなっていて独り住まいです。お父さんが心配して、年に何回かそのおばあちゃんの家に様子を見に遊びに行っています。ある日、お父さんがおばあちゃんに「年金暮らしでお金が大変だったら、新聞をとるのをやめたら」って言うと、おばあちゃんは「新聞をとっているだけで、私は今ここにいると感じられるからやめないの」って言いました。私は近くで聞いていて、よく意味がわかりませんでした。おばあちゃんが言うには、「独り暮らししていると、朝の新聞配達のポストに新聞を入れる音を聞くとき、私は今を生きているって感じるの」。前に腰が痛くて数日ポストに新聞をとりに行かずにいたら、そのたまった新聞を見て、この家の「異変」に気付き、心配しておばあちゃんの家に様子を見に来てくれたことがあったそうです。その配達員の人が優しかっただけかもしれませんが、おばあちゃんは「だから独りじゃないって感じられるの」と言っていました。

 その話を聞き、配達員の人の優しさを感じました。配達員さんは、新聞を配達すると同時に、かげで私たちの一日の始まりを見守ってくれているんだ。ふだんは存在を忘れているけど、かけがえのない存在だと思います。

入選(7編)

『新聞配達を通して感じたこと』

足立 舞(10歳) 名古屋市

 朝、家族でランニングをしているときに出会う新聞屋さん。いつも元気に「おはようございます」と声をかけて下さいます。私もお手伝いがしてみたいと思ったので、春休みに近くの新聞店にお願いして一週間、新聞配達をさせてもらいました。毎朝三時に行って、百二十軒分の新聞に広告をはさみました。雨の日はそれにビニールをかぶせます。それをカートに入れて歩いて配りました。初めは、ポストの種類がたくさんあることにびっくりしました。

 独り暮らしのお年寄りの家や、町の変化を気にかけて配達していることを知って私たちの町を配達員さんが見守っていて下さると思うと、とても温かい気持ちになりました。配達中、薄明かりの中で見た満開の桜は本当にきれいでした。暑い日も寒い日も、雨の日も風の日も、一年中同じ時間に届けてくれる配達員さん、本当にありがとうございます。これからは、届けて下さった新聞をもっと興味を持って読んでみようと思います。

『サンタクロースと新聞配達』

瀬尾 あい華(7歳) 東京都世田谷区

 サンタクロースに会ったことはありますか。私はサンタクロースにも、新聞配達の人にも会ったことがありません。

 新聞は毎日届きます。雨の日や雪の日にも届きます。雨の日や雪の日には、新聞がレインコートを着ています。休みの日、朝早く家族で出かけるときも、新聞はポストに入っています。いったい、だれがいつの間に届けているのでしょうか。まるでサンタクロースのようです。

 もしも、新聞配達の人に会ったら私は伝えたいことがあります。

 「ありがとうございます。私が大きくなったときも届けてください」と。

 子どもにはサンタクロースがクリスマスプレゼントを、大人には新聞配達の人が新聞を。大人になったら毎日、新聞のプレゼントが届くなんてワクワクします。新聞が読めるようになるのが楽しみです。

『私のおばあちゃん』

中村 天音(11歳) 名古屋市

 私のおばあちゃんは、私が生まれるずっと前から、新聞配達をしています。

 お母さんに聞いた話ですが、お母さんが二十歳のときに、悪性リンパ腫になってしまいました。でも病気に負けないで、絶対に仕事を頑張るという気持ちで、病気とたたかって、病気を治しました。それで、今も頑張って配達をしています。

 おばあちゃんは、周りの人たちがいつも助けてくれるので頑張ることができましたと言っています。

 新聞配達は雨の日も雪の日も、毎日毎日、決まった時間に一件一件まちがいのないように、新聞を入れていきます。私は、とてもすごいことだと思いました。私も大人になったら自分に自信がもてる仕事をしたいと思います。

『新聞配達の人が届けてくれるもの』

長谷川 藍(12歳) 福島県会津若松市

 コトン・・・朝に聞こえてくる小さな音。きっと新聞配達の人だろう。今はみんな寝ている時刻なのに・・・新聞配達の人が眠い目をこすりながら新聞を届けてくれたと思うと、とても心が温まる。中に入った新聞も、雨ではない日でもきちんとビニールに包まれている。新聞を読む人を思って、心を込めてていねいに作っているのが分かる。

 こう考えてみると、新聞は世界を知るためだけではなく、朝をすがすがしくむかえるためにあると感じる。新聞を手にとると、手に温かみを感じる。しっかり思いがこめられている。新聞から全国へ。全国から人へ。新聞と人はそういうつながりなのではないか。新聞は手紙と同じような存在かもしれない。

 言葉だけでは伝えきれない気持ち、いや、思いをしっかり受けつぎ、今この世界にある。新聞配達の人はそんな気持ちを届けるとてもすてきな仕事だと思う。わたしたちに届けてくれる。新聞、それから笑顔を。

『しんぶんやさんはどんな人?』

森田 百惠(6歳) 東京都豊島区

 まいあさ、しんぶんをはいたつしてくれるしんぶんやさん。いつも、しんぶんをくばってくれて、ありがとうございます。わたしはいま、小学一年生です。せがのびて、ポストに、手がとどくようになったので、まいあさ、おかあさんにたのまれて、しんぶんをとりにいきます。

 早くおきて、とりにいっても、いつもポストにしんぶんが入っています。いったいなんじにくばっているのか、ふしぎです。

 雨の日には、しんぶんがぬれないように、ふくろに入っていて、とてもしんせつだなとおもいます。たくさん雨がふっているとき、しんぶんをくばるなんて、たいへんだなあとおもいます。

 もうすぐ、なつ休みです。わたしも、まいあさ、しんぶんやさんにまけないように、早おきをがんばります。うちのポストにしんぶんをくばっているしんぶんやさんが、どんな人か、見てみたいです。

『ぼくたちの新聞』

矢田部 翔瑠(9歳) 横浜市

 ぼくには、毎朝続けていることがある。ポストに新聞をむかえに行くことです。ぼくは今九歳で、ポストはかんたんに開けられるけど、初めてむかえに行ったのは三才のころで、がんばってポストに手をのばして取り、お母さんから「ありがとうね」って頭をなでてもらえるのがうれしかったからです。そして今では三歳になる弟が同じことを時々やりたがります。ぼくの弟だからお母さんの「ありがとう」をたまにゆずってあげています。

 今年の三月、大雪がふった日の朝、新聞はポストに入っていませんでした。いつもあるのに何だかさみしかった。次の日のお昼ごろ、おじさんがバイクではなく歩いて配たつしていました。いつもの新聞が重くかんじたのはおじさんのがんばる気持ちもいっしょにとどけてもらえたのかもしれないなって思いました。

 新しいことを聞くために新聞は人の言葉で活字となって毎日、ぼくらに届けられている。辞書に書いてあった。読めない字を知ったり、昔の出来事を知ったり、新聞はぼくにいろいろなことを教えてくれる。ぼくは、弟に「これなあに?」ってよく聞かれるからたくさんは無理だけど、これから少しずつ読める一行をふやして弟にちゃんと教えてあげようと思います。

 おじさん、これからも「おう、お帰り」って新聞を届けてね。

 そして、いつもありがとう。

『復活した新聞取りの習慣』

吉田 暁(11歳) 和歌山市

 ある日、ぼくは、朝早くに目が覚めた。そして、新聞を取りに家から出ると、新聞配達のお兄さんが「かしこいね」と言ってくれた。このことをきっかけに、ぼくは早起きをして新聞を取りに行くのが習慣となった。そして何日かたったあと、新聞がこなくなった。するとお父さんが起きてきて言った。「新聞を取るのやめたんだよ」

 その言葉を聞いたぼくは、ショックを受けた。さみしい気持ちが数日間続いた。そんなぼくの様子を見て、お母さんがお父さんに「また新聞取らないか」と相談してくれた。そしてぼくの新聞取りの習慣は復活した。

 「おお、ひさしぶりだね」と、あのときのお兄さんがあいさつをしてくれた。この出来事から新聞は人と人とをつなぐすごく大切な物なんだと思った。ぼくは、配達のお兄さんだけでなく記事を書いている人や、印刷をしている人を思って、新聞を読むことにしている。

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