作品一覧

大学生・社会人部門

最優秀賞

『父の趣味』

加藤 文子(36歳) 長野県諏訪市

 多くを語らない父だった。私が働きながら夜間大学へ通うことを選んだ時も何も言わなかった。仕送りする余裕などないはずだが、ただ、毎月送ってくれた。おかげで働きすぎることなく勉学に集中できた。

 大学三年の頃、母から父がケガをしたとの連絡が入り凍りついた。幸いケガはたいしたことはなかった。しかし、もっと驚いたことにケガのせいでしばらく新聞配達には行けないというのだ。父は仕事の後に毎朝二時に起きて配達していたという。

 父の言葉を思い出すと、感謝の思いで胸があつくなる。体が心配だから配達をやめてと懇願する私に、父はこう言ったのだ。

 「自分のため、健康のためにやっているだけだ。趣味だ」。父は私が大学を卒業するまで、新聞配達を続けてくれた。

 今年七十歳になる父は、まだまだ現役の仕事人だ。新聞配達で培った体力のおかげかもしれない。父のように何も言わず背中で愛情を示す、そんな親になりたい。

優秀賞

『わが町の防犯灯』

林田 美惠子(60歳) 神戸市灘区

 「気をつけて帰りや~」「は~い」夕刊を配達しているおじさんと小学生のやりとり。なにか温かさを感じる新聞配達の方との、本当にほほ笑ましいやりとりの光景です。

 懐かしく聞き覚えがある、今も昔も変わらない新聞配達員の方と地域とのつながり、他人(ひと)の子もわが子と同じように大切に思ってくれている思いやりの心がある。

 昔、仕事で朝帰りした時、薄暗い路地で不気味さを感じていると、遠くに小さく見えていた明かりが段々と近づき、私は思わず身構えた。その時「おはよう」と声をかけられ、よくみると新聞配達のバイクのライトだった。本当にホッとした瞬間でした。

 この時から私にとって、新聞配達の方は「町の防犯灯」になりました。今日も夜明け前の静まりかえったわが町を、防犯灯が走り抜ける。どんな天候でも、決まった時間に正確な情報を届けるという使命感を持って、新聞を届けてくれている。そんなあなたにエールを贈りたいと思う。

 わが町の防犯灯の皆さん、届けてくださっているのは新聞だけではありません。新聞と一緒に思いやりのいっぱい詰まった安心も届けてくれていますよ。

 本当に心からありがとうございます、これからも頑張ってください。

審査員特別賞

『甘酸っぱい気持ち』

小澤 京子(31歳) 静岡県富士宮市

 コトン。

 今朝も静かに響き渡る音。新聞が届けられる音。

 当時、私の大好きな人は”新聞奨学生“をやっていた。「追い込まれないと頑張れないから」と言って、彼は知らない土地でテレビも携帯電話も持たずに新聞配達と勉強に励んでいた。

 私は彼のそういう一所懸命なところにひかれたのだと思う。だから私は離れてしまった悲しみよりも、彼を思って応援できる幸せを感じていた。

 そのせいか、毎日届けられる新聞の音に遠く離れた彼の生活を重ねるようになった。天候や暦に関係なく新聞を運ぶ配達屋さんに「ありがとう」と心の中で唱えるようになった。何げない一日が訪れる幸せをかみしめながら。

 彼はもう新聞奨学生ではない。それでも毎朝あの音が届けられると、毎日をスタートできる喜びや感謝の気持ちとともに、ほんのつかの間、私はあのときの甘酸っぱい気持ちをかみしめている。

 コトン。

 毎日の音。「おはよう」「今日も一日がんばろうね」に聞こえる音。

入選(7編)

『告白』

加川 國次郎(68歳) 富山県富山市

 四十三年前の若い男女の会話である。

 私は「結婚しよう、嫁さんになってくれ」と、彼女に求婚した。しかし、彼女は途端にうつむいて表情を曇らせ、沈黙の時が流れた。

 そしておもむろに、家が貧しくて、小学三年から中学・高校と新聞配達していたこと、今も配達後に出勤し、育英資金を返していることを話してくれた。

 さらに彼女は、厳冬の朝、凍える小さな手で懸命に配ったつらさを話しながら、でも、何よりつらかったのは夕刊配達の時、下校する同級生を避け、幼心に物陰に隠れた切ない思いをとつとつと語った。

 きっと彼女は、この告白で私の思いが変わると考えたに違いない。私は、何ともやるせなく、一層輝いて見える彼女をいとおしく思い、奮い立ったのである。その彼女は今、わが家の台所に立って夕食の支度をしている。

 私は、おばあちゃんとなった彼女の幼き日々の輝きを誇りに思い、小学生の孫たちに、つらいことに立ち向かう強い心と体を養うことの大切さを、折に触れて語り聞かせている。

『心のエンジン』

國安 聡吾(22歳) 東京都大田区

 海外の友人に、新聞とは毎朝しっかり戸口にあるものだと説明すると、私が冗談を言っていると勘違いした。しかも、毎朝だいたい決まった早朝の時刻に配達することを教えると、「日本の家はみんな電車のレール沿いに建てているのか。そうでもしないとそんなことはできない」と驚かれた。

 そのとき私は、新聞配達員の友人のことを話して、日本の新聞配達を語った。友人の新聞配達員は、販売所の寮で生活をし、そこで夢を追いながら資金を稼ぐために働いている。集金や営業もこなし、空いた時間で夢への階段を上る彼の姿は輝いて見えた。

 夜遅くまで自分の仕事や作業に追われている時、朝の始まりを告げるのは、雀(すずめ)の鳴き声と新聞配達のバイクのエンジン音だ。

 戸口に新聞がある。そんな当たり前なことを見ると、私は夢を追うため努力するエンジン音を思い出し、自分の心のエンジンがかかる。それを聞いた海外の友人は、また新たな日本の良さを知った気がする、と言って喜んでくれた。

『気持ちが届いた日』

近藤 明美(37歳) 愛媛県四国中央市

 兄の同級生のM君の家は新聞販売店を営んでいます。普段はめったに会うことがないのですが…。

 何年か前の台風の時、私の地区では珍しく道路は冠水し近所中が床下浸水となり、国道も通行止めになるほど大きな被害を受けました。みんなで途方に暮れながら片付けをしていて昼を過ぎた頃、そのM君が自転車で新聞を届けてくれたのです。

 M君の家から私の地区まではずっと登り坂のうえ、道もいろんな所が陥没し、水も残っている中、何時間もかけて届けてくれました。

 私たちにとって大切な情報源である新聞をわざわざ届けてくれたうえに、「大丈夫でしたか」の一言がとても心に響きました。

 初めて直接新聞を受け取ったこの日、どんな状況でも新聞を届けるという気持ちが伝わり、受け取る側の私たちにとって本当にありがたいと改めて感じました。

『母の偉大さ』

田中 留美(35歳) 名古屋市中川区

 私の姉が新聞配達を始めました。まだ三歳と一歳の子供がいて、日中は働けないので朝刊の配達を始めました。

 先日、配達から帰ると、寝ているはずの子供が二人とも起きていて玄関先で泣いていたそうです。それを聞いて、私は昔の自分を思い出し切ない気持ちになりました。

 私の母は、二十年以上朝刊を配達しています。私は当時小学生で、朝方まだ暗い時間に母親がいないことに不安で寂しい思いもしました。けれど母は「健康のためよ」と言い、雨の日はびしょびしょになって帰ってきたり、熱が出ても休まず出ていきます。

 母が今も若々しくいられるのは、長年続けている新聞配達のおかげです。寂しい思いをしたけれど、そのおかげで私は母の偉大さを知ったのです。

 同じ思いをしてきた姉が今、母親になり自分の母親と同じ新聞配達をしている。そして今は寂しい思いをしている子供もきっと、そんな姉の姿を見て強くなっていくんだな。そうなってほしいなと思います。

『新聞賛歌』

中井 雅博(47歳) 奈良県香芝市

 君と出会ったのは大雪の積もった日曜の朝だった。君は雪かきをする僕に、遅配した新聞を手渡した。「遅れてごめんなさい」「ありがとう」と、たったこれだけの会話だったが、君はその日から僕にとって気になる存在になった。

 いつしか君に「おはよう」を言うことが日課となり、新聞を受け取ってから再び寝床に潜り込んだ。地球温暖化の声はまだ先で、その年も山陰は豪雪だった。それでも君はしんしんと雪降る夜明け前、欠かさず新聞を届けてくれた。僕らは、雪明かりの中で毎朝少しだけ会話を交わし親しくなった。

 新聞配達が届けるのは新聞だけではない。新聞は苦学生に未来を届け、人の温もりや暖かさを届けてくれる。

 新聞は一日の始まりを届けてくれる。そして、僕には一生の伴侶さえも届けてくれた。人を介さない電子版には決して出来っこない。世の中は効率がすべてではない。新聞配達はいつもそんなことを教えてくれる。

『あの日の真実』

中村 悦子(58歳) 島根県出雲市

 「以前配達の時、こちらのおじいさんを…」

 口座振替のはがきを届けに来られた新聞配達の方の話で、一年半前の真相を知ることとなった。

 認知症の父は、その頃徘徊(はいかい)が始まり、家や家族のことも時々分からなくなっていた。

 雪が散らつく一月十二日の朝の出来事。これまでは、「明け方庭に出ていた父を、正月で帰省中の次男が見つけて連れもどした」ということになっていた。実際は、四時前に国道をふらついていた父を新聞配達の方が見つけ、家まで車で送ってくださったとのこと。名前は言えたので家が分かったらしい。父は車から降りた後、庭をうろうろしていて次男が気がついたようだ。

 まかり間違えば車にひかれたり、寒さで凍えたりしたかもしれない。まさに新聞配達の方は、父の命の恩人だったのだ。

 父が亡くなってから六日目で分かった真実。霊前で父に報告すると、写真の父がほほ笑んでいた。

『子育て支援配達』

水野 淑子(37歳) 富山県富山市

 「あっ新聞屋さんだ!」外遊びをする日は、必ず夕刊を受け取りに配達員さんに駆け寄る子供たち。たまに時間がずれると、「今日はもう配っちゃったのよ~」「えーざんねーん」「でも向こうの棟はまだ配ってないから一緒に行く?」「いいの?やったぁ、新聞屋さんのお手伝いだぁ」

 お手伝いどころか邪魔をしているのに、温かく子供たちの相手をしてもらい、私もそのやり取りを楽しく見つめていた。そんな日々を過ごすうちに、いつしか私も子供と同じように、いやそれ以上に夕刊を楽しみに待つようになっていた。

 先輩ママとしてアドバイスや、姑(しゅうと)の立場からの気持ちを教えてもらったり、毎回少しだけ交わす会話から、孤独になりがちな育児生活に光をもたらしてくれた。

 転勤族で知らない土地での生活に不安を覚えていた私は、このすてきな出会いに感謝し、わが子とともに成長させてもらえた。

 そしてまた転勤が決まり、今までの感謝を伝えると温かい手作りのおやつを配達してくださった。

 そのおやつをわが子とありがたく頂きながら、また次の土地でも頑張って生活していくぞ、この思い出を糧に私は強くなれる、心よりそう感じた経験だった。

中学生・高校生部門

最優秀賞

『かけがえのない時間』

大濵 善寛(16歳) 沖縄県石垣市

 僕の一日は新聞配達から始まる。毎朝五時に起き、まだ寝ている家族の横を忍び足で通り抜け、まだ暗い中へと出て行く。

 小学三年の時に父が亡くなり、以来、母が女手一つで僕を育ててくれている。そこで高校生になったら学習用具や小遣いくらい自分で何とかしようと思い、三か月前から始めたのだ。慣れるまでは大変だったが、今ではすっかり日常になっている。

 高校に入学して三か月。早朝講座もある。部活動もやっている。結構忙しい。でも新聞配達を辞めたいと思ったことは一度もない。

 配達中の「おはよう」のあいさつ、それに続く「大変だけど頑張ってね」「いつもありがとうね」の言葉やお菓子をもらう。いつも誰かがくれる「優しさ」。そして初めてもらったお給料、頑張った結果がちゃんとした形となって手の中にある喜び。

 そんな新聞配達は僕にとって、一日を頑張るための活力をもらう、かけがえのない時間だと思っている。

 今日もいつものように新聞を積み、自転車にまたがる。

 今日はどんな出会いがあるだろうか、という期待も積み込んで。

優秀賞

『町の復興といっしょに』

宮元 凌(15歳) 宮城県牡鹿郡女川町

 僕は震災から二か月後に新聞配達を始めました。週六日間配っています。

 僕の住む女川町は震災で大きな被害を受けましたが、この町で、何かの役に立ちたいと思ったのがきっかけです。あの頃はなんだかじっとしていられなかったのです。

 新聞配達を始めた頃、道で会う人たちに「おはよう」「気をつけてね」と声をかけられました。地域の人たちに、自分が温かく見守られているんだと思い、とてもうれしく元気づけられたのを覚えています。あいさつって大事だなぁと実感するようになり、今は自分からあいさつをするようにしています。

 新聞配達を始めてから、一年以上がたちました。配達中に見る風景が、毎朝少しずつ変わって、町が復興していることに気づかされます。震災直後に比べると、配達の軒数もだいぶ増えたそうです。これからも新聞配達を続けて、町の復興といっしょに僕も成長していきたいです。

審査員特別賞

『一本の電話』

栄 大樹(15歳) 愛媛県松山市

 記録的な猛暑となった二年前の夏、わが家に一本の電話がかかって来た。隣町で一人暮しをしている祖母宅に新聞を届けてくださっている販売所からだった。

 「昨日の新聞がそのままになっていたので気になって…」

 遠慮がちに告げる方にお礼を言い、すぐ母と祖母宅に向かった。鍵を開けるのももどかしく、中に入ると布団に横たわる祖母がいた。軽い夏カゼで大事にいたらなかったが、これを機にわが家で同居することにした。

 残念ながら祖母は半年前に他界してしまったが、祖母と楽しい時間を過ごすことができた。あの時の一本の電話のおかげだと感謝している。

 それ以来、僕は学校や塾の行き帰り、一人暮らしのご老人の様子に気を配るようになった。新聞や郵便物がたまっていると母に知らせる。幸い今のところ大事にはなっていない。

 僕のささやかな恩返しである。

入選(7編)

『新年を届ける足跡』

鯵坂 春乃(16歳) 鹿児島県南九州市

 「あったかいなぁ」

 ぽつりと私は呟いた。胸に手を当てる。この温かさを”ぬくもり“と呼ぶのだろうか。

 それは南の国鹿児島に、記録的な大雪が降ったある元旦の出来事である。私はいつものようにポストから新聞をとるために外へ出た。しかし、膝下まで積もった雪が邪魔で、なかなかポストへは近づけない。その時、私はポストへと続く大きな靴の足跡を見つけた。それはどうやら、新聞配達員の方の足跡だった。

 ようやく新聞を手にした私は、大きな雨靴を履いて白い息をきらすその姿を想像した。初めて毎朝新聞が届くことの温かみを感じた瞬間だった。届けられた新聞を広げると、たくさんの新年を祝う言葉たち。私は気持ちよく新年のスタートを切ることができた。

 私は再び、今度は折り返していく足跡を見た。次は誰に気持ちのよい新年を届けるのだろうか。私はそっと、新聞を抱き締めた。

『奥ゆかしい気遣い』

岩間 優(17歳) 東京都文京区

 私が幼い頃に、よく寄っていた駄菓子屋のおばあさんが久しぶりに入院先から自宅に戻ってきました。実は終末は家で過ごしたいという、おばあさんの希望を家族がかなえてあげるということでの帰宅でした。患いながらも、おばあさんはこれまで通り朗らかでした。

 おばあさんの毎日の楽しみは配達される新聞でした。新聞から得る情報で家族との会話も弾むそうです。新聞配達の青年もまた、私と同じおばあさんの駄菓子で育った世代です。おばあさんは地域の人たちにたくさんの愛情を注いでくれた人だから、その恩返しを多くの人たちからもらっています。

 新聞配達の青年は、「わざわざ訪ねるとおばあさんは気を遣うけど、新聞配達の時にひと声かけるだけならお互いに気楽だからいいね」と言いました。気を遣わないようにする気遣いは、新聞配達そのものだと思いました。

 新聞が毎日届けられる当たり前は、奥ゆかしい気の遣い方の模範だと気がつきました。

『トルコキキョウの花束』

武田 菜々恵(14歳) 秋田県秋田市

 私の母は四年前から新聞配達をしています。暗いうちに家を出て五時半に帰ってきます。

 去年のある秋の日の朝、母は白い花束を持ってうれしそうに帰ってきました。「どうしたの?」と聞くと、「配達の途中で、おばあさんからもらったんだよ」と言いました。

 花の名前はトルコキキョウ。一週間前、そのおばあさんはゴミ出しをしようとしていました。膝をかばうようにゆっくり歩いていたので、母が「手伝いましょうか」と声をかけると、とても喜んで「ありがとう。一人で暮らしていてもゴミはこんなに出るからね」としみじみ言ったそうです。母が「私は毎朝配達で通りますから声をかけてくださいね」と言うと、「ありがとう、ありがとう」と何回も言ったそうです。

 そのおばあさんが朝、配達の途中に「これをどうぞ」と渡してくれたのがこの花束でした。ありがとうの気持ちがこもった花束は、朝の光を浴びて白く輝いて見えました。

『温かな祖母の手』

戸澤 優子(12歳) 青森県弘前市

 「さだ婆。届がね。入れでぇ」

 私は七歳の頃、祖母の新聞配達をよく手伝ったものだ。背伸びしても新聞受けに手が届かなかった。だから抱っこしてもらって新聞を入れた。手伝いというよりは足手まといだったと思う。北国の凍える朝でも、抱っこしてくれる祖母の手は温かで大好きだった。

 今、私は中学生だ。祖母の背を追い越し、新聞受けにも楽々手が届く。それなのに、忙しいことを理由に手伝いをしなくなった。

 ある日の学校帰り。夕刊の配達をしている祖母の姿を見かけた。祖母は配達先の人に「お疲れさま」と言われ、顔をくしゃくしゃにしていた。祖母は生き生きしていた。私も「ご苦労さま」と言われて、得意な気分になった昔を思い出した。

 七十二歳の祖母は、七十七歳の祖父と二人三脚で山あいの集落にニュースを届けている。

 「腰曲がって届がね。優子。入れでぇ」とならないように、ずっと元気でいてほしい。

『続けること』

広瀬 香織(15歳) 秋田県秋田市

 私はすべての物事に無関心で三日坊主はいつものことでした。嫌なことがあればすべて投げ出していました。あの日、新聞配達の人に会わなければ…。

 ある夏の日、私は部活で先輩に怒られてから休みがちになり、下校途中に夕刊を配る人たちと毎日すれ違っていて、よく続くなぁと思いました。

 家に着くとちょうど配達員の方がいたので聞いてみました。すると、その方は笑顔で「初めは時間を守らなきゃいけないし、入れ間違えとかすると、どやされるし苦だったけど、たまにいる早起きのおばあさんから『ありがとう』『ごくろうさん』とか言われたりすると苦なんて忘れて楽しめるようになるよ。続けることに意味があるのかな?」。その方の言葉がやけにその時の自分に染みました。

 それから私は配達員の方の言葉を胸に部活をめげずに続けています。

 あの時、あの配達員の方に会わなければ今、こんなにも楽しい部活を続けていられなかったと思います。

 また、いつかどこかで会ったらありがとうと言いたいです。

『感謝の心』

山川 春奈(13歳) 東京都墨田区

 「カタン」新聞が投函される音がしました。「え…」私は驚きました。なぜなら、その日の東京は朝から大雪だったのです。

 わが家は早起き家族です。新聞が毎朝届く朝六時頃には、みんな起床しています。大雪の朝にもかかわらず、いつもの時間に新聞が届いたことには感動しました。

 「どんな人が配達してるんだろう」

 私はすぐに外に出てみると、集金の時に何度か顔を合わせた若い男性が近所に新聞を配達していました。私は思わず、「ありがとうございます」と声をかけてしまいました。すると、その人はこちらを向いて少しほほ笑んで軽く手をあげてくれました。ほんのちょっとしたことですが、大雪の朝に少し心が暖かくなりました。朝食の時に、その話をした父の言葉はとても心に残りました。

 「どんな時にもきちんと仕事をする人たちがいるから、世の中は回っているんだよ。そんな人たちには、感謝の心で接しなさい」

『宇宙銀行』

若藤 愛梨(18歳) 愛媛県松山市

 私の母は新聞配達をしている。そのため朝は忙しく、飼い犬の散歩もしているので、私が起きたらいないことが多い。だから私は、自分で朝食やお弁当を作らなければならない。それがいつも不満で、母が帰宅すると文句を言ってしまう。母のすまなさそうな顔を見るたびに、後悔が押し寄せてくるのだ。

 母はボランティアに近い形で配達しているので、収入はほとんどない。それなのにつらい早起きをしてまで、配る意味が私には分からなかった。そんな私に、母は「宇宙銀行に貯金しているのよ」と。

 私はその言葉に衝撃を受けた。とても深いと思った。その資金は人それぞれだろう。本当のお金のようにどれくらい貯まったかも分からないし、実際に使えるわけでもない。でも、きっと自分を助けてくれる時が来るのだと思う。

 「お母さん、いつも文句ばかり言ってごめんね。二十分早く起きてお弁当も作るから。朝、暗くて怖かったら私もついて行くよ」

 私は、小さな思いやり資金を宇宙銀行に少しずつ貯金していこうと決意した。

小学生部門

最優秀賞

『しんぶんのおじちゃん』

西森 琴(6歳) 兵庫県明石市

 ゆうがた四じに、しんぶんのおじちゃんがやってくる。バイクのブルルーンというおとで、おじちゃんだとすぐわかります。わたしがはしっていくと、「おおきくなったな」といってくれる。おじちゃんは、わたしがあかちゃんのときから、かわいがってくれます。

 あるひ、バイクのおとがしなくなって、ポストのパタンというおとしかしなくなりました。おかあさんにきくと、「まえのおじちゃんが、やめたんだって」といっていた。わたしは、おじちゃんがどこにいってしまったのか、しんぱいです。もっともっと、「おおきくなったな」と、いってほしかったのに。

 どこかであえたらいいな。そのときは、「おじちゃん、わたしおおきくなったよ。一ねんせいになったよ」と、おしえてあげたいです。

優秀賞

『にゃあのおばちゃん』

出口 弥春(8歳) 鳥取県日野郡日南町

 一月のさむい朝、私はお母さんにおこされて外に出ました。お月さまも星もまだ空にいてまっくらでした。

 私は、毎日バスで小学校に通っています。冬の間はバスの出発時間が早いので、家を出る時はまだ夜みたいにくらいです。

 「お母さん、まだくらくて夜だよ」と私が言うと、お母さんが、「くらいけど朝だよ。新聞がきてるよ」と言いました。「ほんとだ。にゃあのおばちゃんいつのまにきたのかな」

 にゃあのおばちゃんは、毎日、新聞をはい達してくれています。お姉ちゃんが小さい時から、みんなをびっくりさせないように「にゃあ」と言いながら新聞をくばってくれるので、私たちは、にゃあのおばちゃんとよんでいます。

 にゃあのおばちゃんと新聞は、朝をつれてきてくれるみたいです。でも、ときどきはゆっくりの朝にしてね。いつもありがとう。

審査員特別賞

『伝えたい言葉』

堀山 喜史(8歳) さいたま市浦和区

 うんどう会の一か月まえから、ぼくは毎朝走ることにした。走るときめると、ねててもぼくの頭がおぼえてるのか、まだ外がくらい時から目があいた。

 ブウルルルルル…いつもきまった時間に、その音はぼくの家のまえを通る。

 早おきしていなかったころはきづかなかったけれど、時計のはりと同じくらいに正かくに通る。それは新聞はいたつの人のオートバイの音だった。

 ぼくはその音を楽しみにまつようになった。まつだけじゃなく、新聞をうけとりたくなった。うけとって「ありがとう」と、どうしてもいいたくなった。

 次の朝、ゆうびんうけでまっていたら、いつものブウルルルルル…がちかづいてきた。「いつもありがとうございます」といいたかったぼくは、きんちょうして「いつもおはようございます」といってしまった。

 はいたつの人はニコニコしながら頭からぼうしをとり「おはようございます。どうぞ」と、ぼくに新聞をわたしてくれた。明日こそは「ありがとう」をいおう。

入選(7編)

『配達員さんの思いもいっしょに』

岩田 有季奈(11歳) 札幌市西区

 毎日届く新聞―。いつも「届いて当たり前」と思っていた。でも、雨の日や雪の日、大変そうにしながらてきぱきと配る配達員さんを見ていると、「届いて当たり前」と思っていた昔の自分が何だかはずかしくなってくる。

 夜にたくさん雪がふり積もったある日、ふと新聞が目に入った。いつもなら何も思わずにただ目にするだけだけど、その日は「こんな足場が悪い日でもちゃんと時間通りに届くなんて…すごいな」と思い、届いた新聞をいつもよりじっくり読んだ。

 もし私が配達員だとしたら、朝早く起きるのが大変で、毎日、新聞を届けることはできない。たとえ自分が風邪をひいたとしても、たとえケガをしたとしても届けなければいけない。そう考えると、配達員の人たちはとてもすごいと思う。

 毎日届く新聞。これからは新聞にのっている記事だけではなく、配達員の方々の思いもじっくり読んでいきたい、そう思った。

『あたりまえをありがとう』

佐久間 千佳(12歳) 札幌市西区

 私の家では、新聞を配達してもらっています。毎日決まった時間にポストに届く新聞。私が朝起きると、いつもつくえの上に置いてあります。毎日、変わることなく置いてあります。それが私のあたりまえです。

 ある日、私が学校から帰ると、新聞配達員の方がバイクに乗って、新聞配達をしている姿を見かけました。その姿は下校のときよく見ます。でも、その日は気温が高い夏の夕方でした。ふと配達員さんを見ると、けわしい顔で、汗も少しにじんでいました。私は大変そうだと思うのと同時に、なぜそんなにがんばれるのだろうと思いました。

 毎日のように届く新聞、「仕事だからがんばっている」のでしょうか。毎日、雨でも風でもがんばれるのは、新聞を読む人たちの「あたりまえ」をこわしたくないのだと思います。

 だから、毎日変わらず私たちが「あたりまえ」を感じていけるのです。新聞配達の方々へ。「あたりまえ」をありがとうございます。

『うれしかった出来事』

瀧本 駿(9歳) 奈良県天理市

 一年前の九月二十七日、僕は新聞にのった。夏休みの自由研究に、「お墓にひなんします」と遺書を残して亡くなった南相馬市の九十三歳のおばあさんのニュースにしょうげきを受け、原発のことを調べた。最後にそのおばあさんの記事をのせた。

 その記事を書いた記者さんが、ぼくの自由研究をとりあげ、新聞にのせてくれたのだ。夕刊にのっていると、隣の人が教えてくれた。でもうちは夕刊はとっていないから、配達所に連絡して明日、朝刊と一緒に届けてほしいとお願いした。

 配達所の人は快く返事をしてくれ、明日を楽しみに待つことにした。その十分後、家のチャイムが鳴った。なんと配達所の人が「広げて確かめてみたら一面に大きくのっているじゃないですか。うれしくて少しでも早く見てもらおうと持ってきました」と、わざわざその足ですぐ届けてくれたのだ。

 ぼくは新聞にのったことのうれしさと、配達所の人のやさしさとで二倍感動した一日だった。

『ぬくもりいっぱいの新聞』

徳 涼羽(11歳) 神戸市須磨区

 朝起きると、いつものように新聞が届いています。私には、あたり前のように感じますが、これは新聞配達の方が届けてくださったおかげです。

 私はいつも五時三十分に起きていますが、その時にはもう、お家に新聞が届いています。新聞配達の方々はとても早起きをしているのだと思います。静かな町で新聞配達をするのは時々心細くなるのではないでしょうか?私だったら、こわくて一人では絶対にできません。

 届いた新聞は、どんなに寒い日でも、たくさんのぬくもりを感じます。その新聞を通して、新聞配達の方の心と、私たちの心はつながっていると思います。

 春はうぐいすの鳴き声とともに来てくれて、夏は太陽とともにかがやきながら来てくれて、秋は虫たちの応えんを聞きながら来てくれて、冬は寒さに負けず、元気な心まで届けに来てくれる。

 新聞配達の方々「毎日、ぬくもりいっぱいの新聞をお家に届けてくれて、ありがとう!」 

『ありがとう!優しいおじさん』

白田 愛美(12歳) 茨城県笠間市

 新聞配達のおじさんは、毎日朝早くから届けてくれます。そのおじさんの優しいエピソードの一つを書きたいと思います。

 私が祖父の家に泊まったある日の事。私の大好きな二匹の犬「タロウ」と「ボス」の泣き声で目が覚めました。外では、遠くから聞こえるバイクの音がだんだん大きくなり、家の前で止まりました。

 窓から見ると新聞配達のおじさんです。ボスとタロウは大好きなボールが取れなくて泣いていたので、おじさんはボールを取って、ボスとタロウに渡し、頭をなでていました。ボスとタロウはしっぽをふってうれしそうでした。そのおじさんも優しくほほ笑んでいました。

 それからボスとタロウは優しいおじさんが来るのを毎朝、入口を見ながらしっぽをふって待っているそうです。

 優しい新聞配達のおじさん、いつも本当にありがとう。私も優しい大人になりたいです。

『かぎ』

服部 杏子(8歳) 東京都世田谷区

 「はい、かぎは右に回してドアを開けてね」と言われたあの日。ずっと言われたことを覚えているつもりだったのに、けろっと忘れた。下校時間、バスに乗ってようやく家の前まで来た。

 かぎあなにかぎを深くさしこんで、くるっと回してみた。だめだ、あかない。もう一回、やっぱりあかない。もう一回、もう一回…。いくらやってもあかない。涙がでた。もうだめだ…そんな時、新聞配達の人が来た。泣いている私に「どうしたの?」と声をかけてくれた。

 お母さんは意外と早く帰ってきた。私は知らなかったのだが、新聞配達の人は「お孫さんが泣いてましたよ」と、近くに住んでいるおじいちゃんに、配達のついでに知らせたらしい。それをおじいちゃんがお母さんに連絡して、お母さんは早く帰ってきたわけだ。

 その後、その人のことを何回か見かけたが、まだお礼は言っていない。今度会ったら「いつもありがとうございます」と言ってみたい。

『家族の応援』

湯本 鈴花(12歳) 長野県中野市

 私は今、六年生です。卒業したら新聞配達を始めたいと思ってます。私の家には、毎朝七十八歳の新聞屋のおばちゃんと呼んでいる人が届けてくれます。冬は、雪が多くて大変です。だけど、おばちゃんは毎日届けてくれます。私はすごいなぁと思いました。

 私は、そんなおばちゃんのお手伝いができたらいいなぁと思いました。だけど、心配や不安があります。冬は朝早く起きれるかとか、家を覚えられるかなど色々なことがあります。それは、自分で努力するしかないと思います。そのためには、自分で早く起きれるようにがんばるしかないと思います。

 その私を応援してくれるのは家族です。温かいご飯を作ってくれるお母さんや何も言わないけど優しい気持ちで見守ってくれるお父さん、一緒に起きてくれる妹、みんなが支えてくれるからできると思います。

 新聞って毎朝あたりまえのように届くけど、そのかげでは、たくさんの人が助け合っていると思います。私もその仲間に入りたいです。

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