作品一覧

大学生・社会人部門

最優秀賞

『新聞は私の生きている証』

伊勢 伸彬(66歳) 仙台市宮城野区

 一人暮らしの母のもとに帰り、介護生活を始めたある日のこと。

 「読みもしない新聞、もう断るぞ」と言うと、認知症の母がキッとした目で、「そんなこと言わないでけさい、私の生きている証しなんだから」と私をにらんだ。

 そして要介護4の母がなおも続けた。「新聞取り忘れた時、心配して何回も来てけだんだよ。孤独死してもすぐ見つけてけられっから、安心して暮らしてんだから」

 一人暮らしがボケ防止だと強がっていた母、心の中は不安と寂しさでいっぱいだったのだろう。

 母が逝って丸三年。その家で私が一人暮らしをしている。ザクザクと小砂利を踏む足音が近づき、バサッと音がして遠ざかる。私は布団の中で手足を伸ばし、健康に朝を迎えたことを意識する。

 そして、新聞配達さんありがとう、私にも、母と同じように安心を届けてくださいと、手を合わせる。

優秀賞

『午前三時の配達音』

藤田 梨恵子(25歳) 埼玉県越谷市

 いつも、午前三時になると、きまってわが家には新聞が配達される。

 古びたブリキに、ペンキを塗っただけの赤いポスト。午前三時になると、バイクの音とともに、カランカラン、とポストに新聞が入る音がする。わが家のポストは古くて、投入口も狭いから、新聞をねじ込むように入れると、大きな音がする。「そろそろ新しいポストに変えなくっちゃね」と言いつつ、当分新しいのを買う予定もなかった。

 ある時、わが家に子供が生まれた。元気な女の子だったけれど、生まれてからしばらくの間は、ひどい夜泣きに悩まされた。病気を疑うほどの、それはひどい夜泣きで、午前零時から六時くらいまで、ギャーギャーと泣き続け、泣き止む気配はなかった。

 生まれたばかりの娘を、病院から自宅につれ帰った日、やはり娘は午前零時過ぎたあたりから泣き始めた。約三時間、泣き続けた。

 「ああ、もう午前三時だわ」と時計を見て、少し気を紛らわそうと、窓際から赤いポストに目をやった。新聞と差し込まれた一輪のひまわりの花がそこにあった。

 後になって、大の子供好きであった当時の配達員さんは、夜泣きで疲れきった母を励まそうとひまわりを差し入れたこと、赤ちゃんである私を驚かせないようにその後一年もの間、静かに新聞を入れ続けていたことを、母は現在の配達員さんから聞いたそうである。

審査員特別賞

『豪雪地ゆえの思いやり』

村山 由美子(62歳) 長野県飯山市

 小さな村の新聞配達をして十四年目の私。昨年、村の代表から感謝状を頂いた。どうして?・・・私は、この豪雪地ゆえに、誰かがやらなければと仕事でやっているだけなのに。文面を見ると、「この雪深い中、長年に渡り、雪の日も雨の日も、毎日早朝より・・・」とある。なるほど、それは確かに。

 この地は、長野県と新潟県の北の県境にあり、冬は四メートルからの豪雪地帯である。一晩に一メートルも積もる日もある。そんな朝は、早いがゆえに除雪もままならず、まるでクロールか平泳ぎの格好で雪を掻き分けて進むしかない。段々年をとるごとに、前へ進む一歩の足が上がらなくなってきているが、それでも新聞配達を続けられる理由がある。それは、感謝してもしきれない村人の優しい温かさに触れるからである。

 私が配達するよりも前に起きて、通る道を作ってから、また一眠りするおじいちゃん、道路から家までの距離が長い家は、道路脇に冬専用の新聞受けを出してくれる家が何軒もある。お陰で、冬の厳しい朝も、この思いやりで私は何とか続けられている。

 逆に、私の方から村人に感謝状を贈りたいぐらいなのに。

 こんな温かい優しさに溢れる村の人に届けられる新聞配達員になって、私は誰よりも幸せである。

入選(7編)

『震災の記録』

小林 康樹(46歳) 仙台市泉区

 あの忌まわしい大地震に襲われ、一夜を車庫の車で過ごした。何の情報もない不安と車のためか眠りも浅く、かなり早く目が覚めた。「もしや」という気持ちと、「さすがに届いていないだろう」という気持ちを交錯させながら、私は新聞受けへと向かった。

 恐る恐る開けてみると、そこにはいつもと同じく、当然のように新聞が届いていた。わずか八ページではあったが、立派な新聞だった。紙面は目を背けたくなるような事実が多かったが、紛れもなく私が知りたい情報が載っていた。しかし、それを私の手元に届けてくれた人がいたことに気付いた。そう、新聞配達員の方だ。

 「新聞が届く」という日常当たり前のことを感謝したのは、私の一生でこの時が初めてだった。

 その後、毎日届けられる新聞を感謝しながら隅々まで読んだ。三月十二日から四月十一日までの一か月分の新聞は「震災の記録」としてわが家に保管してある。それはやがて生まれてくる孫たちに、この事実を伝えるためだ。あんな状況の中、休まずに届けてくれて本当にありがとう。

『人の命を救った新聞配達員』

土井 清子(70歳) 徳島県三好市

 冷えこみが厳しい一月末の早朝、けたたましい救急車の音で目覚める。高齢者の多い過疎の村なので不安になる音である。

 尋ねてみると、この救急車で病院に運ばれたのは、山の上の八十六歳のIさん。いつも元気な人である。連日の積雪七十センチの凍てつく大寒のさなか、玄関を出た所で凍った前場で足を滑らせて五メートル下の畑へ転落。何時間経過したのか分からない。

 そこへ通りかかった新聞配達員が見つけて声をかけたが返答なし。家族を起こして救急車を呼んだ。辺りは、まだ暗くはっきりしない時刻。ぐったりしているIさんは、意識もなく命も危ない状況である。しかし新聞配達員さんの素早い対応で人命救助ができた。

 田舎の過疎の町では、新聞配達だけでなく、一人暮らしのお年寄りや地域の人々の安全を見守る役目をしている新聞配達員さんに感謝。大雪の日も暴風雨の日もお世話になってありがとう。

『ほほ笑ましい姿』

中村 光男(71歳) 京都市南区

 初夏の午後の出来事である。団地内のベンチに一人の中年男性が座っていた。そのかたわらには杖が大切に置かれている。私が声を掛けようとした時、「お待ちどうさま!」とバイクの女性が近づいて来た。バイクの前かごには夕刊の束がぎっしりと乗っている。女性はかごから数部の新聞を取り出して「よろしくね!気を付けてね」と男性に手渡した。男性の手にはお茶のペットボトルが大切に握られていた。「お疲れさん!はい!」とお茶を女性に差し出した。女性の顔からは汗が滴り落ちていた。

 数分間の休みを取り女性は「では行ってきま~す!」とバイクにまたがり忙しく去って行った。その後、男性は数部の新聞を大切に持ち杖の支えを受けながら団地内に消えていった。

 後日、女性のご主人であることを知った。ご主人は現役で活躍中の時に脳梗塞で倒れリハビリを兼ねて妻の負担を少しでも助けてあげようとの思いから始めたそうだ。 厳寒の日も猛暑の日も四季を通してそのほほ笑ましい姿を目にすることになった。その「夫婦の絆の強さと二人三脚」の配達に涙した。

 新聞を手にするたびに心温まる光景とご夫婦の素敵な笑顔が浮かんで来る。「いつもありがとう!ごくろうさま!」と大きな声で叫びたい。

『七色の空』

平岩 靖子(36歳) 京都市伏見区

 空は七色に変化する。それは学生時代、朝刊配達をして知った私の宝物だ。

 大学時代、私は暑苦しい男ばかりの体育会柔道部に所属していた。朝も夜も稽古に明け暮れる毎日。朝錬の前ならバイトができる!!朝刊配達を思いついた。

 冬はパジャマの上に防寒着を着こみ配達。雪の日に転びバイクを破損。いつもの場所にいつもの野良猫。野生の雄鹿にも遭遇。めくるめく出会いの連発だった。

 中でも一番が「七色の空」だ。早朝の空は、私に毎日違う自分を見せてくれた。ピンクや緑の空は、私に驚きと感動を与えてくれた。地球はこんなにも美しいのだ。

 今、専業主婦となり朝刊が届くのを待つ身。どこかの苦学生が配っているかもしれないと思うと懐かしくもある。

 朝刊が届き、子供たちがお手伝いで取りに行く。お父さんが出勤前にそれを読む。朝食のテーブルで子供たちに記事の一部を読み聞かせる。そんな朝の風景の続くことが、幸せの連続だと実感している。

 そしていつか、子供たちに「七色の空」について話して聞かせたいと思う。

『一通の書留』

松本 和洋(35歳) 島根県松江市

 月に一度、田舎から一通の書留が送られて来る。一か月分の新聞配達代八千円が入っている。

 僕は中学三年生の時から、田舎を離れるまで、新聞配達をしていた。そして、田舎を去り、その役目はおじいちゃんへと受け継がれた。

 季節は巡り、月日が流れ、何百キロと離れた都会のアパートまで、八千円は届く。大好きなビール代にもまわさず、孫のためにと、八千円は届く。

 電話の向こうで「おじいちゃんも頑張ってるから、おまえも頑張れ頑張れ」と繰り返す。

 あれから十五年。おかげさまで、優しい奥さんとかわいい子供にも恵まれた。先日、棺の中の、おじいちゃんの顔を見た時、やっぱり涙が止まらなかった。

『私の一番の財産』

山本 愛子(33歳) 長崎県東彼杵郡波佐見町

 独身時代、一人暮らしの生活を支えるため、ウエートレスと新聞配達のかけもちをした。若かったせいか、あまり苦にならず、初めて乗るバイクもすぐに慣れ、二年間余りの新聞配達を楽しんで働いたことを、懐かしく思い出す。

 私の体験談から、新聞配達の素敵なところは山ほどある。何といっても夜中三時頃から配達し始め、五時頃配り終える時、太陽がゆっくりと昇る美しさを一人じめできる。とてもきれいな景色だ。空気が澄んでいて、さわやかな気分を味わえる。早めの朝ごはんは、とても美味しく、その後の二度寝は格別だ。

 今の時代、振り込みが多い給料支給だが、手渡された給料だった。何よりも一生懸命働いたことの重みを感じた。月一回の休日は、大切に過ごした。実家に帰り、泊まり、両親とゆっくり過ごせるのでうれしかった。

 今、私は毎日の新聞を楽しみに読む側だ。雨の日も嵐の日も雪の日も届けてくれる新聞配達員に、感謝しながら読むことのできる喜びを、毎日味わっている。もし新聞配達を経験しなかったら、きっと読むありがたさに気づかなかったと思う。そして今、自信を持てる自分に出会えたことが私自身の一番の財産になったと思っている。

『いつになったら新聞をとってくれるの?』

吉川 瑞智子(36歳) 沖縄県南城市

 五歳の息子に言われて重い腰を上げた。夫婦そろって新聞が大好きなのに、引っ越し等で新聞をとる機会を逃してしまい今まできてしまった。

 新聞が届く初日、息子と娘は、今か今かと待っている。まだ真っ暗な中、おばちゃんがやってきた。大喜びの二人。初めて受け取った新聞を、うれしそうに二人でめくっている。字もよくわかっていないけど・・・すると新聞を見ていた息子が「おばちゃんにお礼の手紙を書く」と言って、何やら書きだした。できたものを持ってきて見せてくれる。それは自分で書いた「新聞」だった。

 おばちゃんが来るのを待って、照れくさそうに渡す息子。

 数日後、新聞の入ったポストに、お礼の手紙と、おばちゃんが作った野菜、お菓子の入った袋がぶら下がっていた。時期はちょうどクリスマス。わが家に、おばちゃんサンタがやってきた。

中学生・高校生部門

最優秀賞

『一日が始まる合図』

日野 はるか(16歳) 宮城県気仙沼市

 震災数週間後の静かな町。

 早く目が覚めてしまった私は布団の中で考えごとをしていました。学校に行きたい。友達に会いたい。早く元の生活に戻りたい。そんなことを考えていると、いつの間にか泣いていました。

 その時、なんだか聞き覚えのある音が近づいてきました。新聞配達のバイクの音です。

 この音が聞こえると、母は起きて家族のお弁当や朝ごはんを作り始めます。そこから私の家の一日が始まるのです。バイクの音は、母が準備を始める合図でした。この音があるからこそ一日が始まり、家族の日常を取り戻せることに、その日初めて気付きました。バイクの音が聞こえることも幸せな日常だったのです。

 あれから二年もの年月がたちましたが、バイクの音は休むことなく毎朝聞こえてきます。そして今日もまた、バイクの音を合図に家族の日常が始まるのです。

優秀賞

『ピンクのサプライズ』

渡邉 ケイトサクラ(15歳) 熊本県球磨郡あさぎり町

 私は、中学二年生の終わり頃から、人吉新聞の夕刊を配達しています。

 私は部活動に入っていなかったので、母に勧められて、毎日学校の帰りに新聞配達に励んでいました。配達をしているうちに、普段は話す機会もないような地域の方々に声をかけられるようになりました。

 週末には、妹も一緒に配達にまわることがあり、その時には、飲み物やお菓子を頂いて楽しいひとときを過ごしたこともありました。

 そして、私が高校入試の合格が決まった後、いつも通り配達をしていると、とある配達先の方から、高校受験合格のお祝いの品を頂きました。それはピンクのハンカチで、私はとてもうれしく感じました。

 地域の方々に支えられて自分が頑張れていること、地域の情報をたくさん載せた新聞を届けることで、地域の人にも自分にも元気をもらっていることに気づき、今まで以上に頑張って配達を続けたいと思っています。

審査員特別賞

『父の特訓』

谷川 優輝(16歳) 福岡県飯塚市

 僕が朝刊の配達を始めてもうすぐ一年になります。きっかけは父親の一言でした。

 「自分が高校の時は、朝刊配達で授業料も修学旅行の積立もこづかい銭も稼ぎよったばい」と言う父に「学校で眠くなかった?」と僕が聞くと、「うん、寝させてくれる先生の時にはぐっすりと寝よったけど、その科目は今でも苦手ばい」と笑う父につい引き込まれたようで、「僕もやってみようかな」と言ってしまい、早速次の日曜日に父の“特訓”を受けます。

 軒数は40軒ほどですが、それでも父の表情は厳しく、「大事なことは、必ずポストに収まるように(はみ出さない)入れる。ポストの裏を片手で抑えて入れる。または入れたあとフタをするとき“カチッ”という音を聞くこと。毎日一軒のミスもしないこと」などを教えてもらい「仕事って何だか大変だなと思いながらも、次の日の早朝から自転車で僕ひとりでの配達開始です。初日は何と90分ほどかかりましたが、何だかうれしかったのと、朝ごはんがとても美味しかったのを覚えています。今では40分ほどで配達を終えますが、身体もすっかり慣れ、気分的にはスポーツ感覚です。それでも雨、風でとても辛い日もありますが、僕も社会の中の一人であること、きっと誰かのためになっている。

 そんなことを考えながら、卒業までの一年半を頑張って配り続けよう、そう思っています。

入選(7編)

『優しさに感謝』

東 翔輝(17歳) 大分県佐伯市

 今、高校二年の私は地元を離れた大分県の学校に通っています。中学の時の生活は、いつも二つ下の弟との朝から始まります。親戚に「野球やってんねんやたら、朝から走りに行け」という言葉から、兄弟での新聞配達が始まりました。毎朝四時四十五分に起きて五時からの新聞配達の生活は、とてもきついものでした。しかしその生活も二か月続くと当たり前になり、むしろやらない方が一日が始まらないと感じるようになってきました。

 新聞配達をしていく中で二人で学んだことがいくつもありました。一番うれしかったのが、近所の人たちの優しさです。今までは学校に行くときに、すれ違ってあいさつをするだけだった人たちと話す機会が増えて、こんなにも自分たちのことを知っていたのかと思うくらい、知ってくれていました。朝、新聞を入れたら学校に行くときに「新聞ありがとね」って優しくほほ笑みながら言ってくれる人、いつの間にかいつも新聞を配達しに行くときに、外で私のことを待ってくれている人、そんな優しさを感じながらの毎日でした。だからこそ帰ったときはいつでも感謝しています。 

『五時十五分のノック』

小笠原 千紘(16歳) 大阪府東大阪市

 私が高校受験をひかえていた頃の出来事です。私は受験勉強のため、朝は四時に起きていました。家族が寝ている時間に、一人で起き、受験勉強をするというのは、つらく寂しいものでした。しかし、私はそれを乗り越えることができました。一人の新聞配達員の方のおかげです。

 毎朝、五時十五分になると、部屋の窓をコンコンと叩く音が聞こえてきました。いつもそこには、私と十歳も離れていないくらいの、お姉さんが立っていました。私は窓を少し開け、そこから毎朝新聞を受け取りました。

 このお姉さんのように、朝早くから頑張っている人がいると気付けたことは、私にとって大きな支えになりました。その支えのおかげで、私はつらい受験生活を乗り越えることができました。

 今は配達員の方は、変わってしまいました。けれどまた、あの配達員のお姉さんの、あたたかいノックの音を聞ける日がきっとくる。そんな気が私にはするのです。

『笑顔のために』

川面 光輝(15歳) 京都市右京区

 僕は、中学二年生の時から新聞配りを始めた。部活もあることから、配るのが少し遅かった。

 そんな日が続くある日、ポストの前で一人のおばあさんが新聞を待っていた。するとおばあさんは、「新聞は一日で一番の楽しみなんよ」と言った。それを聞いた時、僕は自分が配っている新聞をこんなにも楽しみにしている人がいるということに感動しました。その日を境に僕は部活が終わったらすぐ新聞を配るようにした。

 それから、しばらくたってそのおばあさんと出会った。おばあさんは、「この頃配るのが早いねえ」とうれしそうな顔で言っていた。僕はその時のおばあさんの顔を今でもよく覚えています。僕にとって新聞配りをしていて一番うれしいことです。

 僕は、新聞配りをしていて、新聞を楽しみにしている人がいるということを知りました。その人の笑顔を見るためにこれからもがんばって、早く新聞を配っていきたいです。

『笑顔の源』

菅野 糸(15歳) 宮城県気仙沼市

 二年前の三月十一日。私たちは、未曽有の大きな揺れに襲われた。すべてのライフラインが失われ、不安な夜を過ごした。情報もなく、今どのような状況なのかわからなかった。

 そんな中で、学校が始まった。そこで、三陸新報で新聞を配布しているという話を聞いた。私は、すぐ友達と新聞をもらいに行った。

 そうすると、受付にいた方に「配達に行けなくて、ゴメンね。お互いにがんばろう!!」と声をかけていただいた。私は、自然と笑顔で新聞を受け取っていた。

 私はとてもうれしくて、急いで帰り家族へ見せた。そうすると、うれしさが伝染したようにみんなが新聞を受け取る度に笑顔になっていった。

 それから、震災前のように新聞配達が始まった。私は今年高校へ入学した。

 受験勉強は深夜まで続くこともあり、くじけそうになったが、新聞配達の音を聞く度、私はあのことを思い出し笑顔になり、志望校にも合格することが出来た。あの時は、ありがとう!!

『あの日の若いお兄さん』

長山 和寛(15歳) 青森県十和田市

 二〇一一年三月十一日、マグニチュード9の巨大地震の発生、多くの地域のライフラインに甚大な被害が出ました。

 僕の住んでいる七戸町(旧天間林村)は、地震発生とともに停電となり、水道も止まってしまいました。携帯電話での家族との連絡もできませんでした。何一つ情報が得られないまま夜を迎え、外の気温がマイナス6度に達した三月十二日午前二時、新聞配達の若いお兄さんが、歩いて僕の家に新聞を届けてくれました。その人は、ほかの人の家にも手渡しで新聞を届け、そこに住んでいる人の健康状態も気を遣っていました。東日本大震災が発生という非常に残念な記事がトップタイトルの新聞を持ちながら、その人の話を聞いたとき、こんな状況でも他人を気遣うことができるような人間に僕はなりたいと思いました。

 あれから二年が過ぎ、徐々に復興が進んでいます。あの日の出来事は、絶対に忘れません。あの日の若いお兄さんのような行動ができるように日々努力しています。

『頑張れじいちゃん』

浜 由香李(14歳) 北海道旭川市

 今日もじいちゃん新聞届いてる・・・・・。

 私のじいちゃんは、六年前に胃の大手術をして胃がない。にもかかわらず、じいちゃんは元気がいいから新聞配達をしている。去年の大雪の時は、道のない所を雪をこいで二時間遅れになったけど歩いて新聞配達をしたらしい。すごい責任感があるんだと思う。私ならできるだろうか・・・・・。

 私もじいちゃんと一緒に新聞配達をしたことがある。けど私は三歳の頃だったので車の中でじいちゃんが配達しているのを見ていた。私は、楽しかったけどじいちゃんは配達するのに大変だったと思う。そんなじいちゃんが大好き。新聞は毎日沢山の情報を私たちに知らせてくれてとても助かる。毎朝新聞を読むことは、一日の始まりであり、まるで円で結ばれているようだ。配達して誰かがそっと手をさし伸ばして読んでくれる。だから新聞は、幸せにさせてくれると思った。そして読んでくれる人がいるから、じいちゃんも頑張れる。人とのつながりが新聞でできる。

 今朝も私は、新聞を読む。

『ぬくもりの音』

宗田 千奈(18歳) 富山県高岡市

 目覚まし時計をとめて机に向かう。外ではしんしんと雪が降っている。ピーンと張った冷たい空気に身震い。冬の早朝は世界中から音がなくなってしまったように静かで、心細くなる。布団のぬくもりが恋しい。もう一度寝ようかな・・・。

 そう思ったとき、玄関からカタンと音がした。そっとのぞくと、そこに新聞があった。手に取るととても冷たい。寒い中こんなに早くから新聞を届けてくれる人がいるんだ・・・。そう思うと、自分も頑張らなくては、という気持ちになった。

 そしてそれ以来、私の朝は新聞配達との早起き勝負になった。音が聞こえると新聞配達よりも早起きした満足感。二度寝をしてしまった日は悔しさと反省。カタンという音を聞くのが私の楽しみだった。届けられる新聞は私を応援してくれているようで、心がほっこりと温かくなった。

 今、新聞の電子化が進んでいる。その中で、人から人へ手渡す温かさは失われてはいけないと思う。今日も私は、心の中で感謝しながらカタンという音を聞いている。

小学生部門

最優秀賞

『陰で見守ってくれている配達員さん』

坂神 練丞(11歳) 浜松市中区 

 「配達員、焼津の老夫婦救助」

 ある日の新聞に載っていた記事だ。新聞受けにたまっていた新聞から、この家の「異変」を感じたらしい。

 僕は毎日、新聞を読んでいるが、配達員さんのありがたさを考えたことがなかった。配達員さんの役割を、町の中のものに例えると、建物に電気を送る、電線のようなものなのだろう。普段は、存在を忘れている。

 しかし、この記事を読んで、新聞配達員の役割は、それだけではないと感じた。体の自由がきかない身で、助けも来ない状態で、老夫婦はかなり絶望的だったと思う。その状態での救いの手は、とてもありがたかっただろう。この出来事は、奇跡なのだろうか。

 いや、決してそうではない。なぜなら、配達員さんは、陰で僕たちの一日の始まりを見ていてくれているのだ。

 配達員さんは、新聞を配達するのと同時に、僕たちを、陰で見守ってくれている。普段は目立たないけど、かけがえのない存在なのだということに気付いた。今日も、配達員さんのバイクの音が聞こえる。

優秀賞

『新聞から始まる一日』

阿部 このみ(12歳) 北海道亀田郡七飯町 

 「ブーン」毎日、朝早くに聞こえてくるバイクの音。「ガチャン」と新聞をポストに入れる音。私はいつもその音で目を覚ます。すぐにポストから新聞を取る。それから真っ先にテーブルに向かい新聞を開く。その時、ふと思った。テレビと新聞の違いって何だろう?テレビでニュースを見れば音がないと内容がよくわからない。でも、新聞だと音がなくてもいいから、家の中も心の中も落ちつく。テレビと新聞どちらがいい?と聞かれたら、必ず新聞と答えるだろう。

 しかし、テレビがきらいというわけでもない。ただ静かなのが好きなのだ、今もそうだ。テレビではなく新聞を読む。どんどん先に進むにつれ、引きこまれる。興味のない記事でもとことん読む。そして興味をもつ。興味はもっているものではなくて、もつものだと私は思う。

 これから大人になっても新聞を読み続けて、知識を増やしたいと思う。そのためには新聞を配達してくれる人がいなければならない。だから配達してくれる人たちにこう言いたい。「いままでありがとう。これからもよろしく」と。

審査員特別賞

『新聞配達のお手伝い』

大峰 凛帆(9歳) 東京都小平市

 私のお母さんは、新聞配達をしていました。

 ようち園のころ、そんな新聞配達をしてみたいなぁと思っていました。そうしたら、お母さんが「いっしょに行く?」と聞いてくれました。私は行くことにして朝早く起きました。

 お母さんと、自転車に乗って、新聞を配りに行きました。朝のつめたい風が、とても気持ち良かったです。

 あるお家に着いて、ポストに新聞を入れさせてもらいました。たったそれだけのことなのに、自分がとてもすごいことをしたような気がして、すごくうれしかったです。

 そして、全部配り終えて家に着くと、三時ごろ出たのにもう六時半でした。家に入って届いたばかりの新聞を読んだら、何か、すごくすごくうれしくなりました。

入選(7編)

『真心を届ける幸せ配達人』

安藤 瑞希(11歳) 東京都練馬区

 私は小一の時から小学生新聞の特派員をやっている。

 自分の身の回りでおこったこと、体験したことを文章にして、写真と共に編集部に送る。採用されれば、文章の手直しが行われ、紙面の一部に掲載される。

 この特派員のコーナーは週に一度だけ。採用された記事がすぐに明日載るわけではない。普通の新聞はその日にあった新しい事件、出来事がすぐに載る。新聞が出来あがるまでの過程も見学したが、選挙速報などは、第一版から、印刷ギリギリの時間まで最近のものに書きかえられる。私が書く記事はタイムリーなものではないので、読者がこんなイベントがあったと知っても、たいてい終わっている。それでもいっぱしの記者になった気持ちで、真剣に記事は書いているつもり。

 掲載紙が配達される日は、新聞配達のバイクの音が待ちどおしく、早く目が覚める。私から読者の方に送る文字のプレゼントを運ぶ彼らは、幸せ配達人かもしれない。

 多くの読者の方、特派員が書いた真心を、どうぞ日本中にこれからも届けて。私も、特派員として頑張ります。安全運転でね。

『謎の人物』

井崎 英乃(11歳) 仙台市青葉区

 一体どなたが、朝何時に届けているのだろう?

 小学一年から購読している小学生新聞。今朝もまた、いつものようにポストに届いた。

 お天気があやしいこともあり、今朝の新聞は、シャワシャワのビニール袋に収められている。何て親切なのだろう。

 どんな方が届けているのだろうか。謎だ。男性?女性?ご老人?それとも、若い方? 中学生のお兄さんやお姉さんだったらどうしよう。私の想像はどんどんふくらむ。

 郵便屋さんのように、オートバイで来るのかな?この辺りだけなら自転車で十分? いやいや朝のウオーキングの人にまじって、徒歩かもしれない。謎の人物新聞配達さん。

 何度も早起きに挑戦しても、新聞配達の方にお会いできない私・・・・残念。

 どなたか存じませんが、毎日毎日ありがとうございます。いつか感謝を伝えたいな。

『三十二歩のお手伝い』

伊藤 心(8歳) 秋田県秋田市

 ソファーから玄関まで十歩。靴を履いて鍵を開けるまでに三歩。ドアを開けて三歩でポストに着き、新聞を取ってから十六歩でソファーに戻ってきます。合計三十二歩の新聞配達がぼくの朝一番の仕事です。

 ぼくの一歩は五十センチメートルくらいなので、配達距離は千六百センチメートルです。これを一年生の時から続けています。新聞を運ぶと、お父さんが「しん、新聞ありがとう」と言ってくれます。時々忘れてしまうことがありますが、お父さんにほめられるのでこの仕事は楽しいです。

 ぼくは、仙台に遊びに行く時に朝四時に起きたことがあります。もうその時には道路に積もった雪の上にバイクの車輪の跡が残っていました。「朝三時くらいに配達しているのかな。寒かっただろうな」と思いました。

 三十二歩の配達でも続けるのは大変です。新聞配達の人に感謝したいです。

 毎日ありがとう。

『新聞配達の人、ありがとう』

井上 彰子(7歳) 山梨県大月市

 私は、まだ小学二年生なので習っていない漢字もあって一人で新聞を読むことができません。なので夜、毎日おとうさんとおかあさんに新聞を読んでもらったり、簡単に記事の内容を説明してもらったりしています。災害とか他の国のこととかいろいろ のっていて、新聞ってすごいんだなって思います。その大切ですごい新聞を届けてくれる配達の人のことを話したいと思います。

 私が家の用事で朝はやくに出かけた時の話ですが、その時に生まれてはじめて新聞配達の人を見て感動したので、その話をしたいと思います。はじめての配達している姿にも感動しましたが、バイトだと思いますが中学生くらいのお兄さんがすごいたくさんの新聞を持ってひっしに配達している姿に感動しました。その配達の人は、配達がいそがしいのに朝はやくに一人で歩いているおばあさんの荷物を持って、横断歩道をいっしょに渡っていました。短いきょりだったけどすごいなって思いました。

 新聞配達の人、新聞や幸せを配達してくれて「ありがとう」

『新聞配達のおじさんへ』

小城 桃穂(10歳) 宮崎県都城市 

 私は「こども新聞」を読んでいます。一週間に一回、届くのを楽しみにしています。おじさんが届けてくれる新聞は、雨にぬれていたことも、おそくなったことも一回もありません。だから学校に行く前に読むことができます。

 雨の日にビニールぶくろに入れてくれているのは、配達のおじさんたちだとテレビをみて知りました。朝早く起きて私たちのためにありがとうございます。

 スクラップできるノートもちょうどなくなる頃に新聞と一緒に配達してくれますね。

 私は今クラスの新聞係です。スクラップノートをもとに記事を書いたりしています。

 楽しい記事を書くのも大事だけど、配達のおじさんみたいに読む人のことを考える優しい心を持って、クラスのみんなに新聞を届けようと思います。

 おじさんいつもありがとう。これからも楽しみにしています。

『新聞販売所のみなさんへ』

小林 優羽貴(9歳) 千葉市稲毛区

 毎朝、新聞を届けてくださって、ありがとうございます。

 わが家は、銀行口座引き落としの方法で、新聞代をはらっています。だから、販売所の方が家に集金に来ることはありません。

 わたしは、新聞販売所の方々のお顔がわかりません。そこで、今回、日ごろの感しゃの気持ちを言いたいと思います。

 朝、ねむくないですか?

 冬は寒いですね。

 雨の日も雪の日も大変ですね。

 でも、毎朝、私が起きると新聞がちゃんと届いています。すごいですね。

 働くって大変ですね。

 おかげさまで、社会の出来事をたくさん知ることができます。

 この間、学級新聞を作りました。おもしろかったです。

 新聞販売所のみなさん、ありがとうございます。明日もよろしくお願いします。

『私たちの自まんの新聞配達員さん』

室井 桜(11歳) 福島県南会津郡下郷町

 わたしは、いつも朝早くから新聞配達をしてくださる、藤原さんに感謝しています。

 藤原さんは、七十八才で、もう二十五年間も朝早くから、新聞配達をしているおじいちゃんです。藤原さんはそれだけでなく、配達が終わると、私たちが安全に登校できるように横断歩道で見守ってくれています。ほかにも藤原さんは、わたしたちのために畑を作ってくださったり、苗の植え方を教えてくださったり、放課後みんなにゲートボールを教えてくださったりと、私たちにとって大切な人です。私たちのためにこれだけたくさんのことをしてくれる人は、この世の中に藤原さん一人だと思います。

 藤原さんは、わたしたちの笑顔や元気が長生きのための薬だと言っていたので、これからも藤原さんにたくさんの元気パワーをあげて、これからも長生きして新聞配達をがんばってもらえたらうれしいです。

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