作品一覧

大学生・社会人部門

最優秀賞

「かけがえのない日々」

田井中 治一郎(63歳) 滋賀県東近江市

 病院の朝は早い。目覚めると、新聞配達のアルバイトをする息子が顔を見せた。「今日から配達区域がこの近くに変わったから、ついでに寄ったんよ。新聞好きやろ」と、朝刊を手渡してくれた。

 12年ほど前の冬、私は思いもよらない病気で入院した。まだ暗い夜明け前、3階の病室から眺める町並みは、立体的で箱庭のようにきれいだった。人影のない道路を1台の自転車が走る。息子を心待ちにする私には、近づくライトが幸せを運ぶ軌跡のように見えた。

 部屋の中は暖かいが、受け取る新聞は冷たくて外の厳しい寒さを感じさせる。雪の降る日は氷に触れるようだった。

 ドアを開け、「持ってきたでー」とほほ笑み、「また明日来るわ」と手を振って出ていく。わずか1分足らず。そんな朝が3か月ばかり続いた。

 梅の花が咲くころに退院し、翌日から息子の配達区域は元に戻った。申し合わせたようなタイミングに私は、はっとする。けれど、息子は偶然だと笑い飛ばした。

優秀賞

「ずっと見守ってね」

齋藤 ハマ(79歳) 栃木県鹿沼市

 「お帰りなさい。良かったですね」。この言葉に涙した。

 昨年は3度も入院してしまった。独り暮らしの私は、そのたびに新聞を止めてもらう。そして、退院した日には、翌日から新聞を入れてもらうように電話をする。

 しかし、3度目の入院は長引き、娘の家でしばらく療養していた。住み慣れたわが家で生活できるくらい回復し戻ってくるまでには、3か月もかかった。帰宅した日は、午後も遅い時間になっていたため、「新聞販売店には、明日連絡をすればいいや」と思い、眠りについた。

 その明くる日、ポストには新聞が……。私は思わず販売店に電話をすると、昨日、家に明かりがともっているのを見て入れてくれたとのこと。さりげない心遣いにうれしくなり、胸が熱くなった。独り暮らしの私にとって、新聞は世間とのつながりを持つ大切なものだが、それ以上に見守られていたことに気付き、心細さが解消された。

 これからもずっと見守ってね、新聞屋さん!

審査員特別賞

「伝えたかった“ありがとう”」

小川 亜衣子(36歳) 広島市

 去年の8月20日の大雨で、私の住む町では土砂災害が起き、避難所での生活が始まりました。何が起きたのか、情報が手に入らないまま、時間が過ぎていきました。

 そんな混乱の中、新聞各社の厚意で、避難所へ新聞を届けてくださいました。新聞各社のたくさんの配達員の方々が、新聞を届けてくれるとき、すれ違いざまに「頑張ってください」と、励ましの言葉を掛けてくれました。いつもと違う場所に配達をしてくださったおかげで、新聞を手にして読むと同時に、頭も心の中もゆっくりと整理することができました。

 気持ちも落ちついてきた頃、いつも自宅に届けてくれる配達員の方が、心配して避難所に訪ねてきてくれたのです。つながりを感じました。「無事で良かった。ここに新聞を届けています」「もちろん読んでいます」と、お互い笑顔になった瞬間でした。

 あのときの新聞各社の配達員の皆さま、本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

入選(7編)

「コトン」

赤星 克久(74歳) 高知県南国市

 もう何十年も軒下にぶら下がっていたような古い郵便ポスト。さびだらけで、あちこち壊れ、今にも落ちそう。取り出し口を開けて、そこからそっと新聞を入れる。ふたも閉まらない。

 ある日、驚いたことにピカピカのステンレス製の立派なポストに変わっていた。ご主人さま、ありがとう。やっと新品に変えてくれましたね。思わず新聞と一緒にお礼状を同封したくなる。

 「コトン」。郵便ポストに落ち込む新聞の音。毎朝3時過ぎから、74歳の老体にむち打って始まる新聞配達。暗闇の中でこの音を聞けば、「よし、今日も調子いいな」と、内心ほっとして次の配達先へ回る。

 「コトン」「コトン」「……」。えっ? 何だ。昨日の朝刊から残っているぞ。忙しくて新聞を読む間もなかったのかな? 翌日、「コトン」「コトン」「……」。ポストが満杯になるぞ。そういえば、ここのご主人、以前に数日間入院して配達を止めていたことがあったっけ。また具合でも悪くなったのかな。しかし、入院なら連絡をしてくれるはずだし。ひょっとして、倒れていたりして……。不安が走る。その日が明けると事務所へ連絡。後日、旅行中だったと聞かされ一安心。

 今日も「コトン」「コトン」の音を聞きながら、割り当て区域を必死で回る。無事終了。郵便ポストさん、いつも軽快な音をありがとう。

「初めての表彰状」

市岡 哲夫(64歳) 京都府亀岡市

 山間部の小さな村で暮らすわが家に、どんな悪天候の日でも、毎日軽トラックで新聞を届けてくれる83歳になるおばあさんが、ある朝、新聞社から新聞配達勤続30年の表彰を受けたと、うれしそうに話してくれた。

 おばあさんは、この歳になるまで、表彰状なんて大層なものをもらったことがないと、照れながら話していたが、淡々と働き続けてきたシワだらけの顔を見ていると、「継続は力なり」という言葉が、屈託のないその笑顔と鮮明に重なった。「おばあさんすごい! よかったね」と、思わず叫んだ私の言葉に、おばあさんは丸い背中を気持ちだけピンと伸ばし、少女のような笑顔を見せた。

 「継続は力なり」……。あの日、私はおばあさんから元気と希望をもらい、何事も続けていくことの大切さをあらためて教わった。

 おばあさん、40年目の表彰の笑顔も、楽しみにしているよ。

「ノブさん」

岩﨑 真奈美(53歳) 京都市

 「すみません!」。いつもハラハラしながら送り迎えする通学路。小学校の障害児学級に通う娘は予測不能な動きをするので、道では多くの方に迷惑をかけてしまう。ほとんどの人たちは特に何の反応もなく、スッと避けていかれる。その都度冷や汗が出る思いをしている。

 そんなある日、いつものように急な動きで夕刊を配達されている人の前を横切った。「すみません」と頭を下げながら、私は娘の手を取った。すると、その配達員さんは「大丈夫?」と優しい笑顔で心配してくださったのです。そして「バイバイ」と、にっこりしながら手を振って行かれました。

 それから顔を合わすたびに声を掛けてもらい、会話のできない娘も配達員さんを覚え、姿を見つけると、「ノブさん!」と名前を呼ぶようになりました。今まで緊張でつらかっただけの通学路が、だんだん楽しみの道に変わっていきました。この小さな出会いが、私にとっては心が救われるほどの大きなものとなりました。

 それから数年、体を悪くされて新聞配達を辞められたノブさん。その後お元気になられたでしょうか? 娘の雪乃は支援学校の高等部1年生になりました。もしまた会えるのなら、親子で伝えたいです。「ありがとう」と。

「毎日受け取れるということ」

坂口 由紀(36歳) 埼玉県飯能市

 かつて私の祖父母は、新聞販売店を営んでいた。昔は今よりも休刊日が少なかったそうで、「新聞屋に休みはない」と祖母はよく言っていた。

 その言葉通り、祖父は亡くなる日の朝も新聞を配達し、祖父の葬儀の日も祖母はいつもと変わらずに仕事をした。幼かった私は、「そんな日ぐらい、お休みできなかったの」と、祖母に尋ねたことがある。すると祖母は、「店主の事情なんて、お客さまには一切関係ないの。新聞を毎日同じ時刻に受け取るために、玄関先で待っている人だっているんだよ」と教えてくれた。祖母に見た職業人としての責任感と誇りは、子供心に強い印象を残した。

 連休や年末年始、大雪の日でも新聞は読者の元へやってくる。当然だが、それは配達してくれる人がいるからだという事実を、祖母とのやりとりで実感した。だから、受け取った新聞には、他のメディアにはない手触りや体温までも感じてしまうのだ。配達員さんと顔を合わせることはまれだが、しんなその仕事に深々と頭を下げたい。今日の新聞も、心して読もうと思う。

「配達員より“お返しです”」

杉山 美奈子(50歳) 浜松市

 夕刊をポストに入れると、いつもピアノの音が聞こえるお宅があります。いつまでも聴いていたくなるような心に響くピアノの音です。

 ある日、配達が終わり新聞に目を通すと、ピアノコンクールの記事がありました。賞をとった小学生の女の子の名字を見ると、いつもピアノの音が聞こえるお宅と同じ。事務所に頼み、その記事をきれいにラミネート加工してもらって、そのお宅に伺いました。「こちらの記事は、もしかしてお宅のお嬢さんではないでしょうか?」。奥さまはびっくりした様子でしたが、「気付いていただけたのですか? ありがとうございます」と、とても感激していただきました。

 そして練習の手を止めて部屋から出てきてくれたのは、とてもかわいい小学4年生の女の子でした。「ありがとうございます」と、お礼を言ってくれたので、私は気持ちを伝えました。「大人なのに、恥ずかしいんですが、仕事を辞めたいと思うことが何度もあって、でもそのたびにいつもここで力をもらいました。暑い夏は心にすーっと風が吹くような、寒い冬はかじかんだ指先まで温かくなるような、そんなピアノの音です。くじけそうになったときに励ましてもらったお返しです。こちらこそ、ありがとうございます」と。

 お客さまや地域の皆さまから元気をいただくことがたくさんあります。毎日バイクで感じるこの街の風は、いつも温かく優しいです。

「義母の思い出」

溝口 てる子(62歳) 静岡県袋井市

 「あのう、すみません」

 草取りの手を休めて顔を上げると、そこには見慣れた新聞配達の方。「何でしょう?」。私の問いかけに、「いつも、そこの玄関先でいすに座って外を見ていたおばあちゃんはお元気ですか? このごろ姿を見かけないので、どうされていらっしゃるかなと思いまして」「義母のことをご存じなんですか?」「新聞を配達に来たときに、時々言葉を交わしていたので」。

 腰が曲がって足元がおぼつかなくなった義母は、ここ何年も玄関先から眺める風景が人生の全てでした。「何を見ているの?」と聞くと、「鳥を見ているだよ」と返ってきたものでした。孤独なんじゃないのかと気にはしつつ、つい毎日の生活に追われ、何もしてやれなかったことが、今年95歳で他界した義母に対し心痛む思いとして残っていました。

 新聞配達の方が、玄関先に座っている義母の数少ない話し相手になってくださっていたんだと初めて知りました。二言三言でも、義母にとっては、さぞうれしかったことでしょう。新聞配達の方の存在に私自身も救われたような気がしました。

「配達員さんの気配り」

最上 節子(61歳) 青森市

 「ここの花っこ、一番いっきゃ!(いいですね)」

 新聞配達の方に、わが家の小さな花壇を褒めてもらいました。主人が工夫して作った花壇です。

 気をつけて見ていると、配達員さんはそっと玄関の戸を開け、静かに新聞を入れ、またそっと閉まるまで手を添えて音がしないように気をつけて帰っていきます。チラシ配りの人は、「バン、ガサ、バタン」と変則的な音を響かせてやってきます。気配りと無神経さに苦笑いです。

 今年の春、褒められた花壇の花が咲くのを見ることもなく主人は逝ってしまいました。世間話をちょっとしただけの私たちに、通夜にもさりげなく参列してくれた配達員さん。そっとより添い見守ってくれる人の温情を感じました。

 空に向かって元気に咲くチューリップと一緒に、天国にいる主人に大きく手を振りました。

中学生・高校生部門

最優秀賞

「おじさんのプレゼント」

我妻 あみ(15歳) 宮城県美里町

 毎朝、私の家に来てくれる新聞配達のおじさんは、犬が大好きです。私はミルクという犬を飼っていて、いつもそのおじさんにかわいがってもらっていました。

 それは、ある年のクリスマスの朝でした。いつも通りに来たおじさんは、私に紙袋を渡しました。丁寧に包まれた包装紙には、「ミルクちゃん、メリークリスマス」の文字。おじさんは、ミルクのためにクリスマスプレゼントを用意してくれたのでした。私はとても感動しました。

 新聞を届ける人と受け取る人。その境目を越えて、おじさんの優しさが伝わってきました。人と人のつながりが薄い現代。そんな寂しい時代の中で、人の心の温かさ、美しさをあらためて実感しました。

 今でも、ミルクとおじさんの交流は続いています。そのたびに私は、温かな気持ちになれるのです。たくさんの優しさを教えてくれたおじさんに感謝したいです。そして、私もおじさんのように、みんなの心を照らせるような人になりたいです。

優秀賞

「新聞配達のお手伝い」

工藤 麻美(18歳) 青森県弘前市

 わが家は、家族で新聞配達をしています。私も中学生の頃から配達の手伝いを続けてきました。冬の配達はつらく、雪の吹く白い嵐の中を歩きます。冬の朝は真っ暗で、人の気配さえしないほど静かで怖くなります。それでも新聞は毎日、届けなければなりません。

 でも、夕刊配達のときは楽しみがあります。配達していると、近所の人たちが「ありがとう、いつも偉いね」と褒めてくれたり、お菓子を分けてくれます。子供みたいでちょっと照れます。

 今年初めて、元日の朝刊配達に母と一緒に出ました。私も春から高校3年生。家で配達を手伝えるのも最後になります。元日の分厚く重い新聞を背負って家から出ると、道路に薄氷が張っていました。凍った道をぱりぱりと音を立てて、白い息を吐きながら母と配達をしました。

 雪国の遅い初日の出がゆっくり昇り始め、オレンジ色に広がる空を母と二人で眺めながら、なぜだか今年はいい年になりそうだなと思いました。

審査員特別賞

「祖父が教えてくれたこと」

砂田 有加(18歳) 広島県三原市

 私には大切にしている新聞があります。それは1997年4月15日、私の生まれた日の新聞です。高校に入って読み始めた新聞は、母に言われて嫌々読んでいました。

 ある日、母から1部の新聞を渡されました。それはとても古く、すぐに破れそうでした。「おじいちゃんからよ」。そう言って母から渡されましたが、私は小学2年生のとき、祖父を病気で亡くしていました。そして母に話してもらいました。この新聞は私が生まれた日に、母が祖父から受け取ったものだそうです。「この子が大きくなったら、この新聞を読んでほしい。わしに何があるか分からんから、お母さんから渡してほしい」と言っていたそうです。

 自分が生まれた日の出来事。それはとても面白く、私は何度も読み返しました。今まで嫌々読んでいた新聞ですが、祖父は新聞の面白さを私に実感させてくれました。

 今日も私は、祖父が新聞を読んでいた姿を思い出しながら、新聞を読んでいます。

入選(7編)

「早起き」

井上 れみ(18歳) 三重県大紀町

 母が新聞配達を始めたのは、私が小学4年生のときだ。母子そろって朝に弱く、朝早くから畑仕事をしている父によく起こされていた。「そんな母が新聞配達?」。信じられなかった。

 しかし母は、それから私よりもうんと早起きになった。新聞を町中に配り終えると、朝食の準備をして、洗濯機を回し、父のお弁当を作り、今まで以上に忙しく動き回っていた。そんな母の苦労も知らず、登校ギリギリまでぐっすり寝ていた私。もちろん、新聞には目もくれず、慌てて家を出ていた。

 高校に入って寮生活を始めた。日直の仕事の一つに、新聞の取り入れがあった。そこで初めて気付いた。配達員さんの思いやりだ。雨の日にはビニールで包まれた新聞があった。

 朝はやることが多いので、母はよく父に配達を代わってもらっていた。普段はけんかばかりの二人だが、私が知らないところで助け合っていて、何だか悔しい。この夏休みは私も早起きしようかな。

「二つの音」

上田 彩香(18歳) 茨城県つくば市

 新聞を購読するわが家には毎日、配達の人がポトンと新聞をポストに落としてくれる。そんな新聞配達には、二つの音があることに気付いた。

 一つ目は、「夜更かしの音」。それは私が小学3年生のとき。本当は毎日コツコツこなさなければいけない漢字ドリルを、勉強嫌いな私はためてしまった。提出の前夜、やってもやっても終わらない宿題への疲れと、家族全員が眠っている孤独感に、今この世界で起きているのは自分だけなんじゃないかな、と思ったそのとき、ポトンと外から音がした。慌ててカーテンを開けると、配達員さんの背中が見えた。

 二つ目は、「早起きの音」。高校生になってから、自然と早起きして勉強をする習慣がついた。特別早く起きた日、朝のすがすがしい空気と、家族は全員眠っていることへの優越感から、今この世界で起きているのは私だけなんじゃないかしら、と思ったそのとき、ポトンと外から音がして思い出した。朝と夜の中間に起きている人たちがいることを。

「心を温かくしてくれた言葉」

植村 果穂(14歳) 東京都文京区

 新聞配達は早朝と夕方、2回にわたって行われている。だから、配達をする人と顔を合わせることはめったにない。

 しかし、昨年玄関に来てくれる機会があった。夏にあった東京都吹奏楽コンクールの結果を各学校専用に記事にしたものを届けてくれたときだ。そのとき配達員さんの口から出たのは、「お届けものです」ではなく、「おめでとうございます」の言葉だった。なんだか、とてもうれしくなった。普段顔を合わせることのない配達員さんのその言葉は、私の心を温かくしてくれた。

 そのとき感じた。配達とは人からポストに届けることではない。人から人へ届けることなのだと。届ける人にとっては配達物でも、受け取る人にとってはうれしいものかもしれない。「おめでとう」の言葉は、配達をただの作業としてやっていないからこそ出てくるのだろう。とてもすてきだと思った。だから、受け取る側もポストの先の人の存在を意識するべきだと思う。

「おばあちゃんとの大切な時間」

茅野 琴江(16歳) 鹿児島県南さつま市

 私の家に新聞を毎日届けてくれるのは、80歳をすぎたおばあちゃんだ。毎朝、学校に行くとき、「おはようございます」とあいさつをすると、「今日も頑張ってね」とか、「気をつけてね」とか、いろんな会話をしていた。

 私が高校生になり、そのおばあちゃんとも会わなくなった。いつもの会話がなくなり、寂しくなった。私の中でその会話が楽しみの一つであり、大切な時間になっていたからだ。

 その年の夏、あのおばあちゃんに久しぶりに会った。私はうれしくて、とびきりの笑顔で「おはようございます」とあいさつすると、「あら、見ない間にべっぴんさんになったね」と言ってくれた。あまり時間がなくて1分にも満たない会話だったけれど、今までで一番楽しい会話だった。

 新聞と優しい言葉を届けてくれるおばあちゃん。私はその笑顔を思い出しながら新聞を読んでいる。

「心掛けていること」

酒井 康暉(18歳) 北海道釧路市

 私は将来、社会に出て行くときの資金にするために新聞配達を始めた。現在、朝刊を配っている。

 学業もあって勉強をしながらの新聞配達は、朝起きるのがつらく、正直なかなか大変である。しかし、それでも頑張れるだけの動機を見つけてから、より一生懸命に働くことができるようになった。そのきっかけをくれたのが、新聞販売店の店長だった。

 ある日、私は未配をしてしまった。店長から、「配達する方は何百軒と配って大変だと思うけど、お客さん一人一人が新聞を待っているからね」と、注意を受けた。そのとき、自分は気を抜いて配っていたわけではないが、もっとお客さんの視点で物事を考えることが必要だと思った。それから、新聞を待っている人たちのためにより一層、一軒一軒大事に配達することを心掛けている。

「母に感謝」

谷口 寿梨(18歳) 三重県鈴鹿市

 私は今、高校3年生です。母の新聞配達の手伝いを始めてから10年がたちます。

 昔は週に1回だったのが、今では週に4回に増えました。小学生の頃は、なぜ早起きして手伝わなきゃいけないんだとばかり思っていました。でも今では朝早く起きて新聞配達に行ってくると、眠たいということよりも、「すっきり」という感じしかありません。はじめは嫌々やっていたけれど、今となってはいい習慣です。私はただ手伝っているだけなので、特にお金ももらえないし、得することはないのではないかと思う人がいるかもしれません。でも私自身、損得ではなく、朝をすっきりさせるために行っているようなものです。

 テスト期間中でも決して休むことはありません。なぜなら、母は働いているからです。母は他にも仕事があるのに新聞を配っています。そんな母の姿を見ていると、休もうなどと思いません。むしろ頑張ろうと思います。私をここまで育ててくれた母に感謝して、これからも新聞配達の手伝いを頑張りたいと思います。

「朝いちばん早いのは」

若林 哲生(17歳) 埼玉県上尾市

 その日は、朝早く目が覚めた。うとうとしながらリビングに行くと、「あら、おはよう。今日は珍しく早いのね。じゃあ、新聞とってきて」と母の声がした。玄関の新聞受けには、雨に濡れないようビニール袋に包まれた朝刊が入っていた。

 「新聞屋さんはいつも早起きだよね」と僕が言うと、「朝いちばん早いのは、新聞の配達」と母が口ずさんだ。「何それ? 替え歌?」「そういう童謡があるんだよ。知らないの?」と、母はたしなめるように笑った。

 気になって後で調べると、「朝いちばん早いのは」という古い童謡があるとわかった。「ママが子供の頃はよく歌ったのよ」。童謡には、朝が早い職業として豆腐屋さんや牛乳屋さんが出てくる。もう最近はあまり見かけない。残ったのは新聞配達だけだ。だから、歌われなくなったのかな。

 「新聞配達はいつまでも残ってほしいよね」。童謡の歌詞を見ながら、僕はそうつぶやいた。

小学生部門

最優秀賞

「ひいおばあちゃんとしんぶん」

大久保 果澄(8歳) 広島市

 わたしのひいおばあちゃんのいえは、山のおくにあります。だから、しんぶんもひるごろとどきます。

 「テレビとかでニュースをさきにみるから、しんぶんはいらないんじゃないの?」と、わたしはお母さんに言いました。お母さんは、「わたしも小さいころそう思ったことがあるよ。でもテレビだと、じぶんのペースではみられないでしょ。しんぶんだと、じぶんのペースでじっくりみることができるからいいんだと思うよ。山おくだから、しんぶんをとっていないと、まい日、人がこないしね。それに、しんぶんをよんだあと、やさいをつつんだりゴミをつつんだり、かみとしてもつかっているしね」と、おしえてくれました。

 わたしは、しんぶんをみるためのものだと思っていたけれど、ひいおばあちゃんにとってはそれだけではなく、人とつながるためのものであり、せいかつにひつようなものなんだとわかりました。

優秀賞

「命のパトロール隊」

平山 明賢(12歳) 京都市

 みんなは、人の命を救ったことがあるだろうか。そう聞かれたら、「そんなこと、したことがない」と多くの人が答えるだろう。しかし、それを成しとげた人を一人知っている。それは「新聞配達員」のおじさんだ。

 その事件が起きたのは去年の夏だ。その日はとても暑い日だった。京都市のK区に朝刊と夕刊を取っているおばあさんが住んでいる。そのおばあさんに、いつも新聞を配達するおじさんがいた。その日もおじさんは朝刊を届けた。次は夕刊を届けた。また朝刊を届けた。そしてまた夕刊を届けた。

 そのとき、配達員のおじさんはふと思った。「昨日の朝刊と夕刊、それに今日の朝刊までもある……、大丈夫かな」と。そして、おじさんはすかさず助けを呼んだ。その予感は的中した。おばあさんは家の中で倒れており、発見がもう少し遅れていたら命にかかわるところだった。

 僕はこの事件以来、新聞配達員を見かけると、「命のパトロール隊」とひそかに呼んでいる。

審査員特別賞

「心と心のふれあい」

松下 京瑚(9歳) 静岡県牧之原市

 「ブォーン」。バイクの音が聞こえた。わたしの家はアパートの2階なので、下まで夕かんをうけ取りに行っている。でも、学校のしゅく題などで頭の中がいっぱいだと、できないこともある。毎日つづけることの大へんさを学んでいる。

 思い出してみた。ようち園のとき、アパートの前のじどう館で、友だちとあそんでいた。すべり台の上で、配たつ員さんを見かけて手をふった。配たつ員さんがじどう館まで来て、新聞を手わたしてくれた。それを見て友だちが、「えーっ、きょうちゃんちの新聞は、じどう館まで来るの!?」と、おどろいていた。

 お母さんに聞いてみた。わたしが2さいのころ、朝早く起き、ぐずるので外でだっこしていると、配たつ員さんが声をかけながら、朝かんをわたしてくれたよね、と話してくれた。配たつ員さんは、わたしをずっと温かく見守っていてくれる。人と人のつながりっていいなあ。

入選(7編)

「私の町の新聞配達員さん」

小野 嶺花(10歳) 香川県三豊市

 あっ、今日新聞を見るのを忘れとったと思うほど、私は新聞を読んだり見たりするのが大好きです。なぜかと言うと、おじいちゃんが毎朝、新聞配達の人が来るのを心待ちにしていて、「来た」と言って新聞をポストから取ると、開いて読んでいる姿を見てきたからだと思います。

 おじいちゃんは、外が明るい朝は外で読んでいます。私が「どうして」とたずねると、朝のさわやかな空気の中で新聞を読むのがすきだと言います。そのようなことを聞いて私は、新聞が身ぢかな物に感じられたのです。

 でも、新聞配達員さんは何時頃に来ているんだろう。私の眠っている間に配達の仕事をしているなんて大変だろうなと思います。冬の寒い雪の朝は、配達員さんの足跡とバイクのタイヤ跡を見つけたとき、一番に足跡を付けられなかったと、くやしい思いをしたのを思い出します。

 新聞を楽しみにしているたくさんの人のために、毎日の配達よろしくおねがいします。

「最高の教科書」

古泉 修行(10歳) 新潟市

 「スクラップコンクールに応募してみない?」。学校の帰り道、夕刊を配達するおばさんが笑顔で応募用紙をぼくにくれた。

 でも、今はニュースをインターネットで読む時代だ。最新の話題は即座に配信され、読みたい記事を、好きなときに検索できて便利だ。ITを使いこなしているぼくは、そう思ったが、スクラップにチャレンジするため新聞を読んだ。テーマは大好きな「宇宙」。

 すると、宇宙の記事を探しながら、他の記事にも引き付けられる。世界のニュース、日本の福祉問題などに初めて関心を持った。写真のほか、表やグラフも多く使われ、見出しもインパクトのある言葉でわかりやすい。「世の中は広いよ。もっと周りを見てみなよ」と、新聞の声が聞こえ、とてもワクワクした。

 ぼくたち子どもは、知識を増やし、視野を広げることが大切だ。興味のあることだけを検索するのではなく、自分の世界を広げていく。新聞は、最高の教科書だと気付いた。

 配達のおばさん、「新聞の魅力と読む楽しさ」を、しっかり受け取ったよ!

「ばあばの友達」

東城 愛奈(9歳) 宮城県美里町

 朝起きると、ばあばは新聞を毎日見ています。こない日は、「あっ、今日は休みだったね」と言って、さびしそう。はいたつする人も休みがないとね。わたしのお父さんも小学校時代に新聞はいたつをしていたことをきいた。ばあばは、こうこくがいっぱいの時は手伝ってあげたと話していました。

 わたしにはよく分からないけど、ばあばは新聞をハサミできりとっている。わたしはふしぎでたまらない。どうしてハサミできってべつなノートにはっているのか、ばあばにきいてみた。そしたら、「年をとると、いろんなことをすぐにわすれてしまうから、大切なことはまた読んで勉強ね」と話した。

 「ばあばの一日は新聞を読んではじまるんだ」と、わたしは思った。それだけ新聞を毎日楽しみにしているわたしのばあばです。そして、はいたつしてくれている人たちに、いつもかんしゃの心を教えてもらっています。

「父が新聞配達から学んだこと」

比嘉門 未来(10歳) 沖縄県宜野湾市

 私の父は、小学5年生から2年間、新聞配達をしていた。当時45世帯を任され、1時間ほどの配達中に犬に追いかけられたりと、笑えるエピソードもあったが、ある日そんな父に大事件が起こった。

 2年間でただ一度だけ仕事を投げ出し、遊びに行ってしまったことがあった。すぐに苦情の電話が鳴り響き、事情を察した両親に、「仕事には責任を持て! どんなことがあっても人に迷惑をかけてはいけない」と、こっぴどく叱られた。その日の出来事は、40年がたった今でもほろ苦い思い出と共に、父の心の真ん中にある。

 仕事には責任を持つこと、どんなことがあっても人に迷惑をかけてはいけないこと。父は人生でとても大切なことを、新聞配達を通して学んだ。そんな父を私はとても誇りに思っている。私は来年、父が新聞配達を始めた歳と同じ5年生になる。私は人生を左右するような宝の教訓に出会うことができるだろうか?

「お父さんとしんぶんとわたし」

比嘉門 夢(8歳) 沖縄県宜野湾市

 わたしのお父さんは小学生のころ、しんぶんはいたつをしていました。おこづかいかせぎの気もちではじめたそうですが、ランドセルをほうり出して、すぐにあそびに行けなかったり、はいたつ中に犬においかけられこわかったことや、きゅうに大雨がふってきて、しんぶんをぬらしてしまったこと、あつくてフラフラになっても、さいごまでがんばったことなど、わたしにしんぶんはいたつのおもいでをはなしてくれるときは、とってもうれしそうなかおです。わたしはそんなお父さんが大好きです。

 いまわたしは、まいあさ、かぞくにしんぶんをとりにいくやくわりをまかされています。ポストにしんぶんを見つけると、「ありがとう!」といってからとり出します。子どものころにしんぶんはいたつをがんばっていたお父さんと、しんぶんとわたしがつながっているようにおもえて、まいあさとってもうれしくなります。

 わたしもしんぶんはいたつをしてみたいです。

「毎日ありがとう」

森山 ひかる(10歳) 千葉県浦安市

 私は去年の夏休み、毎日朝早く起きてジョギングをしました。そのときに気づいたことがあります。それは、私の住んでいるマンションに来る新聞配達の人は、いつも同じ時間に来るということです。

 私が玄関を出るのが、だいたい朝の5時。少し走り出して右に曲がるというルートなのですが、毎日毎日この曲がり角で新聞配達の人とすれ違うのです。

 配達の人は気にしていないかもしれません。毎日の出来事の一コマでしかないのかもしれません。しかし、同じことを毎日繰り返すというのは、気持ちや体調、天気、いろいろなことが重なると、それほど簡単なことではないと思います。夏休み期間だけとはいえ、毎日同じ時間にジョギングをするために、かなり努力をしました。それを仕事とはいえ、毎日変わらずに同じことを繰り返している配達の人はすごいと思います。この仕事に誇りを持っていて、責任を持っているからだと思います。

 あらためて新聞配達の方々、本当にありがとうございます。

「祖父の『ごくろうさん』の待ち伏せ」

横溝 麻志穂(11歳) 仙台市

 祖父は毎朝4時過ぎに起き、新聞配達員を待っている。新聞を直接手渡されるのが日課だからだ。それは、「ごくろうさん」と言うためである。

 祖父に聞くと、昭和40年頃まではバイクではなく、徒歩や小走り、大きな荷台の自転車で新聞は配達されたそうだ。バイクと違い、時間も労力もかかって大変だったと思う。

 でもバイクだとすぐに通り過ぎてしまい、「ごくろうさん」の一言が言えないので、祖父は待ち伏せしている。

 70歳の祖父は新聞のチラシがなかった時代から新聞の貴重さを思い、配達員への声掛けを続けてきた。それでも近頃、インターネットの普及などで新聞を取る家庭がぐっと減り、配達員の大変さが伝わりにくい時代になった。

 配達員の早起きと新聞を配達するまでの準備、自分の足でその土地を踏み、家を覚える大変さは、祖父に聞いて教えられてきた。その大変さに対する感謝の気持ちで、今後は祖父と同じように私も待ち伏せしようと思う。

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