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記者として聞く祖父の思い

上毛「あの夏 20代記者が伝える戦争」

 壕(ごう)の中から見上げた空は真っ赤だった。「あの色が忘れられない」。軍国少年だった飯島利光さん(87)が語った。

 終戦から74年たち、戦争体験者に話を聞ける機会は少なくなりつつある。「社会の右傾化も指摘される近年、若い感性を通して戦争を知る人の肉声を伝えることは問題提起になる」と報道部の石倉雅人社会担当デスク。入社1、2年目の記者3人に白羽の矢を立てた。8月15日付から全3回。

 飯島さんは高崎市に生まれた。開戦は尋常小学校2年の時。真珠湾攻撃を告げるラジオに学校中が盛り上がったという。高等小学校時代に描いた墨画が手元に残る。空を舞う多数の戦闘機と火を噴く軍艦。「軍人になりたい」と将来の夢を記していた。

 終戦間際の1945年夏には、高崎が空襲に見舞われた。防空壕から見上げた空が赤く染まっていたのは、同じ日の前橋空襲のためだった。

 取材した飯島礼記者(25)は、飯島さんの孫。祖父に戦争の話を詳しく聞いたことはなかった。

 肉親への取材は通常、認めていない。しかし、若い感性で生の声を受け止める趣旨にはかなう。石倉デスクは「知らなかった祖父の思いを掘り下げて聞く、という体験取材も一つの投げ掛けになる」と判断し、ゴーサインを出した。

 利光さんは遊びたい盛りに空襲におびえ、早朝から工場で働いていた。サツマイモでかさを増したご飯や、祖母の手打ちうどんを弟や妹らと分け合った。時代が変わり「当たり前にある豊かさに、いつしか飲み込まれてしまっている」と省みた。

 飯島記者は約2時間、話を聞いた。普段は穏やかな利光さんが取材中、一度だけ語気を強めた。子供や孫にこんな思いを味わわせたくない―と語った時だった。(酒)

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