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被災地と沖縄つなぐ契機に

沖タイ「福島の大地で 東日本大震災9年」

 福島産の米や野菜から基準値を超える放射性物質が検出されることはなくなった。しかし、畑の土には放射性物質が残る。須賀川市の農家・樽川和也さんは「汚染された土の上で毎日働いている。今でも被害は続いている」と声を上げる。国や東京電力の補償はない。

 連載は3月6日付から5回。当時入社1年目の西倉悟朗社会部記者(現北部報道部)が2月、福島を訪ねた。沖縄県民が被災地に目を向ける「入り口」になってほしい、との思いで原発事故後も農業、漁業を続ける人々の葛藤を報じた。

 樽川さんは畑の汚染の責任を取らない国や東電に怒りを募らせる。「でも、そこで生活していないとなかなか分かんねえんだよね」。被災していない地域との温度差がもどかしい。樽川さんの母美津代さんがつぶやいた。「しょうがねえんだ。沖縄の基地問題も、沖縄の人の本当の気持ちもよく分かんねえし」

 沖縄で生まれ育った西倉記者は、福島の現実を米軍基地問題に悩む地元の姿と重ねる。「沖縄の人は基地負担の大きさを理解してほしいと声を上げるが、東北の被災地への関心はそう高くない」。
美津代さんの言葉を聞き「離れた地域の問題を考えてもらうきっかけをどう提供するか、記者として追求しなければ」と決意を新たにしたという。

 那覇市出身の農家・稲福和之さんにも出会った。2004年に田村市に移住。原発事故後、育てた野菜から微量の放射性物質が検出され、出荷を1年間自粛した。13年からは、妻由梨さんとブルーベリージャムや自家製米で作る甘酒など農産物の加工に取り組む。

 今も福島産の農産物を敬遠する人はいる。和之さんは消費者心理は分かるとしつつ「福島の農家は安全性に自信を持って出荷している」と西倉記者に思いを託した。(海)

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